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-国連職員の仕事- 17
民族和解vol.6

写真 /コソボの村はずれに経つアルバニア人の慰霊碑

写真 /コソボの村はずれに経つアルバニア人の慰霊碑

この文章が読者の皆様の目に留まるころには、コソボの独立宣言が既に報道されているかもしれません。アメリカやEUの国々は独立を承認し、当然ながらセルビアやロシアは認めないでしょう。国連は1999年以来ずっとコソボの最終的地位に関してアルバニア人とセルビア人との間の調停を続けてきましたが、昨年暮れにとうとう匙を投げました。コソボをセルビア共和国の一部にとどめておきたいセルビア人と、あくまで独立したいアルバニア人との間の溝を埋めることができなかったのです。私は現在、東ティモールに住んでいますが、人口100万人足らずの東ティモールの人々も長い流血の独立闘争の末に、ポルトガルとインドネシアによる支配から独立を果たしました。ですから、セルビア人のコソボに対する歴史的文化的な愛着は理解できますが、200万人の人口の約9割を占めるアルバニア人の独立への思いを断念させることはできないと私は思います。

民族の共存はそれぞれの民族が対等の立場に立ってこそ可能なわけですが、東ティモールやコソボに限らず、かつての欧米や日本の植民地でもそうであったように、ひとつの民族が他の民族を暴力的に支配し、政治的自由を制限し、経済的に搾取し、さらには独自の言葉や文化まで奪い取ろうとした場合には、抑圧された人々は必ず立ち上がるものです。暴力的対立としての民族問題をなくすためには、民族間の政治的権利の平等のみならず、移動・居住・教育・就職・結婚などにおける選択の自由が社会的にも認められ、経済的格差も高いレベルで解消することが必要です。

そして過去の対立による重大犯罪が双方の民族が納得する形で裁かれなければなりません。そうして初めて、民族の差とは結局、言語・宗教・文化の差に過ぎないものであり、それは各民族の個人がそれぞれに選び、守り、発展させていけるものなのだという共通認識が生まれてくると思います。数百年にわたる民族国家の戦争の歴史を経て、ヨーロッパではEUが生まれ、今ではこうした共通認識がはぐくまれています。コソボを含むバルカン半島の民族問題も、いつの日かEUの枠組みの中で解決されていくと思われますが、その日が来るのはまだしばらく先のようです。

さて、話を2000年のスケンデライ・セルビッツア市に戻します。私は、アルバニア人とセルビア人の民族和解の機会を待ち続けていました。アルバニア人の村の指導者は、6月の慰霊祭が終わったらセルビア人指導者と会ってもよいと一度は同意したにもかかわらず、慰霊祭が終わると今度は、戦争中にセルビア人によって連れ去られた二人のアルバニア人と盗まれたトラクターを返還してくれるまではセルビア人との話し合いには応じないと言い出しました。トラクターはともかく、おそらくはセルビアから来た軍によって殺害され、どこかに埋められたアルバニア人をセルビア人の村人が探し出すことなどほとんど不可能です。結局、彼らは話し合いなどするつもりはないのです。私は、村レベルでの和解を進めることをあきらめざるを得ませんでした。

そこで今度は、改めて市レベルでの和解を進めようと考えました。しかし、いきなり市評議会に持っていっても反対されることは目に見えています。そこで、14人のアルバニア人評議員を一人ずつ戸別訪問して、説得をすることにしました。まさに民族和解を願う行脚でした。

(文:井上 健)

井上 健(いのうえ けん)

井上 健(いのうえ けん)

1957年東京生まれ。早稲田大学政経学部在学中に400日間世界一周の一人旅をし、国際協力の道に志す。卒業後、イギリスのサセックス大学開発研究所に留学、開発学修士号取得。その後、国際公務員として、ワシントン(世界銀行)、トリニダード・トバゴ(国連開発計画)、タイ(国連カンボジア人道支援室)、カンボジア(国連カンボジア暫定統治機構)、ソマリア(国連ソマリア活動)、スイスとドイツ(国連ボランティア計画)、コソボ(国連コソボ暫定統治機構)、東京(アジア生産性機構)に勤務し、現在は東ティモールの国連統合ミッションでガバナンス部長を務める。専門は、国際開発協力、人道支援、平和維持・構築など国際協力業務一般。好奇心が旺盛で、世界各地を訪ねて、何でも食べ飲み人々と交流することが大好き。これまで住んだ国は12カ国、訪れた国は80ヶ国余り。毎週必ず何かひとつ生まれてはじめての経験をすることを心がけている。

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