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-私のラクダ- 5

国連のオフィス前で

前回は、私がソマリアで飼っていたラクダのダアリを何とか乗り回そうと調教を始めた話でしたが、今回はその続きです。

ダアリのベビーシッターは、天井からぶら下がってダアリに乗るという練習をその後何日も続けたようです。ある日、私が野原で草を食べているダアリを見に行くと、「いいか見ていろよ」といってダアリの後ろから近づき、いきなりダアリの背中にジャンプして飛び乗ったのです。びっくりしたダアリは、男を乗せていきなり走り出しました。彼も必死でしがみついていましたが、30メートルくらいが限界で、ぱっと飛び降りてしまいました。これが、ダアリが人を乗せて歩いた(というよりも走った)最初です。しかしいくらなんでも、あんなふうに後ろから立っているダアリに飛び乗るなんて芸当は、私にはできそうもありません。やはりラクダには座ってもらわなくてはなりません。

それから私はダアリを座らせる練習を始めました。「ハーッ」と声をかけながらダアリの手綱を下に引き、ひざを折らせるのです。ラクダを観察したことのある方ならご存知と思いますが、ラクダは座るときにはまず前足の両膝をほぼ同時に折って前かがみになり、それから後ろ足も上手に畳み込むように折ってぺたっと正座するのです。立ち上がるときはその逆です。はっきり言ってダアリは、気立てはいいけれど頭のほうはそれほどよくありません。覚えさせるのは根気がいります。しかし私も仕事以外は他にすることがない毎日ですから、せっせとダアリを仕込みました。するとやがて私の命令を聞き分け、座れといえば座り、立てといえば立つようになりました。日本語ではなく、どれも「ハーッ」の一言と手綱さばきです。ここまで来ると、よし、いよいよ乗るときが来たと思いました。とはいえ、急に暴れだしたら振り落とされるのは目に見えていますから、かなりどきどきでした。それでも意を決し、座っているダアリにやさしく声をかけ、ソマリア人の友人たちに手綱を握ってもらい、ダアリの背中をまたぎました。まだ子ラクダですから、座っているダアリの背中をまたげるのです。そしてダアリのこぶにつかまりながらそろそろと腰をおろしました。私が80キロ近い体重をかけてもダアリは動きません。そこでダアリに立ち上がるように命じました。すると突然がくんと体が前倒しになりあわててこぶにしがみつきました。ダアリが後ろ足を伸ばしたのです。そしてすぐに前足を伸ばしました。前かがみになっていた体は、水平になり、私はダアリに乗っていました。まったく暴れませんでした。やった、と思いました。観客も歓声を上げました。それから手綱を引いてもらいながらそろそろと歩き始めました。いい気分でした。ダアリを買ってから3ヶ月でついにダアリに乗ったのです。

それからの毎日は、楽しくて仕方がありませんでした。乗れば乗るほどダアリと私の一体感は深まり、私の言うことを聞くようになりました。最初のうちは、立たせたのはいいけれども少しも歩いてくれなかったり、歩き出したら今度は止まらずにあせったりしたこともありましたが、やがて私はダアリを意のままに乗りこなせるようになりました。鞍は付けず、くつわもしません。頭から首にかけて巻きつけた縄一本だけで、こぶにつかまり、両足でダアリの腹を締め付けてバランスをとるのです。ラクダは驚いたときしか走りませんから、乗馬のような技術がなくても乗れるのです。徒歩より少し早いくらいのペースでひたすら歩き続けます。(次回に続く)

(文:井上 健)

井上 健(いのうえ けん)

井上 健(いのうえ けん)

1957年東京生まれ。早稲田大学政経学部在学中に400日間世界一周の一人旅をし、国際協力の道に志す。卒業後、イギリスのサセックス大学開発研究所に留学、開発学修士号取得。その後、国際公務員として、ワシントン(世界銀行)、トリニダード・トバゴ(国連開発計画)、タイ(国連カンボジア人道支援室)、カンボジア(国連カンボジア暫定統治機構)、ソマリア(国連ソマリア活動)、スイスとドイツ(国連ボランティア計画)、コソボ(国連コソボ暫定統治機構)、東京(アジア生産性機構)に勤務し、現在は東ティモールの国連統合ミッションでガバナンス部長を務める。専門は、国際開発協力、人道支援、平和維持・構築など国際協力業務一般。好奇心が旺盛で、世界各地を訪ねて、何でも食べ飲み人々と交流することが大好き。これまで住んだ国は12カ国、訪れた国は80ヶ国余り。毎週必ず何かひとつ生まれてはじめての経験をすることを心がけている。

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