日本シティジャーナルロゴ

-国連職員の仕事- 20
民族和解vol.9 ~最終回~

写真 /スケランデライ・セルビッツア市議会

写真 /スケランデライ・セルビッツア市議会

これまで8回にわたって、コソボにおける民族和解の難しさについて書いてきました。ご承知のようにアルバニア系コソボ人は一方的独立を宣言し、日本を含む多くの国は独立を承認しました。しかし、セルビア系コソボ人との和解の道はまだまだ始まったばかりのようです。

2回目にアルバニア人のネジャットが「セルビア人を信用するな」というおじいさんの言葉を子供に伝えていくという話を書きましたが、これについて読者の一人から、「インターネットなど情報伝達手段が豊富で便利になるほど、本来、交流が盛んになり、偏見が少なくなるだろうと単純に思っていたのですが、実際は、偏見の拡大普及に利用され、憎悪の火に油を注ぐ恐れもあるわけですね。戦争を防止するには、軍縮・経済的公平だけではなく、偏見防止の取り組みが重要なのですね」とのコメントをいただきました。

差別や偏見を防止することの大切さは、言うまでもありません。ただ、私が現場で感じていたことは、民族対立は単なる偏見に基づくものではないということです。偏見が、「ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしにいだかれる非好意的な先入観や判断(大辞泉)」であるならば、彼らが互いに憎みあっていることには、「客観的な根拠」があるのです。互いに殺しあってきたという事実があるのですから、和解のためには、どうしても事実を確認し、犯罪を裁かなければならないのかもしれません。少なくとも犯罪者が犯罪を認めはじめて、被害者は、わずかであれ心の安らぎを得て、許すことができるのだと思います。

ここで大切なことは、誰が犯罪を犯したのかを特定しなければ犯罪者を裁くことはできないということです。しかし国家権力(コソボの場合はセルビア人指導者であったミロソビッチ)が、国家の正義の下に軍事力や警察力を行使して殺人を行った場合には、命令関係やいわゆる下手人を特定することは極めて困難です。その結果、犯人は特定されず、裁きも下されません。被害者やその家族には、持って行きようのない憤りや無念さだけが残り、心の奥底に沈殿していくのです。それは、差別や偏見というよりも憎悪というべきものです。

戦争犯罪を裁くということに関して、経済学の先生が話してくれた「10万円を借りて返せないと借りたほうが困るが、10億円を借りて返せないと貸したほうが困る」という話を思い出します。「10人が殺されても裁判は機能するが10万人が殺されると裁判は機能しない」ともいえるかもしれません。専門用語で、移行期の裁判(TransitionalJustice)という言葉がありますが、これはルワンダや旧ユーゴスラビア、東ティモールなどで、紛争時にあまりにも多くの重大犯罪が行われたために通常の司法制度では裁判がすすめられない事態にどう対処すべきかを考える問題です。異なる民族の関係が、紛争状態から正常な状態に移行していくためには、犯罪事実の特定、裁きと許し、そして民族和解と進められていくべきですが、その道筋は容易なことではありません。

民族和解の問題は今回を最後として、次回からは、コソボ紛争の最中に顔面に大やけどをおった少女ベシアナと彼女を助けようと立ち上がった日本人ボランティアの話を書きたいと思います。一人の少女の体と心の傷をいかに癒すかという問題は、国連のような大組織ではできないことかもしれません。それに、日本人ボランティアがどう取り組んだのかを紹介したいと思います。

(文:井上 健)

井上 健(いのうえ けん)

井上 健(いのうえ けん)

1957年東京生まれ。早稲田大学政経学部在学中に400日間世界一周の一人旅をし、国際協力の道に志す。卒業後、イギリスのサセックス大学開発研究所に留学、開発学修士号取得。その後、国際公務員として、ワシントン(世界銀行)、トリニダード・トバゴ(国連開発計画)、タイ(国連カンボジア人道支援室)、カンボジア(国連カンボジア暫定統治機構)、ソマリア(国連ソマリア活動)、スイスとドイツ(国連ボランティア計画)、コソボ(国連コソボ暫定統治機構)、東京(アジア生産性機構)に勤務し、現在は東ティモールの国連統合ミッションでガバナンス部長を務める。専門は、国際開発協力、人道支援、平和維持・構築など国際協力業務一般。好奇心が旺盛で、世界各地を訪ねて、何でも食べ飲み人々と交流することが大好き。これまで住んだ国は12カ国、訪れた国は80ヶ国余り。毎週必ず何かひとつ生まれてはじめての経験をすることを心がけている。

© 日本シティジャーナル編集部