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米国全寮制ミドルスクール諸事情
PART I 突如として子供達に訪れた米国留学のチャンス !

4人の子供を自らの手で育てながらつくづく思わされることは、現代の日本社会における子供の教育が如何に難しいかということです。一世代前の昭和時代のように、子供は学校で楽しく学び、暇さえあれば野外を駆け回って遊びながら泥んこになるようなことは、もう過去のことなのでしょうか。今や東京だけでなく、成田市内でも、男の子達が路地でキャッチボールをするような光景さえ、目にしなくなりました。アウトドア体験をごく自然に満喫することの大切さを忘れ去った現代っ子は、いつしかゲーム機と携帯電話の呪縛から逃れられなくなってしまったようです。

ゲームに没頭する現代っ子の姿

日本の教育現場が崩壊しつつあることは、昨今のメディアで報道されている通りです。その原因として家庭環境の悪化や、TVゲームや携帯型ゲーム機、DVDや携帯電話の普及、またそれによる読書離れがあると考えられます。そして子供達のライフスタイルがいつの間にか大きく変貌するにつれて、ストレスレベルも、以前よりも高くなってしまったのではと危惧されます。教育熱心な家庭においては、子供達を塾に通わせることは当たり前のことであり、その他さまざまな習い事を平行していることも珍しくありません。そして子供達は習いごとのストレスを発散する手段として、ゲーム機に飛びつき、親もそれを「ご褒美」として抵抗なく黙認するのが当然のように思える時代です。また、もう一方では 家庭の諸事情から、親が子供達の面倒を見ることができずに、子供を野放しにしている家庭も急増しているようです。それでも、子供達にゲーム機さえ渡しておけば、悪いことに手を染めることはなく、じっと集中して遊んでいてくれると安易に考えてしまうのでしょう。成田界隈でも、放課後に集合住宅のロビーに集まってゲーム機にかじりつき、ひたすらゲームを楽しんでいる大勢の子供達の姿を目にします。 本来ならば天気の良い日など、公園で遊んだり、野外で運動をし、野原を走りまわったり、川へ釣りに行ったりして遊ぶことが、子供としてごく当たり前なはずです。自然と戯れ、汗を流し、新鮮な空気を吸いながら、体を思う存分動かすことは、子供達の特権です。その幼少時代の楽しみがいつしか軽視され始め、体を動かすよりもむしろ、目を充血させて肩の凝りを訴えるまで長時間ゲームをすることが子供達の快楽になりつつあることは、実に痛ましいことであります。最近7歳になる次男が「パパ、首が凝ったから揉んでくれる?」と、言うようになりましたが、正に危機的な社会現象です。

子供の教育に悩む親の姿

このような社会的風潮と不必要なストレスから何とかして子供達を救いたい、と思うのが親心です。いつの間にか我を忘れて、朝方までゲームに没頭し、携帯メールのやりとりに何時間もはまってしまうような不健康な遊びではなく、もっと体を動かす健康的なスポーツにエネルギーを費やしてもらいたいものです。しかしながら、我が家においても子供達のコンピューターゲームに対する執着心は想像以上のものであり、勉学へのマイナス影響はもとより、ゲーム機の取り合いによる子供達同士の喧嘩が絶えず生じるようになり、いつしか家庭不和の一大要因にまでなってしまったのです。そして2007年の新春、3人の子供達に矢継ぎ早に事件がおこり、子供達の人生を大きく変える事態へと発展することになりました。

子供達に訪れた激動の波

2007年1月当時、東京のインターナショナルスクールに通っていた上から3番目の小学校4年生になる長男が、それまで2年間通い続けた塾での勉強を敬遠し始め、成績が急降下し始めたのです。理由は簡単でした。クラス替えテストという重要な期末テストで油断した為、入学当時から維持してきたSクラスという最上級のクラスから、ワンランク下のBクラスにふるい落とされてしまったのです。その結果、本人は一気に自信を喪失し、やる気を失ってしまいました。そして学校での成績も落ち始め、漫画やゲームにだらだらと時間を浪費し、夜更かしをするようになったのです。

その直後、上から2番目の小学校6年生になる次女の中学受験が、2月初旬に行われました。厳しい結果を覚悟はしていたものの、受験した5校全て落ちるという最悪の結果です。精神面が弱く、受験勉強に集中することができず、漫画ばかり読んでいたということもあり、次女の受験は難航することが必至と想定していましたが、滑り止めも含めて全て不合格という現実に遭遇し、万事休すです。

その翌月、更に頭を悩ますショッキングな出来事が発覚しました。一番上の長女は東京の私立女子中学校の1年生でしたが、1学期、2学期ともに通信簿を親に見せていませんでした。そして3学期が終了したある日、ふとテーブルの上に置かれた通信簿を覗いて見ると、信じられないことに、そこには1年間で63回も遅刻したことが記載されていただけなく、授業の無断欠席も20回を超えるという不謹慎な学校生活の実態が書き記されていたのです。この学校では、農耕作の体験授業があるのですが、畑仕事をして土をいじり、日焼けすることを嫌った長女は、なんとその授業をボイコットしていたのです。そして家でも日ごろ夜更かしをしていたせいか、週末は昼過ぎまで寝過ごし、いつの間にか起床したかと思えばヘッドホンを耳につけ外部の音をシャットアウトして、無言で家から消え去るのが当たり前になっていたのです。苦労して受験させ、評判の良い女子中学校に入学させても、これでは意味を成しません。

アメリカへ留学するビッグチャンス!

