ブックタイトル日本シティジャーナル vol.201

ページ
1/4

このページは 日本シティジャーナル vol.201 の電子ブックに掲載されている1ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

日本シティジャーナル vol.201

2019年(令和元年)9月28日発行第201刊毎月第3土曜日発行購読無料日本シティジャーナルvol. 201Nihon City Journal発行:サウンドハウス〒286-0825千葉県成田市新泉14-3TEL 0476-89-2333 FAX 0476-89-2334[平日]10:00~18:00[土曜]12:00~17:00http://www.nihoncity.com成田市、佐倉市、印西市、富里市、香取市、山武市、八街市、匝瑳市、四街道市、東金市、銚子市、旭市、栄町、東庄町、神崎町、酒々井町、多古町、横芝光町、芝山町、九十九里町、稲敷市、龍ケ崎市、河内町発行部数:300,000部「日本八霊峰」の提唱最古の霊峰が古代渡来人により見出された手法を考察!島国とも呼ばれる日本は、国土の大半を山々で埋め尽くされ代から山は神聖な場所と考えら四国剣山に纏わる神宝の伝承を再検証!ています。その数は、少なくとも2万はあると言われています。それらの山々の中でも、特に名高く、由緒ある山は、江戸時代では「日本名山図会」にて88山東がアジア選別されています。その史を塗後り、替ん。えたイスラエル地域に土着する風習や宗教民族大移動の潮流昭和の時代に入ると「日本百名山」と呼ばれるくくりでもまとめられるようになり、時には「日本二百名山」、「三百名山」として、より多くの山々が含まれることもありました。「日本百名山」は登山家であり、小説家としても活躍した深田久弥氏が、自らの登山体験を踏まえたうえで、山々を選定しています。その基準となったのは、1.山の品格、2.山の歴史、3.山の個性です。そして深田氏自身が登頂した山ということが大前提にありました。その後、2006年には山と渓谷社より「新日本百名山登山ガイド」が発刊されました。また、山岳雑誌の「岳人」によるアンケートにより、登山の対象として面白い山々100峰なども選定されています。こうして日本の山々は、多くの山岳家をはじめ、自然を愛する人々から崇敬され、その名を歴史の中に刻んできました。著名な霊峰はいずこに日本の著名な山々を思い浮かべる際、百名山という自然の美を基本としたくくりだけでなく、時には、霊峰と呼ばれる宗教的な意味合いを含む基準を用いて選定することもあります。霊峰とは、山々の中でも、古くから信日本最高峰の標高3776mを誇る富士山仰的な対象として崇拝されてきた山々を指します。日本では古れ、そこに神が住まわれるという宗教観が根強く存在しました。よって多くの山々では神仏が祀られている場合が少なくありませ観に基づいて山の随所に祠が建てられ、祭りごとが行われることは日本固有の文化です。それら地域に土着した宗教観を超えて、歴史的かつ宗教的な意義のある由緒や言い伝えにより、山全体が神聖化された山々を霊峰と呼びます。最も有名な霊峰は、「日本三名山」「日本三大霊峰」とも呼ばれる富士山、白山と立山です。この三名山の共通点は、それぞれの山がご神体として崇められ、山の麓だけでなく、その山頂にて神が祀られていることが挙げられます。富士山では山の神霊を祀る浅間信仰が広まりました。立山は山岳信仰のメッカとして修験道者が集まり、立山信仰の神として伊耶那岐神が立山権現として祀られています。また白山も古代より山岳信仰の対象として修験道の霊峰となり、白山信仰が古くから広まりました。これらの山はいずれも修験道のメッカとして多くの行者が神を崇めるために登山したという歴史を共有しています。また、日本三名山に加え、奈良の大峰山と釈迦ヶ岳、鳥取の大山、愛媛の石鎚山を挙げ、富士山、立山、白山と合わせて「日本七霊山」と呼ぶこともあります。しかしながら七霊山には諸説がNCJ109日本とユダヤのあり、釈迦ヶ岳を外して月山を加ハーモニーから続くえる説もあれば、白山の代わりに御嶽山を選別する説など様々です。どのような条件をもって霊峰を選ぶかは、それを選定する学者や評議会の考え方や選定基準に左右されます。よって、「日本七霊山」には定説がありません。最近では山と渓谷社より「日本百霊山」という本も出版されており、より多くの山々が霊峰として紹介されています。そこでも本の著者は「“百霊山”と銘打ってはいますが、あくまで私の好みやエピソードの面白さで選んだものです」と記載しているとおり、自らの基準にて、霊峰を選ぶというこれまでの考え方に徹しています。世界遺産に登録されるための基準10項目霊峰と呼ばれるからには、それなりの基準が必ずあってしかるべきです。霊峰を選定する際に参考となるのが、世界遺産として登録されるための基準10項目です。