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-国連職員の仕事- 2

写真 /空爆されたビル

写真 /空爆されたビル

前回、国連の業務は、世界の平和と安全に関する仕事と世界の社会経済発展に関する仕事に大きく分けられると書きましたが、今回から、平和と安全に関する仕事の具体例としてコソボにおける国連の平和維持活動をとりあげ、国連職員としての私自身の経験を紹介します。

コソボ紛争の背景について一言で書くことは不可能です。かつてヨーロッパの火薬庫とよばれたバルカン半島は、多くの民族が千年以上にわたって対立を続けてきた地域です。第二次世界大戦後、故チトー大統領の強い指導力の下に多民族が旧ユーゴスラビア連邦を作って平和共存を進めてきたのですが、1980年にチトーが死去し、冷戦が終焉するにつれて、連邦というたがが次第に緩み始め、最後には完全に外れてしまいました。その過程で積年の民族対立の記憶がよび起こされ、憎悪の炎が燃え盛っていったのです。セルビア系住民が大多数を占めているセルビア共和国の中で、コソボ自治州だけは人口の約9割をアルバニア系住民が占めています。セルビア系住民とアルバニア系住民は言葉も宗教も異なる民族です。アルバニア系住民は、自分たちの祖先は太古の昔からこの地に住んでいたのであり、コソボはわれわれの土地であるとして、独立を要求してきました。これに対してセルビア系住民は、コソボはもともと無人の土地であったところを自分たちの祖先が開拓し、中世セルビア文明を花開かせたが、1389年のコソボ平原の戦いでオスマントルコに敗れて撤退したのであって、本来セルビア系住民の土地であるといって譲りません。この民族対立を権力闘争に利用した当時のミロソビッチ大統領はアルバニア系住民の自治権を次第に奪い、それに反発したアルバニア系住民はコソボ解放軍を組織して反セルビアの武力闘争を開始しました。そこでミロソビッチは、セルビア人民兵をコソボに送り込み、アルバニア系住民を弾圧し、家屋を次々と焼き払い隣国に追放するという暴挙に出ました。これに対して英米を中心とする国際社会は、ミロソビッチの行為は人道に対する犯罪であるとして、1999年の3月から6月にかけて、NATO軍が中心となってコソボを含むセルビア共和国への空爆を実施しました。これがいまだに論議の的となっている「人道的介入」です。つまり、一般市民を守るためには、人道的な理由で他国に対して武力を行使することも許されるという考え方です。コソボ空爆の当否はおいておくとして、結果として今度はセルビア民兵のみならず、セルビア系住民のほとんどがコソボから出て行くことになりました。そして空爆が終わった直後から、難民として隣国に逃れていたアルバニア系住民が焦土と化したコソボに帰還し始めました。当時のコソボでは、ほとんどの住宅が焼かれ、道路や橋、水道設備、発電所、工場なども破壊されていました。さらに、行政を牛耳っていたセルビア系住民がほとんど出て行ったため、コソボ全土の行政はまったく機能していませんでした。こうした状況下にあって、コソボを政治経済社会文化のあらゆる面において再建することを国際社会から委託されたのが国連でした。これが国際連合によるコソボの暫定統治であり、このために作られた組織が国連コソボ暫定統治機構(UNMIK)です。

1999年8月、私はまだ戦火のくすぶるにコソボに赴任し、スケンデライ・セルビッツァ市の市長に任命されました。

(文:井上 健)

井上 健(いのうえ けん)

井上 健(いのうえ けん)

1957年東京生まれ。早稲田大学政経学部在学中に400日間世界一周の一人旅をし、国際協力の道に志す。卒業後、イギリスのサセックス大学開発研究所に留学、開発学修士号取得。その後、国際公務員として、ワシントン(世界銀行)、トリニダード・トバゴ(国連開発計画)、タイ(国連カンボジア人道支援室)、カンボジア(国連カンボジア暫定統治機構)、ソマリア(国連ソマリア活動)、スイスとドイツ(国連ボランティア計画)、コソボ(国連コソボ暫定統治機構)、東京(アジア生産性機構)に勤務し、現在は東ティモールの国連統合ミッションでガバナンス部長を務める。専門は、国際開発協力、人道支援、平和維持・構築など国際協力業務一般。好奇心が旺盛で、世界各地を訪ねて、何でも食べ飲み人々と交流することが大好き。これまで住んだ国は12カ国、訪れた国は80ヶ国余り。毎週必ず何かひとつ生まれてはじめての経験をすることを心がけている。

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