ブックタイトル日本シティジャーナル vol.200
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日本シティジャーナル vol.200
2019年(令和元年)8月31日発行第200刊毎月第3土曜日発行購読無料「賽(さい)の河原」に積まれた石の山大きな延命地蔵尊の存在が際立つえてきました。当初の想像とは裏腹に、恐山菩提寺のロケーションは一見、山とは縁のないような湖畔にありました。「どこがいったい、山なのだろう?」と考えながら、車を停めた後、総門を通り抜けると常夜灯が並ぶ長い参道があり、正面の山門をくぐると、その先には本堂となる地蔵堂があります。その裏方には不動明王が祀られ、周辺一帯が死者の魂が集まる場所となる恐山菩提寺の境内を構成しています。背後に聳える釜臥山の釈迦如来と不動明王を合わせて奥の院とも呼ばれています。地獄の中にある無間地獄そこから先には普通のお寺の様相とは似ても似つかない、大自然に囲まれた温泉地獄の光景が広がります。参道の先には本尊である地蔵大士が地蔵堂にて祀られています。本堂のすぐ左側から標識に従って順路を進むと地獄巡りが始まり、ガスが噴出する広大な自然をくまなく散策することができます。地獄という言葉は言い過ぎかもしれませんが、無間地獄から始まる地獄巡りでは、地表から火山性のガスがあちらこちらから噴き出す光景を目の当たりにします。周辺一帯は、その水蒸気と強い硫黄の臭いに満ちていました。まさにそれが地獄のような光景に捉えられても、決して不思議ではないような光景です。やがて右手に大師堂が見えてきて、すぐのその先には水子供養の御本尊と美しい砂浜に囲まれた宇曽利山湖なるお地蔵様や、延命地蔵尊と呼ばれる大きなモニュメントも建立されています。火山灰の砂利道の途中には「賽(さい)の河原」があり、小さな石がこんもりと積まれた位牌のような場所があちらこちらに見られます。これらは亡くなった子供たちを供養するためだけでなく、その子供たちが早死にしたこと詫びるために石を積み重ねているとも言い伝えられています。その地獄巡りの最後には、極楽浜とも呼ばれる宇曽利山湖の砂浜と湖の美しい光景が広がります。エメラルドグリーン色の湖を眺めながら歩いていると、ふと、その美しさに我を忘れるような思いになります。お寺参りというよりも、山々に囲まれた湖の湖畔にある温泉秘境を散策しているというのが実感です。イタコの口寄せが行われいるテントそして地獄巡りを終えて、境内の入口付近に戻ってくると、異様な光景が目に入ってきました。山門そばの参道横から湖畔に繋がる通路沿いに、小さな古びたテントが張ってあるのです。一見、荷物置き場かと思いきや、「まさか、これがイタコマチか?!」テント入口から中をちょっと覗いてみると、何とそこにはイタコと呼ばれる女性が奥に正座しているではありませんか!人が訪れるのを待っているのでしょうか。それにしても、あまりに小さく古びたテントなので、よほどの勇気がなければテントの中に入るのは難しいのではないでしょうか。口寄せするイタコが今日でも存在する究極の霊山が、恐山菩提寺なのです。また、境内には四つの温泉が設けられ、共同浴場として利用できることも特筆に値されるでしょう。恐山に登らない訳には。。。恐山周辺には半日しかいる時間がありません。よって、せわしいのは百も承知です。振り返れば、当初のプランどおり金曜の朝は5時起き。羽田を8時20分発の飛行機に乗り、9時35分に三沢空港に到着。そこからレンタカーを借りて恐山に向かい、途中、食事の休憩も入れたため、恐山菩提寺に到着したのが午後1時半。境内から湖畔までをくまなく歩き周って見学を終了したのが午後2時15分。普通ならここで本日の旅路は終了となるところでしょう。ところがどっこい。恐山菩提寺に来て、その周辺を囲む恐山山地の頂上まで登らずして、どないしますか!一生に一度、せっかく下北半島まで来たのだから、とにかく恐山の山頂まで登らなければ男がすたる、という思いで登山を決行することにしました。事前の登山情報は限られており、恐山菩提寺から一気に登頂できる山道が連なるのは、霊場恐山からその頂上を眺めることができる、標高828mの大尽山であることがわかりました。登山道の地図を見ても、確かに霊場から宇曽利山湖沿いに、大尽山の山頂に繋がる遊歩道が存在しました。そしてネット上に掲載されている登山体験談を確認すると、大尽山頂上までの往復距離は16km。おそらく標高差が4-500mはある山道だけに、この距離はさすがに厳しく思われました。普通の道を歩いても4時間はかかるのに、それが未知の山道で、しかも斜面がずっと続くことを考えると、登山に6時間は見越さなければなりません。