世界遺産となるために最終編は「顕著な普遍的価値」が見出されることは言うまでもありません。その基準として10項目が挙げられていますが、その中でも以下の5項目(1 0項目中3-7項目)が、霊峰を選定する際の基準として参考になるガイドラインと言えそうです。以下にそれら5項目を抜粋しました。(iii)現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。(iv)歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。(v)あるひとつの文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本であ-1-る。又は、人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本であるPart.II(特に不可逆的な変化によりその存続が危ぶまれているもの)(vi)顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)。(vii)最上級の自然現象、又は、類まれな自然美・美的価値を有する地域を包含する。日本の霊峰は、どれもが類まれな自然美を有することは勿論、宗教文化を継承してきた形跡が山麓から山頂まで随所に見られ、古代からの歴史の流れを肌で感じることができます。そして霊峰を囲む地域で執り行われる祭りごとは、長年にわたる宗教的な伝統行事の一環であり、山の存在そのものと密接な関連があります。人々と霊峰とのふれあいは、日本固有の伝統に相まみえて、長年にわたりその山を聖なる場所と位置付けることに寄与し、いつの日も特別視されるようになったのです。日本の霊峰は、当然のことながらこれら世界遺産としての条件もクリアーできるほど、特有の美と歴史を誇ります。古代霊峰を見極めるための歴史的背景これら世界遺産の基準を用いたとしても、古代の霊峰を選別することは容易くありません。どの山が霊峰か、という問いかけについては諸説があり、細かい選定基準が定まっていないからです。様々な尺度や見方があることから、結果として、霊峰と呼ばれてきた山々は日本列島の随所に存在します。しかしながら、奈良時代や飛鳥時代をさらに遡り、古墳時代、そして弥生時代から霊峰として崇められてきた可能性のある由緒ある山々のみに絞るならば、検証すべき霊峰の候補は限られてきます。果たして古代の人々が信仰の対象とした霊峰を特定することはできるのでしょうか。どのような歴史的背景により、霊峰として人々から崇められるようになったのでしょうか。霊峰と呼ばれる山々には、古代に遡る由緒があるだけでなく、その他にも古代の人々が注目した何かしらの共通点があるはずです。それら歴史の流れと霊峰の実態を理解することにより、山に纏わる由緒と共に、「霊峰」として崇められるようになった理由を見極めることができるはずです。霊峰として選ばれる山々の選定は、その選択基準によって大きく左右されるだけに、正しい歴史的解釈と宗教概念をもって見定めることが重要になります。そこで日本の古代史を振り返りながら、国生みの時代を経て、いかに山々が「霊峰」として崇められるようになったか、そのきっかけと可能性について考えてみました。太平洋に浮かぶ多くの諸島においても、古代より宗教的行事が山々で営まれてきた島は少なくありません。しかしながら、日本のように整然としたしきたりや細かな儀式が長年にわたり踏襲され、山々においても神が崇められ、その頂上や麓にも神社が建立され、複数の山そのものが神聖化するというような事例は世界でも類をみません。古代、何らかのきっかけがあったからこそ、日本固有の「山の宗教文化」が培われることになったと考えられます。その背景を探るためにも、古代史の流れを理解するための前提となる様々な歴史的要点を、グローバルな視点から見直すことが不可欠です。そこで、諸説はあるものの日本の有史が始まった可能性のある紀元前7世紀前後と同時期に、西アジアにて国家を失ったイスラエルの民が離散して世界各地へと移住したという史実に注目し、離散したイスラエル人と日本の接点を考えてみました。すると古代、アジア大陸よりイスラエルからの移民が大陸沿いに海を渡り、最終的に日本列島に住み着いて国生みを実現し、日本の有史が始まったという想定も、可能性として見えてきます。そしてイスラエルからの渡来者が国生みに関わったと考えることにより、古代史における様々な疑問が解かれていくことがわかります。これが「日本とユダヤのハーモニー」を考察する原点となります。例えばイスラエルの民は、聖書に書いてある言葉を神の言葉と信じる民族としても知られています。それ故、西アジアから渡来したイスラエルの民が日本の霊峰を見出した張本人であるとするならば、それらの高き山を霊峰として求めなければならない理由があったはずです。果たして、聖書には霊峰についての教えが記載されているのでしょうか。