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人生いろいろ、マラソンいろいろ
ベルリンマラソンが最後の激走マラソン体験となってしまうのか ! ?

2004年9月26日、早朝5時、ドイツ、ベルリンの街中はひっそりと静まり返っています。およそ4時間後にヨーロッパ最大のスポーツイベントとも言われるベルリンマラソンが開幕します。マラソンとは病み付きになるものでしょうか?あれ程つらい体験を2度繰り返したにもかかわらず、ふと気が付くと初マラソンからまだ1年も経っていない今日、3度目のマラソンに挑戦している自分が佇んでいました。

マラソン歴1年にも満たない未熟なランナーではありますが、ホノルルでの初マラソンにて4時間を切るサブフォーを達成。それから3ヶ月後のロスアンジェルスではさほど練習もせず30度を超える炎天下の中、3時間42分で完走することができましたが、もしもスタート直後にトイレに寄り道をするアクシデントがなければ、もう2分早くゴールすることができており、LA TIMESという新聞にLAマラソンのトップ500ランナーとして名前が掲載されたはずでした。その大変悔しい思いから、来年こそ3時間をきってトップ100に入りたいと夢が膨らみ始め、その前哨戦として、レース記録が出やすいベルリンで自分の本当の力を試すことにしました。

ベルリンマラソンの目標

ベルリンではとにかく自己最高記録の更新ということで、3時間10分台で完走することを目標に定めました。初マラソンが約4時間、2回目が悪条件の中20分短縮されて3時間42分、ならば3回目は更に20分短縮して3時間20分を切れるであろうというのがその根拠です。ベルリンは平坦なコースのため坂道の嫌いな自分にとってはまさにうってつけですし、気温も低く、条件的には良い記録が出て当たり前のように思えました。もう1つの隠れた目標は、女優ランナーとして有名な長谷川理恵の記録を破ることです。以前からちょっと気になっていたのですが、プロのコーチがついて皇居の周りを毎日走りながらトレーニングを積んでいるとはいえ、女優に負けては男がすたる、というのは自分の持論です。そういうたわいのないことでも考えなければ、長時間にわたる「責め苦」を耐え忍んで記録に挑戦することなどできません。

マラソンはアンチエイジングの強敵

「責め苦」といえば、マラソンほど厳しいスポーツはありません。どんなスポーツでも我慢はつきものですが、マラソンの場合、その耐える時間が異常に長いだけでなく、途中の休憩も許されず、まともに水も補給できず、体力の消耗が厳しいのです。それ故、マラソンから生じる肉体の疲労やダメージは、寿命を縮めるのではないかと真剣に考えてしまう程です。

そんな不安が脳裏をかすめる中、アンチエイジングの権威である米井先生の人間ドックをレースの直前に受ける機会がありました。先生のドックでは一般的な血液検査やCTスキャン、X線の検査だけでなく、アンチエイジングに関連した検査も同時に行い、老化の進み具合の基準となる骨密度や血管の具合なども測定します。私も実際の年齢よりも15歳は若い骨密度をここ数年誇っていたのですが、1年ぶりに行った今回のテストで衝撃的な結果を目にしてしまいました。マラソンを始めたことによる影響が多大にあることは間違いないようなのですが、血管年齢が突然60歳まで老化しており、これ以上の血管に対するストレスは脳梗塞を発症させる危険性があると米井先生から指摘されてしまったのです。

何故マラソンにより血管がストレスを受けるか、その理由は素人の私でもおおよそ理解できます。誰でも速い速度で走ると1時間に1リッターは汗をかくので、3時間走り続けると、都合3リッター程の汗を流すことになります。しかし実際に走りながら補給できる水分は0.5リッターもないのです。その為、マラソンの最中に体内の水分が極端に不足し、サラサラの状態であるべき血液がドロドロになってしまい、血管に大きなストレスがかかってしまいます。私自身の心肺機能は大変強く、常に脈拍は落ち着いていますが、実は血液循環の大元である血管に大きな落とし穴が潜んでいたのです。マラソン人生に命を賭けるか、それとも見切りをつけるか、どちらかの選択を迫られているようです。

