ブックタイトル日本シティジャーナル vol.204
- ページ
- 1/4
このページは 日本シティジャーナル vol.204 の電子ブックに掲載されている1ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 日本シティジャーナル vol.204 の電子ブックに掲載されている1ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
日本シティジャーナル vol.204
2020年(令和2年)4月11日発行第204刊毎月第3土曜日発行購読無料日本シティジャーナルvol. 204Nihon City Journal発行:サウンドハウス〒286-0825千葉県成田市新泉14-3TEL 0476-89-2333 FAX 0476-89-2334[平日]10:00~17:30[土曜]12:00~17:00http://www.nihoncity.com成田市、佐倉市、印西市、富里市、香取市、山武市、八街市、匝瑳市、四街道市、東金市、銚子市、旭市、栄町、東庄町、神崎町、酒々井町、多古町、横芝光町、芝山町、九十九里町、稲敷市、龍ケ崎市、河内町発行部数:300,000部ADHD「注意欠陥多動障害」の実情ADHDの理解を深めることにより子育てが楽になる?!ADHDという言葉をご存じでしょうか?アメリカの著名な映画俳優、トム・クルーズ氏の教育方針も応用を効かせて四国剣山に纏わる神宝の伝承を再検証!はADHDであることを告白した役者としてあまりに有名です。実は、映画監督の巨匠であるスティーヴン・スピルバーこえてきたのです。何がおきNCJ109日本とユダヤのたのかと慌てて子供の部屋にハーモニーから続く行ってみると、あの穏やかで東グ氏アジアや、アップル史社のを創塗業者り、替大えたイスラエル人でもA D H Dの人が大勢民族げていたのです。その大移動の潮衝撃流音スティーブ・ジョブズ氏、そしてIT企業の先端を行くマイクロソフト社の創業者としてあまりにも有名なビル・ゲイツ氏もADHDであったことが知られています。多くの著名人が名を連ねることから、ADHDは有能な出世者の代名詞かと勘違いする方も少なくないかもしれません。そもそもADHDとは、Attention-deficit hyperactivitydisorderという英語の略称です。とても長く難しいアルファベットの連続ですが、直訳すると、「注意欠陥多動障害」となります。これは、不注意が際立ち、衝動的にパッと動いてしまうという症状を特徴とする発達障害、行動障害のことをさし、その略称として頭文字からA D H Dと読みます。日本語では言葉の最後に障害と書き記すことから、何らかの精神疾患に関わる病気のように思われがちですが、実はそうとも限らないようです。欧米諸国では思いの他、ありきたりの性格のように考えられている節もあります。だからこそIT業界や芸能界を中心に、大活躍をしている著名人の数々が、何ら躊躇することなく自らがADHDであることを告白しているのです。欧米では、少なくとも人口の3-4%はADHDの疾患をもっていると言われており、一説によると、10人に1人とも言われています。特にアメリカでは、ADHDに対する社会の理解は進んでおり、学校教育においてもADHD対策が積極的になされています。例えば私立の学校では入学の願書に「ADHDですか」という質問が含まれていることが多く、正直に「はい」と答えたからといって、何か入学の妨げになることはありません。あくまで教育の一環として学校側がADH Dであることを知ることにより、先生いくという工夫がなされます。日本でも同様に、ADHDの疾患を抱えている人達は多く、子供達だけでなく、実はいるようです。しかしながらA D H Dの実態について、社会的に十分な認知がされていないことから、ADHDであることさえ知らない人が多いだけでなく、その対策も後手に回ることが多いようです。アメリカのようにADHDを前向きに捉えることができるような社会的風潮をつくりだすことにより、より多く人が理解を深め、ADHDに対してきちんと向き合えるようになるだけでなく、むしろ自分の持ち味とし前向きに取り組んでいくことさえ不可能ではありません。そのADHDに纏わる自らの体験談を紹介しましょう。子供の不可解な行動に潜むADHDの影ADHDのことなど全く知らなかった頃、私は4人の子供を育てながら、そのうち2人の行動に、時折首をかしげることがあったことを覚えています。まず、次女は1歳の頃からひたすら大人の耳を触りたがる癖がありました。耳たぶを触っている時は、いつも楽しそうであり、ニコニコとほほ笑んでいたのです。そういう習性も子供にはあるのか、と当時は気にもしませんでした。小学校に入ると何故か、忘れ物が多くなりました。せっかく用意した体操着や勉強道具を、学校に行く際に持っていくことを忘れてしまうのです。学校からの連絡帳にも「忘れ物」という先生からの指摘も目立っていました。しかしながら、子供だから仕方ないことかなと、勝手に解釈していたのです。その次女が小学校4年生になったある日、家庭教師の先生と家で勉強をしていた時、事件がおきました。先生と2人で勉強しているはずの部屋から突然、大きな衝撃音が聞熱心な先生が怒り狂っていたのです。「今、言ったことを何で忘れるの!」「今、やったばかりじゃないの!」