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ハワイ州誕生50周年と高見山引退

今や世界的な観光地として世界中の人々が集まるハワイの島々。このハワイ諸島にポリネシア人が移り住んだのは約1500年程前のことです。そこで、独自の文化、ハワイ王朝を築きました。しかし、その後西洋文化の影響によりハワイ王朝は終焉を迎え、遂に1898年には米国に合併されてしまいました。それから半世紀もの間、米国の属領でしたが、ハワイの人々は米国のひとつの州になる事を願い続け、何度か州昇格運動を起こしました。しかし様々な理由により、その願いは長い間実現されませんでした。

1959年、そんな地道な努力がようやく認められ、米国上院・下院議会の投票の結果、ハワイの州昇格案がやっと承認されたのです。1959年3月18日、当時のアメリカ大統領であったアイゼンハワー氏が署名し法制化され、遂に同年8月21日、ハワイは正式にアメリカ合衆国第50番目の州となりました。そして、州となって50年目の記念すべき今年、ハワイ生まれのバラク・オバマ氏が大統領となりました。多民族が共存するハワイで幼年時代を過ごし、人種や文化の融合を肌で感じてきたに違いない黒人初のオバマ大統領に対して、ハワイの人々も大きな期待を寄せています。アロハスピリッツを根底としたより素晴らしいアメリカへの変革が大きく望まれるところです。

おりしも、大きな体と長いもみあげ、ひとなつこい笑顔と独特の声で人気を集めたハワイ出身の元関脇・高見山(東関親方)が、今年6月16日に65歳の誕生日を迎え定年となり、大相撲と別れを告げました。1964年19歳で単身来日して角界入りし、9年目には史上初の外国出身力士として初めての優勝を果たしました。その後力士として20年、親方として25年に渡って日本の国技を支えてきました。規律や上下関係の厳しい大相撲の世界で、外国人力士の先駆者である親方のご苦労は並々ならぬものがあったと思います。大関にまで昇進した小錦や、外国出身者として初めて横綱になった曙、そして武蔵丸など、ハワイ勢が角界入りするための道を開いたのも親方です。そして今日のモンゴル出身力士の勢いも、親方がいらっしゃらなければ無かったかも知れません。

ハワイアンらしい陽気さと、異境での辛い修行に耐え忍ぶ生き方も広く知られ、相撲ファン以外にも絶大な人気があり、愛嬌のある容貌もあって土俵の外でも活躍されました。ハスキーな声と大きな体で軽やかにステップを踏むCMは、今でも鮮明に覚えています。親方になっても大相撲開催時には入場チケットを切るなど、サービス精神も旺盛な方でした。

5月1日に某ホテルで行われたホロク・ボール(ハワイ式舞踏会)に同席させて頂きましたが、曙を初め、小錦、大和も出席され、3人の元力士がそれぞれ親方に対して尊敬と感謝、敬意の言葉を述べられました。なかでも曙の涙のスピーチには思わず熱いものが込み上げてきました。親方へ主催者よりハワイアンキルトのタペストリー授与の後、お食事・歓談の際には親方と直接お話しをする機会があり、「今まで忙しかったので、しばらくの間は旅行をしたりしてのんびりと過ごします」と優しい目で仰いました。舞踏会では、3月に行われたジョージ・ホロカイ・レイ・クィーン・コンペティションで準優勝を頂くことができた私を含む入賞したレイ・プリンセス達と一緒にフラを披露いたしました。ハワイの歴史が続く中で一つの区切りとなる今年は、感慨深い年であるように感じています。

ホロク・ボールで写真撮影に応じてくれた東関親方

Akemi

Akemi

現在、東京のHalau(Hula の教室) 所属。
レストラン・ポセイドン、Hawaiian Night出演中。

© 日本シティジャーナル編集部