マラソンにはハプニングがつきもの

レースの当日、天候は予報どおり小雨交じり、気温はスタート時点でおよそ10度。最高気温も予想は15度ということで、マラソンランナーにとっては記録の出やすい絶好の日よりです。しかしながらホノルル、ロスアンジェルスと30度前後の陽気でしか走ったことの無い自分にとっては、この寒さが逆に心配です。とにかく一番注意したのはトイレです。ロスアンジェルスではトイレの行列が長いため、レースの30分前しかトイレに行けず、結局走っている途中でトイレに駆け込むというハプニングを体験しています。その教訓を活かして今回は必ずスタート直前に膀胱を空にすることを必須条件としましたが、ベルリンでは心配無用であることがすぐにわかりました。スタート地点の周辺は木が生い茂る公園であり、男性はみな木に向かって至る所で立ち小便をしているではありませんか!公衆の面前でこれほど大人数のタチションを見かけることができるのは正にベルリンだけ!これがドイツ流だ、と割り切って小生も1本の木に向かって肥料を与えた後、スタート地点へ向かいました。

4万人が結集してスタートする地点はAからHまでの8セクションに分かれています。世界のトップランナーはセクションA。3時間10分台で走る予想を立てていた私は以前の記録をベースに決められていたセクションFからDに変更して頂き、スタート時には先頭からおよそ10数メートルという近い距離に立っていました。とても快適な気分です。全然すごくないのに、何だか自分が有名なランナーになったような錯覚に陥る最中、スタートのガンが響き渡りました。

最初の10kmで気が付いたことは、まず異常にコースが混んでいる為、暫く走った後でも時々他のランナーと肩がぶつかることです。そしてランナーのレベルが大変高いことには驚かされました。3時間ペースの速いスピードで最初から走っているにも関わらず、何十人ものランナーにすいすい追い抜かれていくのです。さすがに世界のトップランナーが結集するレースであることを身をもって体験しました。特に驚いたのはケニアから参加の2人組です。寝坊して遅刻してきたのでしょうか、後発隊のグループから10km地点で、自分が走る集団を一気に追い抜いて行きました。時速20キロを超える猛スピードで先頭集団目指して爆走する彼らの後姿は正にカモシカのようであり、周囲のドイツ人ランナーも「オー、ケニア!」と走りながらも爆笑していました。

さて15km地点でアクシデント発生です。左膝のじん帯が慢性の炎症を起こしているためにしっかりと頑丈に巻いたテーピングが、小雨のせいで走っている途中に剥がれ始め、10cm程ぶらぶらと垂れ下がってしまいました。気になるために、途中ほんの一瞬止まってその部分だけを剥がそう思って引っ張ると、何とひざのテーピング全部が一緒になって剥がれてしまったのです!最悪の事態が発生しました。もはや運命を天に任せるしかありません。

ラップタイム表

ランニングマシンで1年近く定速で走る練習をし、自分が走っているスピードは直感的にわかるようになっていたので、時計も持たずに5kmを21-24分のスピードで走ることができるのが自分の特技です。この動物的な感覚のタイマーは大したものでした。実際のラップタイムと、当初3時間10分台で走り抜けるために想定した予想時間は35kmまでの間、毎5kmで3分の狂いもありません。見事に計画通りの走りを貫いています。しかもハーフタイムは1時間33分台。やる気になれば十分サブスリーを実現できる良い記録です。しかし、薔薇色の激走はそこまででした。

小雨が時々降る中を、膝の具合を心配するあまり走ることに集中できず、誰もが苦しむ35km地点で異変が起きました。まるで体の細胞が至る所でことごとく崩壊していくような苦痛が次々と襲ってきたのです。まず左の大腿筋が痛み始め、肉離れの危険性を感じました。その直後、足の裏が異常に痛くてつらいと感じ始めるやいなや、突然両足の足首から下が鉛のように重たくなって、感覚が無くなってしまったのです。手の指もいつの間にか麻酔をかけられた様にしびれた状態を超えて無感覚になっています。今までの体験した失速とはちょっと訳が違うようです。そしてなぜこのような状況になっているか良くわからないまま自問自答を繰り返している内に、一気に走る気力が無くなってしまったのです。結局のところ、実にふがいないのですが、あと5km程でゴールという所まで来たにも関わらず、頑張って走り続けることを断念してしまったのです。と言ってもコースの途中で棄権することは屈辱に耐えられないため、スピードを一気に半分に減速し、最後の数キロでは悪夢の失速を再び体験しつつゴールに辿り着きました。

マラソン人生にも色々ある中、私のように1年足らずでマラソンを海外で3つも走り、すぐにマラソンを断念することを考える人も珍しいかもしれません。しかしドクターストップがかかっており、命の危険を指摘されてもそのリスクを承知の上でマラソンを走り続けるのは確かに無謀です。そこまでして命を賭けるなら、もっと人のため、世のためになることをして死にたいものです。人生色々、マラソンも色々。35kmまでを豪快に、且つ予定通りに2時間43分で走った、という自画自賛の記録を心に秘めて、マラソン人生に終止符を打つべきかなと自分に言い聞かせているこの頃です。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部