3月末、遂に次女の中学校を決めなければならなくなりました。中学受験で失敗した訳ですから、成田市内の公立中学校か、東京に引越しをして、新宿区内の学校に行くという選択肢しか残されていません。しかし小学校6年の時に、転校したばかりの成田の小学校で、クラスメイトからお金をせびられて、いじめられた苦い経験を持つ次女にとって、その同級生と同じ中学校に通うことには強い拒否反応がありました。そんな矢先、ロスアンジェルス近郊に住む親族から「留学するなら来てもいいよ」というお誘いがあり、想定外の展開ではありましたが、急遽次女の渡米が決まりました。行き先は空港から近いトーレンスという街で、日本人が多く居住し、海に近く、70年代に筆者も住んでいたことがある街であったため、ここなら安心と思い、決断に迷いはありませんでした。

時を同じくして、小学校6年生になる長男にもアメリカへ留学する話が浮上しました。塾から脱落した後は、ゲームに熱中するようになり、親の言うこともあまり聞かず、自分の力不足を感じていた時でもありました。ちょうどその時、アメリカ東海岸の全寮制学校に詳しい知人から、「ハリーポッターに登場するようなプレップスクールと呼ばれる学校に詳しいカウンセラーを知っている」という話を聞きつけたのです。米国では進学専門のカウンセラーと契約し、全寮制の学校に子供を送ることは珍しいことではありません。そうすることにより子供にとって最善の学校を、無駄な時間をかけずに選択できるのです。早速、紹介されたカウンセラーと頻繁にメールのやりとりが始まり、アメリカにおける全寮制のミドルスクール、つまり日本で言うところの中学校の実態を少しずつ理解するようになりました。そして、これら全寮制の学校が、米国東海岸のコネチカット州を中心としたニューイングランド地域に集中し、年齢的には小学校5年生から寮生活がオファーされていることがわかりました。

アメリカの新学期は9月から始まりますが、既に4月の半ばを過ぎており、長男の英語は、まだ片言のレベルでしかなかった為、カウンセラーからは、まず、サマースクールに行くことを薦められました。いずれにしても、すぐに学校に願書を出さなければタイムアウトになるということであり、真剣に留学を考えているなら、すぐにでも会いに来て、契約をしましょうと言うのです。まさに緊急事態です。

初めての美しいボストンとの出会い

ちょうどその時、筆者は4月17日に開催されるボストンマラソンを走るため、仕事の合間をみつけては最終の調整を行い、サブスリーを目指して走り込んでいました。そして偶然にも、お付き合いを始めたばかりの受験カウンセラーが、そのボストンマラソンのコース沿いに事務所を構えていたのです!これぞ天の恵みと思い、ミシシッピー州で仕事をしたついでにマラソンを走り、カウンセラーと会って契約を交わすことにしました。

ボストンマラソンの前日、カウンセラーであるボブ氏の事務所を訪れると、確かにそこはコース沿いにあり、2階からはランナーを見下ろすことができました。偶然とはいえ、これは正に運命的な出会いです。そして色々と情報を確認しながら、やはり願書の締め切りが通常は5月になっている為、すぐにでも手続きを取って願書を提出し、その上で子供と一緒に再度渡米し、親子一緒に学校にて面接を受けなければならないということになりました。その上で、ボブ氏が良く知っている学校を5つ紹介して頂くことになったのです。どの学校に合格するかわからないので、何校も受けなければならないということであり、その内のどれか一つに入学できれば目標達成、という共通の認識で一致し、早速契約をして帰国の途につきました。

その2週間後、長男を連れて成田からニューヨーク経由でボストンに飛び、面接試験を受ける為に3日間で4つの州をまたいで車で飛び回り、長男と一緒に5つの学校を訪ねて行きました。紹介して頂いた学校は、Rumsey Hall School、 Fesseden School、Cardigan Mountain School、Indian Mountain School、そしてRectory Schoolの5校でした。時差ぼけの中、とても眠たいのを我慢しながら連日、百キロ以上運転して学校を巡り歩くという強行軍ではありましたが、子供の為なら何のその。米国全寮制中学校を訪問する旅が始まりました。(続く)

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部