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イスラエルの民がユダヤ人と呼ばれる所以を徹底検証!

ユダヤ人を意味する英語の「Jew」という言葉は、今日複数の意味で使われています。ごく一般的には、ユダヤ教の信仰者、ユダヤ国家に属する者、ユダヤ人の母親を持つ子供、そして生まれや育ちにおいてユダヤの文化や民族と関係を持つ者などを指します。

Jewのルーツはヘブライ語で「ユダの民」を意味する(Yehudi、イェフディー)であり、旧約聖書に登場するヤコブの子の一人であるユダ(Yehudah、イェフダ)、今日の英語表記ではJudah(ジュダ)がその語源です。その綴りにはヘブライ語で神聖なるヤーウェーの神を意味する4文字が含まれていることから、いつしか単に名前としてユダ族を意味するだけでなく、「神の民」としてのニュアンスを含むようになったとも考えられます。その「イェフダ」から「ユダの人々」という意味の「イェフディー」、更にギリシャ語ではIoudaios(イウダヨス=ユダヤ)という言葉が生まれ、今日英語の「Jew」、日本語においては「ユダヤ人」と訳される言葉のルーツとなりました。

イスラエル王国時代のユダヤ人

「イェフディー」は元来「ユダの人々」という意味の言葉です。前932年、イスラエルの国家が南北に分裂した後、南ユダ王国の地にはユダ族、ベニヤミン族、及びレビ族のイスラエル3部族が居住したことから、南ユダ王国の人々を指す言葉としても用いられました。旧約聖書における「イェフディー」という言葉には、あくまでそのような地理的な意味合いと、ユダ族に関連する政治的な要因がその背景にありました。

北イスラエル王国が前722年に滅びた後も、イスラエルの国語であるヘブライ語は南北共通の国語として存続し、残された南ユダ王国の民はイスラエルの文化と律法を継承する民として(ivree、イブリー)、「ヘブライ人」とも呼ばれました。よって旧約聖書のエレミヤ書34章9節においては「ユダの人々」と「ヘブライ人」が併記され、ほぼ同義語のように用いられています。その他、「イェフディー」と類似した意味を持つ言葉として、イスラエルの全家を指し、より宗教的な意味合いの濃い「神の民」の意を込めた(yeesrael、イスラエル)があり、一般的に「イスラエル人」と訳されています。

前722年、北イスラエル王国が滅びた後、北イスラエルの民の行方がわからなくなり、イスラエル12部族の内、南ユダ王国の民だけがユダの地に残りました。ところが前582年、この南ユダ王国も崩壊し、ユダの住民の多くがバビロンへ捕囚の民として連れ去られます。

その結果「イェフディー」という言葉は本来、南ユダ王国の民を意味していましたが、多くが捕囚の身となってバビロンへ移住したことから、いつしか、国外に滞在する「ユダの人々」のことも指すようになります。いずれにしても、旧約聖書における「イェフディー」という言葉の意味は、あくまで、「ユダの地」という地理的条件に帰属する民のことであり、元来、宗教的な意味合いはあまり無かったのです。その反面、「イスラエル人」という言葉には「神の民」というニュアンスが含まれていることから、神聖な名前として、使い分けられたのです。

その後、前538年に捕囚の民は解放され、捕らわれの身にあったユダの民が続々とエルサレムに帰還することになりますが、その背景については旧約聖書のエズラ書、ネヘミア書、エステル書に詳細が記載されています。

ヘレニズム時代におけるユダヤ人

イスラエルの南北王朝が前8世紀から6世紀にかけて崩壊し、多くの民が各地に離散していく過程において、外国での滞在期間が長期化し、いつしかヘブライ語で書かれた聖書を読めないユダヤ人が増えてきました。前4世紀以降はヘレニズムの影響下において、ギリシャ語圏にて生活するユダヤ人が急増し、ギリシャ語による旧約聖書が必要となってきたのです。その結果、翻訳されたのが前1~3世紀にかけて編纂された70人訳(セプトゥアギンタ)です。

そこに「ユダの人々」を意味するIoudaios(イウダヨス=ユダヤ)という言葉が最初に登場するのが、列王記下16章6節です。北イスラエル王国がアラムの王と組んで、南ユダ王国の民をエイラトから追い出す記述の中で、北イスラエルに敵対する「ユダの人々」が、Ioudaiosと称されています。当時、北イスラエル王国と対立関係にあった南ユダ王国の民が、「Jew」の語源であるIoudaiosとして記載されていることからしても、Ioudaiosはイスラエル全体を指していたのではなく、あくまで南ユダ王国の人々を意味する地理的制約を踏まえた言葉であったことがわかります。

しかしながら旧約時代を経て、その後に登場する文献においては、Ioudaiosの意味が徐々に変わってきます。そのきっかけとなったのが、イスラエル国家の崩壊です。北イスラエル王国の民は消息を絶ち、捕らわれの身となった南ユダ王国の民は、長年にわたる捕囚の時期を経て祖国の地に帰還することになり、イスラエルの民として存続したのは南ユダ王国の民だけでした。それ故、ユダの人々を指すIoudaiosという言葉がいつしか、「イスラエル人」の意味も含むようになったのでしょう。こうしてIoudaiosは、徐々にユダという地理的制約にとらわれることなく、むしろ宗教文化的な意味におけるイスラエル民族のアイデンティティーに紐づけられて用いられるようになったと考えられます。

