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-国連職員の仕事- 8
国連の権威の確立をめざす・・・ハンコ事件

写真 /夏のスケンデライ・セルビッツア市

写真 /夏のスケンデライ・セルビッツア市

前回、私が国連によって任命された市長としてスケンデライ・セルビッツア市に乗り込み、そこでコソボ解放軍によって任命されたラマダン「市長」と出会ったことを書きました。市行政の再建が私の任務でしたが、私一人でできる仕事ではありません。いずれにせよ、現にそこに住んでいるアルバニア系住民の協力が不可欠であり、彼ら住民の代表と称するラマダンが私の目の前に現れたわけです。議会制民主主義では、公正な選挙を通じて住民の代表を選びます。しかし選挙がまだ行われていない状況では、誰が民意を代表しているのかなど誰にもわかりません。コソボ解放軍によって任命された「市長」が本当に住民に支持されているのだろうかと疑い出したらきりがありませんが、そんなことを言っていては一歩も先に進めませんから、とりあえずラマダンを私のカウンターパートとして認めることにしました。そして彼の片腕だったファーディルが「副市長」ということになりました。彼ら二人は、いわば、国連による政治的任命です。

それから、彼らを通じて少しずつ市の職員を集め始めました。採用試験などとうるさいことを言っていても始まりませんから、とにかく彼らに任せておきました。コソボの自治権が剥奪される以前に市役所で働いていた職員や、ヨーロッパで勉強して最近コソボに戻ってきたという若い人材が次第に集まってきました。こうして市役所の再建は比較的順調に始まったのですが、すぐに問題がおきました。ハンコです。私はプリスティナ(コソボの首都)にある国連本部からもらった国連のハンコを持っており、私が出す政令にはこのハンコを押すことになっていました。ところがラマダンは、それとは別にコソボ解放軍がつくったハンコを持っていて、それを自分が出す書類に押していたのです。こんなことをされては、だれが市を統治しているのかわからなくなります。私は何度も彼に注意をしたのですが、彼は一向にやめません。そこである日、彼のいないときに彼の使っていたハンコを無理やり押収してしまいました。さすがにこのときは、日ごろ温厚な彼も激怒して私の部屋にやってきました。しかし私もここで妥協していては、いつまでたっても国連の権威を確立することができません。

彼と長々と話をしてわかったのですが、要するに、彼は一応、国連の現地代表である私の下で仕事をしているが、彼の本当の上司はコソボ解放軍の司令官であり、彼にとっては司令官の命令は絶対であり従わざるを得ないというのです。ラマダンとは今後も一緒に仕事をしていかなければならないし、彼の立場もそれなりには理解できたので、結局、その場はお互いに妥協して、ハンコは返すが、状況を互いの本部に報告して、プリスティナのレベルで問題が解決するまではハンコは使わない、ということになりました。

その後、本部でコソボ解放軍といろいろ話をした結果、最終的には彼らが折れて、以後ハンコは国連のものだけを使うということに落ち着きました。こうしてラマダンも上司の「許可」を得て、自分たちのハンコの使用をやめたのです。これでやっと国連の権威も確立してきたと感じ始めたときに、次なるもっと大きな問題が起こりました。それは、コソボの旗をめぐる対立であり、今度の相手は、コソボ解放軍の現地司令官でした。このとき私は、ハンコ事件とは比べようもないほどの強固な抵抗にあったのです。

(文:井上 健)

井上 健(いのうえ けん)

井上 健(いのうえ けん)

1957年東京生まれ。早稲田大学政経学部在学中に400日間世界一周の一人旅をし、国際協力の道に志す。卒業後、イギリスのサセックス大学開発研究所に留学、開発学修士号取得。その後、国際公務員として、ワシントン(世界銀行)、トリニダード・トバゴ(国連開発計画)、タイ(国連カンボジア人道支援室)、カンボジア(国連カンボジア暫定統治機構)、ソマリア(国連ソマリア活動)、スイスとドイツ(国連ボランティア計画)、コソボ(国連コソボ暫定統治機構)、東京(アジア生産性機構)に勤務し、現在は東ティモールの国連統合ミッションでガバナンス部長を務める。専門は、国際開発協力、人道支援、平和維持・構築など国際協力業務一般。好奇心が旺盛で、世界各地を訪ねて、何でも食べ飲み人々と交流することが大好き。これまで住んだ国は12カ国、訪れた国は80ヶ国余り。毎週必ず何かひとつ生まれてはじめての経験をすることを心がけている。

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