と悲鳴をあとは、あまりのストレスから家庭教師の先生が思いっきり壁を足で蹴ったことによるものでした。壁には穴があいていました!今、言われたことを、次女は本当に忘れてしまうのだろうか、と半信半疑に思いつつも、先生のストレスレベルが相当ひどいことは、一目見てわかりました。ところが、先生の涙ながらのクレームとはうらはらに、次女はニコニコと普段の表情のまま、さりげなく座っているのです。その日を最後に家庭教師の先生は去っていきました。それからというもの、少しずつ次女の行動パターンを見つめ直すようにしました。すると確かに物忘れがひどいことが多いだけでな最終編く、今、言ったことさえ全く聞いてないのか、わからないふりをすることがあることに気が付きました。子供だからこんなものかと、当時は思っていたのですが、それがADH D特有の疾患であるとは気付けませんでした。我が家における子供の教育事情は、次女よりも5歳年下の次男が幼稚園に入学した頃から煩雑になり、多くの時間を費やすことになりました。次男は幼児の頃から重症の喘息を患い、行政からも重症の小児慢性特定疾病と認定され、ひどいアトピーも併発したことから、病院通いが続きました。そして小学校に入学してから段々と症状が改善しはじめ、健康な体になりつつあったある日、学校の授業参観に初めて父親一人で参加することになりました。その授業で目のあたりにした自分の子供の異常な行動は、今でもはっきり覚えています。まず、先生がクラスの子供達全員に質問を投げかけると、必ずといっていいほど我が子は手を挙げ、大-1-きい声で「はい、先生!」「はい!」といって真っ先に話したPart.IIがるのです。最初は単に元気があって、しかも答えたがっているだけかと思ってみていました。ところがいったん教室を出て生徒が一列に並ぶという先生の指示の時、我が子は何と、クラスメートの友達をかきわけて一番前に立ったのです。順番に並ぶことを嫌がり、ひたすら先頭に立ちたがっている様子がうかがえました。これも単なる元気の現れでしょうか。そんなある日、小学校の担任の先生から電話がかかってきて、「急いで着替えをもってきてください!」という連絡を受けました。というのも、我が子が学校の校庭の脇にある池に落ちたというのです。「まさか?」と思い学校に駆けつけてみると、教員室で体操着を着て待っている子供がいました。そこで本人に聞いてみると、池の中の魚を見ているうちに滑って落ちたとか。。。ところが、この池落ち事件がその後も続き、都合3回も池に落ちたのです。都度、父親は学校に呼ばれて着替えを持って行くことになったのですが、わざと落ちたとしか考えられず、さすがに開いた口がふさがりません。これはおかしい、と思わざるをえない一件でした。次男が小学校5年生になると、さらに不可思議な問題が多発しました。ある時、学校長から連絡があり、女の子に雪の玉をぶつけて泣かせ暴言を吐いた、というのです。そんなことをするような子ではないと思ったのですが、それからしばらくして再び学校から連絡が入り、今度は学校の消火栓を手で触ってそれを勝手に使おうとした、というのです。さすがにこの行動には驚きました。消火栓に手を出す、というのは考えられないことであり、なぜ、そうしたがったのかさえ理解することができませんでした。学校で目立ちたく、先生から叱られることを欲するあまり、わざと悪いことをしているようにも思えてきたのです。ある日、小学校6年生になった次男と一緒にアメリカを旅する機会に恵まれました。そしてニューヨークの空港から日本に帰国する際のことです。空港に到着する時間が大幅にずれてしまったため、子供とは別々の時間にチェックインすることになったのです。別々の席に座ることになっていたことからチェックインは子供に任せていましたが、なかなか飛行機に乗ってこないな、と思って待っていると、何と、車いすに乗せられて職員の方に付き添われて機内に入ってきたのです。何がおきたかわからず心配になって本人に聞いてみると、その答えに、再び開いた口がふさがりませんでした。本人いわく、一度、車いすで飛行場をツアーしたかったので、「足を怪我している」とチェックインの際に伝えて車いすを用意してもらったとのこと。そんなことを思いつくことさえ、常識では考えられません。が、本人は楽しそうに笑いながら話すのです。ニューヨークの空港では障害者が利用できるVIP専用の通路があるらしく、普通では見ることのできない空港設備の数々を見ることができたので、良い体験だったと。。。。この時、はじめて自分の子供に何か問題があると思い始めました。次男の度を超えたパフォーマンスはその後も続き、親として大変な労力を浪費することとなりました。最もひどい事例が失神を装う仮病です。そのパフォーマンスは一流の役者顔負けの現実感あふれるものであり、しばらくの間は父親も翻弄されることになりました。何しろ東京女子医大という大型の総合病院で床に倒れて失神した「ふり」をするのですから、これはたまったものではありません。そして失神の頻度が多いことから即、入院となり、様々な検査をすることになるのですが、1週間後にでた検査結果は何と、「仮病ではないか」という先生方の結論でした。驚きの結果とともに、次男は何等かの精神的な病気をもっている、という確信をもったのも、ちょうどこの頃でした。ADHDとの出会いからはじまる謎解きその後もハプニングは無数に続きました。仕事に追われる日々を送りながらも、子育てに余儀なく時間を費やすのですが、その問題の原因