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-国連職員の仕事- 4
越冬対策に奔走する

写真 /焼かれた家屋

写真 /焼かれた家屋

市長の仕事は山ほどあり、あれもこれも同時並行で進めていかなければなりませんが、私が着任した1999年9月の時点で、とりわけ焦眉の問題だったのが越冬対策でした。コソボの冬は厳しく、気温は氷点下20度以下に下がります。6万5千人の市民のほとんどは家を失っています。このままの状況では多数の凍死者が出ることは明らかでした。残された期間は数ヶ月、どうすればよいのか。日本政府も大変心配して多額の資金援助(580万ドル)を申し出ていましたが、ただお金をばら撒くわけにはいきません。いろいろ考えた結果、冬が来る前に全ての家を修復・再建することは不可能だから、とにかく一家族に一部屋を確保することにしました。一軒に4部屋あれば4家族で共同使用してもらうわけです。そして各村で実施される修復作業をモニターするために日本のNGOに協力を依頼し、日本人国連ボランティアを20名採用することにしました。

ボランティアが到着するまでにしておくべき仕事は、修復に必要な木材・レンガ・屋根瓦などの調達でした。悩んだ末に、リスクを分散させるために半分を地元の業者から、半分を国外の業者から買い付けることにしました。私は町中の建設資材業者(といってもわずか4社でしたが)の社長を集め、協力を依頼しました。「ご覧のとおり皆さんの村々は破壊された。何とか冬が来る前に一軒でも多くの家屋を修復しないと大変なことになる。ついては採算を度外視しろとは言わないが、できる限り安い値段で多くの資材を買い付けて村々まで運び込んでほしい」と頼み込むと、なんと全員が「これは俺たちの村々を再建する仕事だ。日本や国連が資金援助をしてくれるのだから、そこから利益を得るつもりはない。必要な資材は全部原価でお売りしましょう」と返答してくれた。言ってみれば談合です。ただし彼らの談合は値を吊り上げるためではなく、皆で安く物資を供給するための談合です。実際、彼らの売値は破格の値段でした。ところで、ここで困ったのは彼らへの支払いです。銀行などありませんから、すべて現金決済です。あれやこれやの資材の買い付けには270万マルク(約2億円)が必要だったのですが、これだけの現金をどうやってコソボの田舎町まで運び込むかが大きな問題となりました。

まず、私の同僚が国連のヘリコプターで、隣国のマケドニアからミトロビッツアにあるフランス軍の金庫まで現金を運び込みました。そこからは、私が一度に50-60万マルク(約3000-4000万円)くらいの現金をバッグに入れて、車を一人で運転してスケンデライ・セルビッツアの町までひそかに運び込みました。しかし町にも銀行はありませんから、現金は私のベッドの下に隠しておくしかありませんでした。まさか私がそんな大金をベッドの下に隠しているなんて、誰も思わなかったからこそ上手くいったわけですが、今考えると冷や汗ものです。でも当時はそうするしかありませんでした。そうしない限り、資材の買い付けができず、家屋の修復ができなかったのです。

国外の業者に注文した資材の配送は大幅に遅れ、値段も高く、品質にも問題がありました。結局、コソボの住民の自助努力とそれを助けるわれわれの臨機応変な行動によって、物資の調達は何とか目途が立ったのです。そのころ、日本人国連ボランティアの一団がコソボに到着しました。彼らの奮闘振りについては次回に書きます。

(文:井上 健)

井上 健(いのうえ けん)

井上 健(いのうえ けん)

1957年東京生まれ。早稲田大学政経学部在学中に400日間世界一周の一人旅をし、国際協力の道に志す。卒業後、イギリスのサセックス大学開発研究所に留学、開発学修士号取得。その後、国際公務員として、ワシントン(世界銀行)、トリニダード・トバゴ(国連開発計画)、タイ(国連カンボジア人道支援室)、カンボジア(国連カンボジア暫定統治機構)、ソマリア(国連ソマリア活動)、スイスとドイツ(国連ボランティア計画)、コソボ(国連コソボ暫定統治機構)、東京(アジア生産性機構)に勤務し、現在は東ティモールの国連統合ミッションでガバナンス部長を務める。専門は、国際開発協力、人道支援、平和維持・構築など国際協力業務一般。好奇心が旺盛で、世界各地を訪ねて、何でも食べ飲み人々と交流することが大好き。これまで住んだ国は12カ国、訪れた国は80ヶ国余り。毎週必ず何かひとつ生まれてはじめての経験をすることを心がけている。

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