しかしながら、時刻は既に2時半。日暮れまで3時間少々しかありません。まかり間違っても4時間を超えてしまうと、暗闇に包まれてしまう時間帯です。魔の恐山に飲み込まれてしまうのでしょうか?しかしながら、一生に一度の恐山の象徴とも言える大尽山頂上への旅路と心得、「えーい!何のその、行ってしまえ、3時間で戻ってこよう!!」そう心に決めて、いざ、出陣です!霊場恐山のすぐそばにある、宇曽利山湖畔沿いの遊歩道入口にある駐車場に車を移動し、ペットボトルの水1本と携帯電話2個を携えて、駆け足で出発です!宇曽利山湖畔で子熊の群れに遭遇!午後2時半に遊歩道をスタートし、3時間で16kmの山道を戻ってくるためには、平坦な箇所は時速10km以上で走らなければなりません。トレッキングの経験は十分に積んできたことから、トレーニングのつもりでスタート地点から突っ走ることにしました。湖畔沿いの遊歩道はとてもきれいに整備され、快適です。山林浴をしているような気分になり、スピードもぐんぐん上げて、調子よく走っていた時、ふと、人気がないことに気が付きました。「そういえば、駐車場にも車は1台もなかったかな?山道にも人影はまったくない。。自分一人か。。。」いつしか恐山山地の山中でひとりぼっちになっていることに、一抹の不安を覚えました。人生ひとりぼっちとはよく言ったものです。まさにその真骨頂が、恐山の登山ではないか!そんな思いが脳裏をよぎり、気持ちよく走っていたその時、まさかの出来事に遭遇したのです。ちょうどその直前、遊歩道を塞ぐように大木が倒れていている場所があり、その手前にはロープが張られ、赤テープが4か所ついていました。「倒木注意!」にしては大げさだな、と思いつつも、何も考えずにロープをかいくぐって走り進んで行きました。それがとんでもない恐怖体験に繋がるとは、想像もしませんでした。宇曽利山湖沿いの遊歩道は、駐車場から出発すると進行方向右側に湖があり、左側が山の斜面になっています。双方とも樹木が生い茂り、緑でいっぱいです。その真ん中に設けられた山道は遊歩道らしく、綺麗になっています。その快適な遊歩道を走りながら山道への交差点に向かっていると、突然、周辺で「ガサガサ」と草木が揺れ動いたのです。しかも左右、同時に自分の後を追うように、「ザザザー」と、草木を描き分けるように何かがついてくるのです。「まさか。。。!」いっきに恐怖心がつのり始めました。そしてちょっと立ち止まると、音は止み、また走り始めると「ザザザーーー」と後をつけてくるのです。まさにジュラシック・パークの恐竜物語と一緒です。映画の中で、恐竜は人間を襲う前、陰ながら「ザザ、ザザ」と音をたてながらも人間を見ていたことを覚えているでしょうか。それと全く同じことが、何と、恐山でおきてしまったのです。「参った!」、この化け物の正体は子熊でした。遊歩道沿いの湖畔には、無数の子熊が生息していたのです。この想定外の事態に再度、決断を迫られました。子熊が多いということは、親熊も近くにいるはずであり、襲われないとも限りません。また、ひとりぼっちなので、万が一怪我をしたら、それは死を意味します。しかしながら一般的に熊は臆病であり、よほどお腹がすいているか、いらだっていない限り、人を襲うことはなく、むしろ逃げていくのです。これらの情報を一瞬のうちに頭の中で整理しなければなりませんでした。ここでUターンするか、それとも突き進んでいくか。もはや議論の余地はありませんでした。無我夢中で遊歩道を走り抜け、山道を登っていくことに意義なし!多くの熊が生息する恐山ジャングルだ!親熊に襲われたらどうしようか、という一抹の不安があったことから、とりあえず素手よりも何かあったほうが安心!ということで、木の枝を折って杖とし、熊から宣戦布告された際には、槍として使うことにしました。人生、何事も経験です。一生に一度は熊と戦ってもよいのでは、というのは驕りの思いでしょうか。幸いにも、一旦山道に入ると、もはや熊の姿は見えなくなりました。湖畔は水源となるだけでなく、豊富な食物も提供することから、多くの熊が生息するようになったのでしょう。それにしても、まさか恐山で子熊に囲まれるとは思ってもいませんでした。大尽山頂上への道のりは、とにかく長いです。斜面はさほどきつくはないものの、これでもか、と尾根の山道が続き、いつになっても頂上が見えてきません。でもそんなことはもはや、考えている余裕はありませんでした。3時間で帰ってこなければ夕暮れになってしまうことから、今さら引き返す訳にもいかず、ひたすら前に進むだけです。そしてやっとの思いで遂に、午後4時7分、大尽山頂上に到達しました。あいにく頂上はガスがかかっており、何の景色-2-