その後、南ユダ王国の民が帰還してから5世紀以上を経た後に書かれた、ギリシャ語による新約聖書では、イエス・キリストが「ユダヤ人の王」と呼ばれているように、外国人がイスラエルの民を呼ぶ際にIoudaiosが用いられることもありました。 また使徒行伝ではIoudaiosが、離散した民について語る際にも使われています。そしてパウロ書簡においては、より宗教的な意味合いが濃くなり、イスラエルの律法を遵守し神を信仰する民、もしくはイエス・キリストを拒絶する偽りのユダヤ人を語る際にもIoudaiosが頻繁に用いられました。こうしていつしか、Ioudaiosの意味が「ユダの人々」という元の意味から広がり、「イスラエル人」の宗教的側面を含む言葉としても理解されるようになったのです。

また、ヘレニズム時代では、「ユダ族」を語源とするIoudaiosは、イスラエル人以外の者が「イスラエル人」を語る際、もしくは対外的なやり取りが含まれる場合にも頻繁に使われ、例えば、外交関係のやり取りにおける公文書においては、Ioudaiosが用いられました。今日「ユダヤ人」と訳されるIoudaiosは、徐々にイスラエル人の代名詞として対外的に使われたのに対し、その同義語である「イスラエル人」は、あくまで自国民向けの宗教色の濃い言葉として用いられたのです。

何故、英語ではJEWなのか?

「Jew」の語源となるIoudaiosの意味は、ヘレニズム時代以降も徐々に進化し続けます。そして今日では、「イスラエル人」の同義語として捉えられているだけでなく、ユダヤ民族、及びイスラエル国家に関わる民の総称や、その宗教文化と繋がりを持つことに関連して幅広い意味で用いられるようになりました。では、ヘブライ語のが、どのような過程を経て、英語の「Jew」と呼ばれるようになったのでしょうか。

の主たる外国語訳の流れとしては、アラム語の、ギリシャ語の、それに由来するラテン語のIudaeus(4世紀Vulgate)、古フランス語のguieu、giu、そして12世紀後半のgiwis、更に英語のIuu、Iuw、Iew等が挙げられます。何故ギリシャ語のが、発音の全く違う古フランス語のguieu、giu、となったか、その綴りと発音のきっかけについては、前述した通り中国の「九夷」(jiu-yi)がそのルーツに潜んでいる可能性があります。そして英語圏においては1380年ウィクリフによるラテン語聖書の英語訳で、IudaeusがIeweと訳され、hew-weeと発音しました。この表記はその後、シェークスピア(1600年)の作品でも使われています。

ところが実際には、ヘブライ語には「J」という発音の言葉がなく、英語圏においても14世紀までは「J」という文字は使われた形跡が殆ど無いため、聖書の英語訳で著名な1611年に刊行された初代キング・ジェームズ訳の聖書においても、当初はJewという綴りは使用されず、イエス・キリストもJesusではなく、Iesousと記載されています。

当時、「Y」と「I」は同じ発音を持つ文字として使われていただけでなく、ラテン語のアルファベットを用いる言語では、「Y」が子音として用いられる場合に、「Y」を「J」とも記していました。そして「Y」や「I」は、「J」に置き替えられるようになり、やがて「J」と「I」は枝分かれし、「J」は単独の子音として使われ始めたのです。その結果、IeweがJewes(1653年)となり、1729年、「Jew」という綴りが初めてダニエル・メース訳の聖書に登場します。その後、カトリック系のドウエー‐ランス聖書や、ジョン・ウェスレー訳でもJewが使われ、キング・ジェームズ訳においては、1769年のオックスフォード改訂から「I」が「J」に書き替えられ、「Jew」という綴が用いられ始めました。

こうして宗教改革や印刷技術の恩恵を受け、聖書が聖職者だけでなく一般庶民にも広く読まれるようになったこともあり、いつしか「Jew」という新しい言葉の認知度が急速に広まり、一躍、普及したのです。この時点で既に大勢の人々が、「Jew」の意味を当初のIoudaiosより幅広く解釈し、神の選民やイスラエルの民、ユダヤ教の信者等として理解するようになっていました。

今日のユダヤ人

1948年にイスラエル国家が再建されてから、よりJewの存在感がグローバル社会において増したことは、火を見るよりも明らかです。これまでのユダヤ教に基づく厳格な解釈と信仰的要素は更に薄れ、社会全体が世俗化するにつれて、ユダヤ人であることの条件の解釈が変化してきたのでしょう。そして宗教的な意味合いよりもむしろ、共通の出自、言語、慣習等を共有することが求められるようになりました。つまり、ユダヤ人的なカルチャーや教養に関わる生活様式、考え方が重要視されるようになったのです。何故、Ioudaiosが、以前のように「ユダ族」、「ユダの人々」、「イスラエル人」、「神への信仰を守る民」といった概念が希薄になり、そのような文化的な側面が重要視されるような意味合いに変化してきたか、その背景については、単に世俗化の流れの結果とするだけでは説明が不十分であり、引き続き検証する必要がありそうです。いずれにせよ、今日の「ユダヤ人」の意味は、近世まで使われてきたIoudaiosの意味から大きく乖離していることに違いはありません。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部