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囃子詞に秘められた謎
~続・甲信越地方の山々に響く、ヘブライルーツ民謡

江戸時代、長野県の伊那地方を中心として作られたお米を木曾に輸送する際、その道中で歌われた御岳山節は、いつしか伊那流の盆踊り唄として変化を遂げ、最終的には1908年に伊那節と命名されました。この伊那節には、「アバヨ」と言う囃子詞が含まれていて、それはヘブライ語で「父なる神」を意味することは前述した通りです。今日「アバヨ」は「さようなら」を意味する挨拶の言葉として用いられていますが、なぜでしょうか。

ユダヤ人の挨拶には、神に纏わる表現が多用されています。たとえば「こんにちは」はヘブライ語で「シャローム」と言い、挨拶する相手に対して「神様からの平安がありますように」という祝福の言葉から接する意味があります。また別れの際にはさらに、神や主という言葉を用いて「神が共におられますように」ということもあります。つまり「父なる神」というフレーズ自体、別れの挨拶に登場しても何ら不思議ではなく、むしろユダヤ人にとってはごく当たり前の表現なのです。それ故「アバヨ」は意図的に「さようなら」を意味する言葉として使われるようになったと考えられます。

同じく長野県には木曾節と呼ばれる著名な盆踊り唄があります。今ではお座敷騒ぎに一役買う単なる民謡に思われがちですが、この民謡のルーツには、熱い信仰の思いが秘められています。木曾の御岳山は、元来、霊山として有名で、信仰者が集って修行を重ねる修験道を兼ね備えた山でした。その御岳教では、信者によって歩き綴られた修験道があり、そこで祈祷を捧げる行者によって歌われたのが、この木曾節です。この民謡の歌詞にある「中乗り」とは一般的に船頭と考えられていますが、神の言葉を信者に告げる「中座」(神の依代)を指すという説もあります。その行者が御嶽山への道中で歌った木曾節の囃子詞が、「ナンチャラホイ」です。

ヘブライ語で「ナ」は「祈り」を意味する(na、ナ)です。その語尾に子音の(メム)を付加した言葉が(ナアム)であり、「予言する」「預言者として語る」という意味を持っています。次に「チャラ」ですが、それと同じ発音を持つヘブライ語に「前に進む」「栄える」を意味する(チャラ)と言う言葉があります。また「ホイ」は、「ああ」という嘆きの意味を持つ(ホイ)ではないかと考えます。つまり、「ナンチャラホイ」とは、御岳山に登る行者が修行の道中で、「ああ、この世が良くなりますように!」と願いを込めて唱える、祈りの言葉だったのです。この面白い言葉の響きは、いつしか庶民にも口ずさまれるようになり、「ナンチャラ」はもっと語呂の良い「ナンジャラ」に訛っていったのでしょう。

新潟民謡の岩室甚句では、「弥彦参り」という語句が登場し、その直後「ヨシタヤ」という囃子詞が続きます。ヘブライ語には「神殿」を意味する(ヒコル)という言葉があり、「ヤヒコ」は「神の神殿」を指します。すなわち「弥彦参り」は、神の宮にお参りに行くという意味になります。「ヤシタヤ」の繰り返しは「神の御救い」を意味する(ヤシャー)、(ヤシャヤ)が多少訛って「ヤシタヤ」となったのでしょう。神社にて神の救いを切に待ち望む祈りの想いが、岩室甚句には秘められていたのです。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部