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オーストラリアの先住民から学ぶ旅 パート1

はじめまして、今回からこのコラムを担当することになりました茶洛と申します。丸の内で働く普通のOLだった私が、2003年からの4年間、オーストラリアで生活して得た経験は、人生観を変えてしまうほど貴重な財産となりました。OLから一転、循環型エコライフを実践するパーマカルチャリストへ。オーストラリアのエピソードと共に、私のエコ体験を紹介していきたいと思います。

オーストラリアにゆかりがある方なら「ミュータント・メッセージ」(角川文庫 マルロ・モーガン著)をご存じの方も多いのではないでしょうか。米国人の著者が、5万年前から続いているといわれる最古の先住民族アボリジニの聖地へ招かれ、灼熱の砂漠を旅しながら自然界からメッセージや精神性を学んでいくというストーリー。大地からは必要な分だけを頂き、決してそれ以上搾取することはない。またテレパシーで意思疎通をとるなど、文明の利器に頼ることのない研ぎ澄まされた感覚を持ち、地上に存在する一生物としての可能性をフルに活かした生活などを紹介した書籍です。

現在でも、住民の推薦によって発行される許可証がなければ立ち入ることのできないアボリジニ特別居住区があります。ご縁のある方にはその扉が開かれる。宇宙の法則と大地が放つパワーを強く感じ取れる聖地なのです。

アウトバック(オーストラリア内陸部)の風を感じることのないまま、シドニーでの生活も2年を過ぎようとしていたころ。ふと、私の潜在意識が、脳の引き出しから「ミュータント・メッセージ」を取り出してきたのです。「まだアボリジニに会ってない」。世界最古の民族が住む土地に来て、彼らを知らずに日本に帰ろうとしていたことに大きな疑問が生まれました。

シドニーは外国といっても所詮“都市”。もちろん真っ青な空を映す透明な海とオペラハウスの融合は見る者を魅了します。しかしシドニーに限らず先進国の都市に共通していえることは、飛行機で何時間移動に費やそうと、一歩踏み入れてしまえば僅かな差異しかない、というのが私の見解です。お馴染みのファーストフード店、ファッション、グローバル化が進み世界が近くなった代償は、人類の貴重な財産を奪ってしまう。なぜ帰国間近になるまでこの疑問が頭を過ることがなかったのか、なぜ今思いついたのか。私は何の当てもないまま先住民との出会いを求め、すぐさまケアンズ行きのチケットを予約していました。

ケアンズへ到着すると、早速生活の基盤となる家探しから始めることにしました。掲示板で物件を探していると、水平線から顔を出した朝日がキラキラと海面を照らしている美しい写真に“Living in the Paradise”と書かれた広告に惹きつけられました。 決定!既に予約した宿には3泊分の宿泊料金を支払い済みでしたが、初日の晩からパラダイスに移り住むことにしました。頭上に広がるヤシの葉の隙間には星と月が輝き、波の音をバックにたき火をしながら庭でBBQをご馳走になりました。「どうしてケアンズへ来たの?」と新しい仲間のグレンが声を掛けてくれました。「アボリジニに会いにね」と答えると「すぐに会えるよ、僕はアボリジニの居住区で14年間生活していたから」と驚きの返事が返ってきました。シドニーを出発してからまだ24時間も経っていないのに、急速にアボリジニとの距離は縮まっていたのです。

ケアンズ北部に広がるデイントゥリー国立公園内の熱帯雨林に暮らすクク・ヤランジ族の長老からグレンに一本の電話が入りました。数日後、私は想像よりも早く招待を受け、ジャングルの奥地にあるアボリジニの聖地に身を置くこととなったのです。オフロード車でしか辿り着くことができない、道なき道を切り開き、幾つもの山と川を越えた自然の静寂に包まれた別世界。そこで私が見たものは、原始的で理想的な循環型生活だったのです。(つづく)

アボリジニ居住地はオーストラリアの大自然の中にある

茶洛

千葉県生まれ、ベイサイドのコンクリートジャングルで育つ。2003年オーストラリアに留学した際アボリジニの自然と調和した生活と出会い、衝撃を受ける。帰国後も循環型生活をライフワークとするべく活動中。パーマカルチャリスト。
※パーマカルチャーとは、オーストラリアで生まれた永続可能な環境を作りだすデザイン体系。パーマネント(永久の)・アグリカルチャー(農業)またはカルチャー(文化)の造語。

© 日本シティジャーナル編集部