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オーストラリアの先住民から学ぶ旅 パート2

熱帯気候で暮らすアボリジニのクク・ヤランジ族の家屋は非常にシンプルで、住民達が建てたものでした。私が滞在した家は、土間にトタン屋根、壁は好みで付ける程度、ドアはありません。不要品をリユースし、家を建てる際に伐採した木々を材料としているので、環境への負荷が極力抑えられています。

ジャングルの奥地なので、電気や下水道といった都市インフラ設備はありませんが、生活に必要なものは整っており不自由さは感じませんでした。さすがに携帯電話は使えませんが、電話局が設置した専用アンテナがあり、固定電話は利用できます。調理や冷蔵には町で調達したプロパンガスを用い、屋根には太陽電池パネルが設置されており、バッテリーに充電してテレビや照明用として使っています。飲み水やシャワー用の水も、屋根を利用して集めた雨水を上手に使っていました。お風呂は、薪をくべて沸かす野趣あふれる露天の五右衛門風呂タイプ。山頂に佇む家の周囲には、都会の騒音やネオンの明かりなど人工的な音や光が存在せず、木々が揺れ葉が重なり合って奏でる音に耳を澄ませ、満天の星空を眺めながら贅沢な時間を過ごすことができました。

本来、狩猟民族であるアボリジニは、食糧を求めて移動を繰り返していたので、住居を構えて定住することはありません。しかし200年前にヨーロッパからの入植者により大地が次々と占有され始めたため、アボリジニのライフスタイルは一変しました。食べ物を探して自由に歩き回ると不法侵入の罪に問われることになり、昔のように自由に狩りをすることができなくなったのです。もともと「所有する」という概念のない彼らにとって、理解に苦しむことだったと思います。地球とは惜しみなく与える母であり、豊かな自然の食糧庫のようなもの。クク・ヤランジ族のドリームタイム(天地創造神話)には、次のような話があります。

「私たちの母は大地、父は空。私の最後の日まで両親は栄養をくれる。二人は遠い昔に結婚をした。私たちみんなは、彼らの子供。母から生まれ、また母の元へ還る。父は魂を、母は肉体を保ち続ける。」

その後、彼らの生活様式は定住型へと変化しましたが、今でも特別居住区域内で狩りに出かけます。獲ってきたばかりで、まだ体温が残る野生化した大きな豚の肉を、いただいたこともありました。

そして狩りには、アボリジニ独自のLAW(決まり)があります。狩りが許されるのは、繁殖期が過ぎた時期の獲物のみ。その中でも、雌は子供を産めなくなった個体だけが狩りの対象となります。彼らにとって狩りは、ただやみくもに獲物を猟るのではなく、他の動物の命をいただく神聖な儀式なのです。日本語の「いただきます」も、自然の恩恵や命を頂戴するという意味で同じ儀式ではないかと私は捉えています。現在オーストラリアでは、禁猟期間以外にもサイズや性別、数などが動物の種ごとに法律で細かく定められており、違反すると高額な罰金刑が科せられます。ただし、アボリジニは自然のLAWを熟知しているということが理由かは分かりませんが、この法律の対象外となっています。

またクク・ヤランジ族の中には、自家菜園を始める人も増えたようです。庭には、熱帯特有のバナナやマンゴー、パパイヤといった果物、そして大好物のタロイモをはじめ数々の野菜やハーブを育てて自給していました。そしてその肥料になるのは、大地から得た食材をいただいた私たちの体を経由したものです。その土地で生まれ、生き、生涯を全うし、また土に還る。昔の日本にもあった、忘れ去られていた命の循環がそこにはありました。「自然は征服するものではなく共生するもの」という精神に則ったLAWがここには今も生きているのです。

ガイドブックには決して載ることのないオーストラリア。グレートバリアリーフの玄関口、世界のリゾートとして有名なケアンズから車を走らせて数時間の場所に、こんなにも原始的でしかし近未来的な生活を送っている人々がいる。そのギャップに私は驚きました。昔を感じさせながらも、未来を象徴するかのようなエコのお手本です。そしてみんなが自由でハッピーな生活を送っているのです。

壁すらろくにない家屋で、自然に囲まれた究極のエコライフ

茶洛

千葉県生まれ、ベイサイドのコンクリートジャングルで育つ。2003年オーストラリアに留学した際アボリジニの自然と調和した生活と出会い、衝撃を受ける。帰国後も循環型生活をライフワークとするべく活動中。パーマカルチャリスト。
※パーマカルチャーとは、オーストラリアで生まれた永続可能な環境を作りだすデザイン体系。パーマネント(永久の)・アグリカルチャー(農業)またはカルチャー(文化)の造語。

© 日本シティジャーナル編集部