〜剣山に潜む秘宝の謎に迫る〜 パート5
聖地を結ぶ不思議な一致は偶然か?

伊勢神宮と言えば、古事記や日本書紀に記載されている神宮としてあまりに有名ですが、これらの古文書に記載されているもう一つの神宮が、日本最古の石上(いそのかみ)神宮です。不思議なことに石上神宮は、京都御所と高野山、どちらからも丁度48qの地点に位置しています。

そして「いそのみや」とも呼ばれる伊勢神宮を基点として、これらの聖地に向けて線を引くと、伊勢神宮より108qの地点に京都御所と高野山があり、高野山の延長線上には四国剣山が存在し、京都御所と高野山の丁度中間に石上神宮があることがわかります。しかもその石上神宮の延長線上には、空海が遣唐使として中国に向かう前と、戻った後に訪れた再度山があります(図1参照)。この地理的な一致は決して偶然ではなく、計算尽くめで定められたと考えて間違いないでしょう。

これら聖地はどうやらユダヤの神宝と関係がありそうです。前述したように紀元前には四国剣山周辺に、ユダヤの集落が存在していた可能性が高いと言えます。そして、今日まで語り継がれてきているように、剣山のどこかにイスラエルから携えてきた神宝が埋蔵されていた可能性を否定できません。また、奈良県天理市の石上神宮の歴史も古く、紀元前97年(崇神天皇7年)まで遡ります。当時、都は奈良の瑞籬宮(みずかきのみや)に在りましたが、突如として疫病が流行り、大勢の庶民が死にました。そこで神の怒りを恐れた天皇は、宮中にて祀られていた天照大神の御神体である八咫鏡と草薙剣、そして倭大国魂神を皇居の外で祀り、場所を移動したりするも功を奏しませんでした。そして最終的に倭大国魂神を祀る神主を定めたところ、疫病もおさまり、それまで宮中に祀られ、葦原中国平定の際に使われた布都御魂剣を「石上大神」として祀ることにしたのが石上神宮の始まりです。それから約八八年経った紀元前5年(垂仁天皇25年)、伊勢神宮が創建されました。日本書記によると、八咫鏡と草薙剣を奉戴したヤマトヒメ命とその一行が、天照大神を鎮座する地を探し求めた結果、最終的に伊勢に至り、そこに天照大神を祀ったということです。

これら聖地に共通することは、神宝との関わりだけでなく、今日でも噂が絶えないことです。剣山のみならず、石上神宮にも神宝の噂があり、拝殿の奥に二つの神宝が埋蔵されていると長年言い伝えられています。伊勢神宮にいたっては、804年の「皇太神宮儀式帳」に19種の神宝が秘蔵されていると記述があるだけでなく、イスラエルのルーツに関る噂も絶えず、謎は深まるばかりです。これほど噂が絶えないのは、実際にイスラエル部族が古代日本を訪れ、剣山を経由して神宝を大和の国に持ち込んだからではないでしょうか。だからこそ、様々な伝説や神話、言い伝えが各地で発祥し、日本書記や古事記はそれら言い伝えの神話化に一役買っていると考えられます。それらとイスラエルとの因果関係に気づいたのが空海です。

神宝に纏わる「神のたたり」と不運が続き都が危機に直面した時、空海は山に籠って瞑想に入り、国家の安泰を祈願したのでしょう。そして悟りを開いた空海は、これらの聖地の地理的重要性に着目し、そこに国家の活路を見出すための不思議な法則を見出したのです。

(文・中島尚彦)

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