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-私のカメレオン- 5

写真 /私のカメレオン

写真 /私のカメレオン

前回は、コオロギの宅配便を利用することによって、私が飼っていたカメレオンのファーティマの餌の心配がなくなったことを書きました。ついでにもう少しコオロギのことを書いておくと、100匹のコオロギは、それは良い声で鳴きました。秋の夜にコオロギが鳴くのはいいもので、私は結構聞きほれていました。ところが、毎晩毎晩コオロギの音色が小さくなっていくのです。しばらく経つと、とうとう何の音色も聞こえなくなりました。「そして誰もいなくなった」というわけです。このときは改めて生物界の冷酷さを思い知らされ、カメレオンとコオロギの双方に感情移入をしてはいけないなあと実感した次第です。

ファーティマは長い舌をぺろりと伸ばしておいしいコオロギを食べまくり、元気いっぱいのようでした。元気といっても別に活発に動き回るわけでもなく、相変わらず枝にじっと止まっているだけです。そこでファーティマを街に連れ出すことにしました。とはいえ特別なものが必要なわけではなく、ただ肩に載せるだけです。ファーティマは小さな手足でしっかりセーターにしがみついていますから、ちょっと歩き回ったくらいで振り落とされることはありません。自分でどこかに飛び移ろうなどという気もさらさらないようです。かくて私はファーティマを肩に載せてジュネーブの目抜き通りを歩き回りました。すれ違う人でファーティマに気がつく人はいませんでしたが、私がウィンドウショッピングなどをして立ち止まっていると、隣にいた人が突然ファーティマに気がつき、びっくりしていました。今思えば馬鹿馬鹿しい話ですが、私はそれが面白くて、得意げにファーティマを見せびらかしたり持たせてあげたりして喜んでいました。ファーティマは嫌な顔ひとつせずに(あまりカメレオンに表情はないのですが)、それなりにみんなに愛嬌を振りまいていました。

ところで、ジュネーブに住んでいると物価の安いフランスに毎週末のように買い物に出かけるのですが、ある日ファーティマを連れてフランスのスーパーまで買い物に行った帰りに、なんと税関でファーティマが見つかってしまったのです。このときは結構大変でした。税関の官吏に、どこでこのカメレオンを手に入れたのか、なぜ連れまわしているのかなどとさんざん尋問され、挙句にこれはワシントン条約に違反しているのではないかと言い出すのです。ワシントン条約というのは、ワシントンで1973年に採択された「絶滅の恐れのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」というのが正式名称で、この付属文書に記載されている動植物を、国境を超えて移動させる際には、輸出入の許可が必要とされています。当時の私は、カメレオンがワシントン条約の対象動物かもしれないなどとは考えても見ませんでした。今調べてみるとカメレオンは付属文書IIに記載されています。付属文書Iに記載されている種は(たとえば象やトラやサイなど)、絶滅の恐れがあるので商業取引は原則として禁止されており、付属文書IIに記載されている種は(たとえばカバや北極クマやカメレオン)、現在は絶滅の恐れはないが、将来的にその恐れがあるので取引が制限されています。しかし、当時はまだカメレオンは付属文書IIにリストされていなかったようで、税関官吏が分厚い本のページを隅々まで調べ上げた末に、ファーティマはシロとみなされ無罪放免になりました。

(文:井上 健)

井上 健(いのうえ けん)

井上 健(いのうえ けん)

1957年東京生まれ。早稲田大学政経学部在学中に400日間世界一周の一人旅をし、国際協力の道に志す。卒業後、イギリスのサセックス大学開発研究所に留学、開発学修士号取得。その後、国際公務員として、ワシントン(世界銀行)、トリニダード・トバゴ(国連開発計画)、タイ(国連カンボジア人道支援室)、カンボジア(国連カンボジア暫定統治機構)、ソマリア(国連ソマリア活動)、スイスとドイツ(国連ボランティア計画)、コソボ(国連コソボ暫定統治機構)、東京(アジア生産性機構)に勤務し、現在は東ティモールの国連統合ミッションでガバナンス部長を務める。専門は、国際開発協力、人道支援、平和維持・構築など国際協力業務一般。好奇心が旺盛で、世界各地を訪ねて、何でも食べ飲み人々と交流することが大好き。これまで住んだ国は12カ国、訪れた国は80ヶ国余り。毎週必ず何かひとつ生まれてはじめての経験をすることを心がけている。

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