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イスラエルの民が地の果てまで日本を捜し求めてやってきた理由
~平安京こそ神の平安が宿る新しいエルサレムか?

何故、イスラエルの民は広大なアジア大陸を横断してまで島国日本に移住してきたのでしょうか。北方から敵国が攻め入って来たため、西方に向かって船で地中海を渡ることもできたはずですし、南西にある広大なアフリカ大陸や、その他アジア大陸各地に新天地を見出すこともできたはずです。しかしそれらの選択肢を捨てて、イスラエルから一番遠い、しかも大陸を横断して更に海を渡った未知の島国に移住してきたのには、それなりの強い願望がなければ成し得ないことです。予言者イザヤが書き記した「日の出ずる国」、東の方角にある「海の島々で神を崇めよ」という言葉に一番大切な民族移動の根拠があるのは前述した通りです。しかし大陸横断のモチベーションはどうも、単なる宗教上の理由だけではなかったようです。

元来イスラエル人は栄養価の高い食事を好む美食家として有名です。肉、野菜や魚を主食としていたイスラエル人は聖書にも記されているように、エジプトで奴隷の身となっていた時代でさえ、肉野菜をふんだんにとりいれた料理を食べており、特ににんにくや、にら、玉ねぎなど具体的に指摘されている食材は少なくありません。また果物に関しては今日でも輸出国となっているように、イスラエルは代々農産物が豊富にとれます。すると移住先としては当然のことながら、海沿いで、尚且つ農産物や畜産物が豊富な自然に恵まれた環境が望ましく思われたはずです。その夢を実現する「海の島々」が日本列島だったと考えられます。

更に注目すべきは地理的要因です。イスラエルは地中海の東南に位置しており、南ヨーロッパのどこからでも、船で東南に進んでいけば、イスラエルに到着します。同様に日本も大海原の東南に位置しており、同じ感覚で海を渡るだけで日本にたどり着きます。事実、大陸の先端である朝鮮半島にはスサノオが祀られ、そこから東南に向かって海を渡った出雲にスサノオが到来しているのです。それ故、イスラエルの民にとって日本海は「東方の地中海」であり、その海の向こうにある約束の地が目に浮かんできたのでしょう。

その後、長い年月を経て「平安京」が日本の都となりますが、この地理的要因でさえイスラエルの影響を多大に受けているようです。イスラエルの首都はエルサレムであり、原語の意味は「神の平安」です。それは正に「平安京」と同じ意味です。そして平安京が琵琶湖の西側、日本海と湖の中間に位置していることにも注目です。エルサレムも若干北側ではあるものの、基本的には死海の西側、地中海と湖の中間に位置しています。先日、イスラエルの空港があるテルアビブからレンタカーを借りてエルサレム、および死海までドライブする機会に恵まれました。驚いたことに、地中海そばのテルアビブからエルサレムまではさほど距離はないのにもかかわらず、山々の連続だったのです。それらの山を越えてエルサレムに辿り着き、そこからもう少々ドライブを続けると死海が見えてきます。日本海から京都を経て琵琶湖に至る道のりも同じくその途中は山々の連続であり、琵琶湖に至る直前に平安京が開けてくるのです。

国家を失ったイスラエルの民は、神の予言に従って東の海の島々に新天地を見出し、いつしかそこに新しいエルサレム、平安の都が築きあげられたのです。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部