日本シティジャーナルロゴ

-国連職員の仕事- 23
コソボの少女ベシアナvol.3

写真 /家の前で農作業を手伝うベシアナ

写真 /家の前で農作業を手伝うベシアナ

コソボの戦争に巻き込まれて顔面に大火傷を負ったベシアナちゃんを助けるために、私は、当時コソボにいた日本人国連職員、国連ボランティア、そして日本のNGO「アドラジャパン」に相談しました。ベシアナに会った人はみなとても同情的でした。しかしベシアナの治療は、可能であったとしても長期間にわたり、高額の費用がかかるであろうことは明らかでしたから、一時的な同情心だけで支援活動を始めるべきではないと皆感じでいました。でも、この2歳の女の子がこのまま成長してやがて自分の顔に気がついたときのことを考えると、やはりできるだけのことをしてあげたいと考えたのです。医療に関しては全くの素人でしたが、幸いアドラジャパンは、東京衛生病院ととても近い関係にあり、そこを通じて整形外科の先生を紹介していただけることになりました。そこでまず、ベシアナの写真をとり、それを日本の専門医に送り、治療の可能性があるかどうかを聞いてみました。せっかく日本に連れて行っても、治療が不可能という場合もあるからです。その結果、治療の可能性はあると思うが、やはり実際に診断してみないことには最終判断はできないという回答を得ました。そこで、とにかく一度日本まで連れて行き、日本の専門医に診てもらおうということになったのです。両親には日本で診てもらったからといって、すぐに治るわけではないし、治療ができないといわれる場合もあるということを丁寧に説明しました。両親はまさに藁をもつかむ心境でしたから、ひたすらお願いするといっていました。

こうして2000年3月に『ベシアナちゃんを助ける会』が発足しました。ベシアナを日本に連れて行くといっても、2歳の子供を一人だけ連れて行くわけにはいきません。今後の治療方針を決めるためにも、せめてお母さんだけでも同行させる必要がありました。しかし、お母さんは日本語はおろか英語も話せませんし、日本でアルバニア語が話せるボランティアが簡単に見つかるとも思えませんでした。ですから、ベシアナを日本に連れて行くためには、ベシアナのお母さんと彼女の通訳も一緒に連れて行く必要があったのです。もちろん戦争ですべてを失った彼女たちは、旅費の工面などできるはずもありませんから、すべては、「助ける会」が面倒を見るしかありません。多くの日本人がポケットマネーから募金に応じてくれました。日本へのビザを取るためにベオグラードにあった日本大使館も全面的に協力してくれました。こうして、同年3月から4月にかけて、ベシアナの初来日が実現したのです。

東京衛生病院での精密検査の結果、ベシアナの治療は可能であるとの結果が出ました。しかし、治療は1-2度の来日手術ですむようなものではなく、今後7-8年間にわたって、少なくともあと3回の来日が必要であり、それぞれ3-6ヶ月の滞在治療が必要だとのことでした。治療費は、東京衛生病院のご好意で大幅な割引をしてもらえるようでしたが、ベシアナには健康保険がありませんから、最低でも5-6百万円はかかるとのことでした。しかも、こんなに長期にわたって日本に滞在するのであれば、その間の生活費も数百万円かかりそうです。われわれ、「助ける会」は、とにかく息長く、できる限りの支援活動を続けるしかないとの覚悟を新たにしました。

現在、ベシアナは5回目の治療のために日本に滞在しています。以下のブログをご覧ください。また、募金も是非、お願いします。

(文:井上 健)

井上 健(いのうえ けん)

井上 健(いのうえ けん)

1957年東京生まれ。早稲田大学政経学部在学中に400日間世界一周の一人旅をし、国際協力の道に志す。卒業後、イギリスのサセックス大学開発研究所に留学、開発学修士号取得。その後、国際公務員として、ワシントン(世界銀行)、トリニダード・トバゴ(国連開発計画)、タイ(国連カンボジア人道支援室)、カンボジア(国連カンボジア暫定統治機構)、ソマリア(国連ソマリア活動)、スイスとドイツ(国連ボランティア計画)、コソボ(国連コソボ暫定統治機構)、東京(アジア生産性機構)に勤務し、現在は東ティモールの国連統合ミッションでガバナンス部長を務める。専門は、国際開発協力、人道支援、平和維持・構築など国際協力業務一般。好奇心が旺盛で、世界各地を訪ねて、何でも食べ飲み人々と交流することが大好き。これまで住んだ国は12カ国、訪れた国は80ヶ国余り。毎週必ず何かひとつ生まれてはじめての経験をすることを心がけている。

© 日本シティジャーナル編集部