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-国連職員の仕事- 10
コソボ解放軍と旗事件 vol.2

写真 /市役所に掲げられたアルバニアと国連の旗

写真 /市役所に掲げられたアルバニアと国連の旗

前回書きましたように、コソボにおいて国連の権威を確立するためには、アルバニア国旗を市役所の前から降ろしてもらう必要がありました。しかし1ヶ月以上もラマダンと話を続けてもまったく埒が明かないので、とうとう私も腹を立て、それなら私が明日の朝一人で降ろすと宣言しました。降ろしてしまえば何とかなるだろうと考えていたのです。ところが次の朝、市役所に行くと大変なことになっていました。

なんと旗を守るようにして、コソボ解放軍の兵士たち数十人が立ちはだかっているのです。腕づくでも旗を守り抜くという示威行為でした。これでは、さすがに私一人ではどうしようもありません。どういうつもりなんだと兵士たちに問いかけても、ルシュタク司令官の命令だとしか答えません。ならば、とにかく司令官と話をしたいと言うと、今夜なら司令部に戻っているから会いに来いとのことでした。やれやれと思いましたが、いまさら後に引くわけには行きません。

コソボ解放軍に脅されて屈服したのでは、国連の権威の確立などできるはずもありません。そこで意を決して、通訳を一人だけ連れて彼の司令部を訪れました。電気がないので真っ暗な町の奥まった高台に、コソボ解放軍の司令部がありました。車で乗り付けると、発電機が動いて建物の前には薄暗い裸電球がついていました。道路から司令部の入り口までは石段が続いているのですが、その両脇に完全武装をしたコソボ解放軍兵士がずらりと並んでいました。

「わが軍の旗を奪おうとした不逞の輩がやってきたようだが、ただでは済まさないぞ」

という迫力でした。まさに敵地にたった一人で乗り込んでいく心境でしたが、なるようにしかならないだろうと腹をくくって、ずんずん一人で階段を上り、さらに司令部の中へと入っていきました。

薄暗い長い廊下を歩いていくと、一番奥まった部屋に通され、そこが司令官室でした。目の前には、あのサミー・ルシュタク司令官が大きな机の向こうに座っており、彼の後ろにはアルバニア国旗が大きく広げて掲げられていました。私は改めて国連の立場を説明し、アルバニア国旗を降ろしてほしいと要請しましたが、彼は頑として聞き入れません。しばらく押し問答が続いたのですが、私はふと彼に、なぜそんなにこの旗にこだわるのだと聞きました。すると彼は急に遠くを見るような目つきになって、語り始めたのです。

「この旗の下で我々は長年コソボの独立のために戦い、多くの同士が死んでいった。この旗には国のために死んでいった多くの同士の血が染み込んでいるのだ。だからこの旗を降ろすわけには行かない。彼らのためにも、私は命を懸けてもこの旗を守るつもりだ」

としんみりと、しかし毅然とした口調でした。ここに至って、私も彼らの苦難の歴史と強い愛国心を実感しました。彼は自分の命をかけてもこの旗を守り抜くだろうと解かった私は、引き下がることにしました。そして国連暫定統治機構のトップである事務総長特別代表に会いに行き、事情を説明しました。

その結果、セルビア人から要請があった場合にはセルビアの国旗も掲げることを条件に、アルバニア国旗を国連旗と並立して掲揚することが認められたのです。スケンデライの町にセルビア人はいまだに戻って来れませんから、アルバニアの旗と国連の旗だけが掲げられているのです。

(文:井上 健)

井上 健(いのうえ けん)

井上 健(いのうえ けん)

1957年東京生まれ。早稲田大学政経学部在学中に400日間世界一周の一人旅をし、国際協力の道に志す。卒業後、イギリスのサセックス大学開発研究所に留学、開発学修士号取得。その後、国際公務員として、ワシントン(世界銀行)、トリニダード・トバゴ(国連開発計画)、タイ(国連カンボジア人道支援室)、カンボジア(国連カンボジア暫定統治機構)、ソマリア(国連ソマリア活動)、スイスとドイツ(国連ボランティア計画)、コソボ(国連コソボ暫定統治機構)、東京(アジア生産性機構)に勤務し、現在は東ティモールの国連統合ミッションでガバナンス部長を務める。専門は、国際開発協力、人道支援、平和維持・構築など国際協力業務一般。好奇心が旺盛で、世界各地を訪ねて、何でも食べ飲み人々と交流することが大好き。これまで住んだ国は12カ国、訪れた国は80ヶ国余り。毎週必ず何かひとつ生まれてはじめての経験をすることを心がけている。

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