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秋田民謡に潜むヘブライ語の数々
~日本語の謎をヘブライ語で解き明かす!

民謡のメッカ、秋田県には、三味線の伴奏に合わせながら早いテンポで楽しく歌う、本荘追分と呼ばれるお座敷歌があります。この唄の起源は定かではありませんが、本荘は日本海を渡航していた北前舟の寄港地であり、そこに立ち寄る船員らが遊興の場において、この唄を頻繁に歌っていたことで知られています。昭和32年のNHKのど自慢全国大会では本荘追分を歌った歌手が優勝し、この唄が一躍有名になりました。

この唄の囃子詞は「キタサー」と「ハー」であり、これらが繰り返し唄われながら、民謡としての盛り上がりを見せます。これらの囃子詞にもヘブライ語のルーツが潜んでいます。「キタ」は、ヘブライ語の(キター)であり、「王冠」、「王権」を意味します。「サー」は「得る」、「携える」を意味する(サー)です。それ故、「キタサー」は「王権を取る」、または「王位に就く」という意味合いになります。そして前述した通り、「ハー」はヘブライ語で「見よ!」の意ですから、この囃子詞を唄いながら、実はヘブライ語で、「王の到来を見よ!」と唄っていたことになります。

また同じ秋田県には生保内節(おぼないぶし)という民謡もあります。生保内は街道町として栄えていたこともあり、多くの秋田民謡がこの町を発祥のルーツとして広まりました。この生保内節でも「キタサノサー」という本荘追分に類似した響きを持つ囃子詞が含まれており、その後「コラサノサー、ドッコイショ」と、耳慣れた掛け声が続きます。

まず「キタサ・ノサー」の語尾となる「ノサー」を検証してみましょう。日本語では「ノサ」と聞こえるこの言葉は、ヘブライ語の(ノサッド)が語源であると考えられます。「ノサッド」はヘブライ語で「樹立する」という意味があります。前述したように「キタサ」は「王位に就く」という意味ですから、それに「ノサー」を合わせれば、ごく自然に「王権が樹立した!」という言葉になります。

次に「コラサ・ノサー」ですが、「コラサ」は「キタサ」と同様に「コラ」に「サー」という語尾が付加された言葉です。「コラ」または「コルは「声」を意味するヘブライ語です。「神の声」を意味する言葉に(バッ・コル)がありますが、ここでは接頭語の「バッ」が省略され、語源の「コル」が神聖な声を意味する言葉として用いられているようです。この「声」に、「得る」または「携える」を意味する「サー」を語尾として付加することにより、「コラサー」は「神の御声を携える」もしくは「神聖な声を授かる」となります。これに「キタサ・ノサー」と同じく「樹立する」意の「ノサー」という語尾を付加することにより、「神の御声が成就した」と解釈できます。そしてお馴染みの「ドッコイショ」は定番の囃子詞であり、「神の助けによって突き進む」の意です。

一見、こじつけのようにも考えられがちなヘブライ語による囃子詞の解釈ですが、多くの民謡で唄われている囃子詞の大半がヘブライ語で容易に解釈できること、それらが神と人間に関わる一貫したテーマ性を提供していること、そしてヘブライ文化をルーツとする風習が、日本の風土に無数に土着していることを総合して考慮するならば、ヘブライ語ルーツ説が最も自然な選択肢であると断言できるのではないでしょうか。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部