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-私のラクダ- 最終回

散歩中

私のソマリアで飼っていたラクダのダアリの話も今回で終わりです。ダアリのおかげで、私は内戦下のソマリアというどうしようもない状況下で仕事をしながら、ノイローゼになることも仕事のストレスをためることもなく、楽しい生活を送ることができました。また仕事の上でも、現地の人々の信頼と協力を得るためにどれほどダアリが貢献したかわかりません。しかし、そんなダアリとも別れの日が近づいてきました。私にジュネーブでの仕事がオファーされたのです。私は真剣にダアリをジュネーブに連れて行こうと考えました。しかし当時の国連の規定によると、離任に当たっての荷物の別送品は150キロまでだったのに、ダアリの体重はすでに250キロくらいありました。どう考えても、ダアリをジュネーブへは連れて行けそうにないし、連れて行ってもレマン湖のほとりで飼うわけにもいかないだろうと考え、ダアリはソマリアに置いていくことにしました。ダアリにとってもその方がいいと思ったのです。

ベビーシッターの男には前金で半年分の給料を渡して、「お前にダアリを預けるからしっかり面倒を見てやってくれ。ダアリがもう少し大きくなったら子供を生ませて、その子はお前にあげるからどう処分してもいい。乳も生活の足しになるだろう。しかしダアリだけは売ったりしないで飼い続けて欲しい。いつの日かソマリアに平和が戻ってきたら必ずダアリに会いに戻ってくるからな。」と話してダアリの世話を頼んだのです。「平和になってバイドアの町にも観光客が来たら、ダアリの背中に乗せればきっと儲かるぞ。それまで頑張れよ。」とも言っておきました。

私がバイドアの町を去る前日、オフィスのソマリア人が集まって送別会を開いてくれました。その席で、わたしに真っ白い布でできたソマリアの服と革靴とナイフを贈ってくれて「お前は今日から人道支援のウガスだ」というのです。ウガスとは村々の村長たちの上に立つ首長のことで、ソマリアの地域社会を治めるいわゆる長老です。そんなウガスの称号をもらったのです。話はそれますが、私が知り合ったウガスのひとりは60歳くらいでしたが、子供が100人近くいるというのです。でもイスラム社会でも奥さんは4人までと決められているはずなので、子供100人は無理です。そこでその疑問を率直に尋ねたところ「なに、ひとつの村につき4人までだ。俺は20以上の村を治めているウガスだからな。こうして村を訪ねていくと、各村の村長や有力者に是非娘を奥さんにしてくれと頼まれてな。仕方がないんだ、これも。」とすまし顔でした。私がウガスに任命されたのは離任直前だったため、村長さんから依頼を受けることはありませんでしたが、もっと前だったら困っただろうなと感じた次第です。

さて、バイドアを去る日の朝、最後にダアリに一乗りして私は別れを告げました。以来10年余り、いまだにダアリとの再会は果たせていません。ずっとソマリアで内戦が続いているためです。私が住んでいたバイドアの町も他の軍閥に攻撃され、指導部が代わったと聞きました。私の友人たちやベビーシッターとダアリは無事だろうかと気がかりです。でもラクダの寿命は20-25年とききますので、ダアリも健在ならばまだまだ女ざかりで頑張っているはずです。実際、ダアリはすでに2頭の子供を生んだようだと、数年前に風の便りで聞きました。子ラクダたちと一緒に、首から私の作った身分証明書をぶら下げてソマリアの大地を歩き回っているダアリを想像すると、厳しくも楽しかった日々がなんとも切ない気持ちで思い出されます。ソマリアに平和が戻る日が近いことを祈って、「私のラクダ」、ダアリの話を終わります。次回からは、「私のカメレオン」の話を書きます。

(文:井上 健)

井上 健(いのうえ けん)

井上 健(いのうえ けん)

1957年東京生まれ。早稲田大学政経学部在学中に400日間世界一周の一人旅をし、国際協力の道に志す。卒業後、イギリスのサセックス大学開発研究所に留学、開発学修士号取得。その後、国際公務員として、ワシントン(世界銀行)、トリニダード・トバゴ(国連開発計画)、タイ(国連カンボジア人道支援室)、カンボジア(国連カンボジア暫定統治機構)、ソマリア(国連ソマリア活動)、スイスとドイツ(国連ボランティア計画)、コソボ(国連コソボ暫定統治機構)、東京(アジア生産性機構)に勤務し、現在は東ティモールの国連統合ミッションでガバナンス部長を務める。専門は、国際開発協力、人道支援、平和維持・構築など国際協力業務一般。好奇心が旺盛で、世界各地を訪ねて、何でも食べ飲み人々と交流することが大好き。これまで住んだ国は12カ国、訪れた国は80ヶ国余り。毎週必ず何かひとつ生まれてはじめての経験をすることを心がけている。

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