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Spirit of Hokule`a~ホクレア号~

昔から日本はハワイと深い関わりを持ってきました。1881年にカラカウア王が日本を訪れ、そこから移民の歴史が始まり、日系人や日本文化がハワイに与えた影響は大きなものがあります。ほとんどの日本人移民が農園労働者として働いていましたが、彼らが日本から持参した着物を着古し、擦り切れてもなお有効に活用する為に、使える部分を仕立て直して子供に着せたのがアロハシャツの起源だろうと言われています。そして今、ハワイの日系人は既に5世の時代に入っていますが、日本の血を引くハワイの人の多くは「自分のルーツ」へのこだわりと深い想いを持っています。

一昨年6月9日横浜港に古代式航海カヌー・ホクレア号が来航しました。古代ポリネシア人は航海計器や海図も使わずに「スターナビゲーション」という航海術で海を行き来していました。「スターナビゲーション」というのは、星・月・太陽といった天体の様子から船の現在位置や進路を割り出し、海の状況や波、風や雲から天候を予測、そして海鳥の姿から島のある位置を読み、自然環境全てを利用して航海する方法です。この古代カヌーの再現はハワイの人々にとって古代ポリネシア人の歴史の事実を明らかにする為の希望と誇りの証でした。1974年に建造が始まり、1976年ハワイ→タヒチ→ハワイの旅を成功させ、その後30年の間に7回の航海で10万マイルを超え、およそ地球4周分の距離を旅しました。ホクレア号はハワイ語で「Hoku」(星)「Le`a」(喜び)、つまり「喜びの星」という意味です。今回日本に来ることになった目的の一つとして、現在のハワイを築き上げたのは日系人の多大なる貢献のお陰によるものとして、日本から移民を乗せた船が出港した港を辿って、すなわち多くの移民の出身地である沖縄→熊本→長崎→福岡→山口→広島→横浜を巡ってきました。そしてその内のひとつ愛媛宇和島では「えひめ丸」の事故の慰問という意味もありました。「えひめ丸」の事故後、事故現場に遺族をお連れしたのもホクレア号でした。1月11日にハワイを出港し、ミクロネシアを経由して149日間の航海を終え、ホクレア号は横浜港から日本の貨物船で無事にハワイに戻りました。初航海時、スターナビゲーションの伝承者はハワイを含むポリネシア圏には残っていなかった為、ミクロネシアに数名存在していたうちのマウ・ピアイルグ氏がこの壮大なプロジェクトに参加されました。雲に覆われ何も見えなくなった空でも「星や月を心の目で見る」という魂の航海術を当時25歳のハワイの若者ナイノア・トンプソン氏に20年掛けて引き継がれ、途絶えかけていた伝統継承の道が蘇りました。近代科学を遥かに超えた古代ポリネシア人の驚異的な航海術と強靭な精神力はホクレア号の再現により「歴史的事実の検証」から「民族の誇りと伝統文化の継承」へと広がりました。遥か昔から自然と人間の力だけでこうした偉業を成し遂げているという事は何か神がかり的なものを感ぜずにはいられません。

数年前マウイ島のクムフラ(フラの先生)で歌手でもあるウルベヒ・グレロ氏に「E Aloha E」という曲を習いました。この曲はホクレア号に深く携わっているケリィ・タウア氏がタヒチへ向うホクレア号に乗っていた時に、赤道付近でアメリカ宇宙基地NASAから打ち上げられたスペースシャトルがちょうど上空を飛んでいたのを見て、超未来型の船と古代伝統船がともに「星」をめざして飛んでいるということに感動し、お互いに空と海とで「ALOHA」を交信した様子を詩にしたものです。ローランド・カジメロ氏が作曲を、そしてウルベヒ氏がアレンジして歌い、振付したフラを教えて下さいました。自然界・大宇宙の広大なロマンに言いようの無い胸の高まりを覚えました。

Akemiのちょこっとコーナー

アロハタワーのすぐ近くにあるハワイに関連する歴史と文化に焦点を当てた博物館。世界最古の帆船をはじめ、ホクレア号に関する展示も充実しています。またここはホクレア号のオアフ島における拠点でもあるため、隣接するハーバーにホクレア号が停泊していることもあります。

ハワイ・マリタイム・センター

ハワイ・マリタイム・センター
Hawaii Maritime Center
(Pier 7 Honolulu Harbor Honolulu Hawaii 96813)

ホクレア号のポスター

ハワイ・マリタイム・センターに展示されていたホクレア号の、ハワイ~タヒチ往還を称えたポスター

Akemi

Akemi

現在、東京のHalau(Hula の教室) 所属。
レストラン・ポセイドン、Hawaiian Night出演中。

© 日本シティジャーナル編集部