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英語が日本の第2国語になる新時代の到来!
国際社会で生き抜く為には英語環境を生活圏に取り込むことが不可欠

以前、エスペラント語と呼ばれる世界共通言語を普及させようという働きが先進諸国の間で話題になった時期がありました。言葉の違いは文化形態や歴史背景の相違の表れであり必要不可欠なことですが、世界中にあまりに多くの言語が存在するため、いっそのこと世界共通語を作ってしまおうということになったのです。しかしこの大胆な提案は世界各国からコンセンサスを得られないまま、世界的に普及することなく現在に至っています。既に英語やフランス語、スペイン語、ドイツ語、中国語などのメジャーな言語が世界各国において必須の外国語として勉強されていた為、新たにエスペラント語を追加することは更なる負担と考えられてしまったのです。そんな新しい言語を創作するのであれば、既存言語のどれか一つを世界共通語として選択してしまった方がずっと効率が良いはずです。但し、各国の国民感情や人種問題、歴史の背景などが絡んでいるために、言語の選択においてこれといった決定的な提案がなされないまま時が過ぎていきました。その均衡をぶち破ったのが第2次産業革命の原動力になったとも言われる昨今のインターネット技術の急速な普及です。

インターネットの普及は問答無用で英語を世界共通言語にしてしまう

日本経済のバブルが崩壊した90年代以降、アジア大陸においては中国が経済大国として台頭し始め、華僑経済圏の中心である香港とシンガポールがアジア経済のハブとして日本にとって代わり、その認知度を高めるようになりました。香港とシンガポールの躍進に貢献したのが、インターネットの普及だったのです。

70年代後半、米国アップル社によって開発されたパソコンはその後、アップル社とIBM社の2社を原動力として瞬く間に世界中に普及しました。これらのパソコンで使用されるプログラミング言語には、各社の自国語である英語が採用されています。その結果、英語がパソコンの共通言語と化し、パソコンの操作やソフトウェアーのプログラムをマスターする為には英語の理解が不可欠となったのです。その後、インターネットが世界的に普及してからは英語の重要度が更に増し、英語は事実上、世界共通言語として認知されるようになりました。

このインターネット時代の到来は、経済の発展を目論み、虎視眈々と日本に追いつくことを狙っていた香港やシンガポール等の華僑圏の国々にとって、正に追い風となりました。何故ならこれらの国々では既に英語が中国語と共に母国語として位置づけられているため、誰もが何ら抵抗なく、英語環境においてインターネットの最新技術をすぐに体験することができたのです。この点において日本の劣勢は否めません。英語に対しての苦手意識が強い日本人はインターネットが世界中に普及する真っ只中で、当初から他のアジア諸国に対してハンディキャップを背負うことになったのです。

苦手意識を改めることが英語をマスターする大前提

日本人にとって英語実践を妨げる最も大きな要素がこの苦手意識ではないでしょうか。ある大学の研究機関が日本と海外の高校生を対象に英語に対する意識を調査した結果、日本人の高校生は課題英作文が比較的良くできるにもかかわらず、「英語が使えるか?」という問いに対して「はい」と答えられる人が非常に少なかったのです。すなわち英語学習経験の有無に関わらず、英語に対する自信が欠けている事実が浮かび上がってきたのです。苦手意識が先行してしまっては英語を実社会において活用することは困難です。

日本人は英語を勉強の題材として、難しく考えすぎているのではないでしょうか?所詮どんな言語も、親が話しかけているうちに赤ん坊でさえも話すことができるようになるのです。ではどのようにして赤ん坊が親の言葉を理解し、いつの間にか話し始めるのでしょうか?答えは簡単です。いつも親の言葉を聞いているうちに意味を理解し、自分の口を動かして何度も話そうとしているうちに、ママ、パパ、と言えるようになってくるのです。

英語が話せるようになる条件はただ1つ、反復練習以外の何物でもありません。誰しも同じことを何十回、何百回と繰り返し言えば、単に言葉を覚えていくだけでなく発音も綺麗になっていきます。問題はそれを実行できるか、そしてどれだけ年齢が若く順応性があるうちに英語環境に身を置くかだけなのです。ところが未だに日本では、教室や教科書の世界を超えることができず、あくまで英語を学問として捉えてしまっています。実践的な英語力を育成するためにはこれまでの学術的呪縛から抜け出し、英語を実社会の中で使う機会を増やすための工夫をするべきです。

思いきって英語を日本の国語にしてしまおう

現実問題としてここまで英語の苦手意識が先行している社会全体の風潮を考えると、多少の小細工では英語環境が整う訳がありません。行政のリーダーシップをもって英語の標識や案内を増やし、国際感覚に富んだカルチャーセンターを設けること等も無論大事ですが、そもそも役所内に英語の堪能な公務員が殆どいないこと自体が根本的な問題です。民営機関が運営する英語学校も単なる営利目的の中途半端なものが多く、英語環境を創作するには至りません。いっそのこと英語を母国語として話す海外からの移民を多く受け入れることが、手っ取り早く英語環境を整えるためには一番効率良い方法かもしれませんが、日本社会の閉鎖性を考えるとそれも実現は難しいと言えます。

そこで思い切った処置として、英語を国語にしてしまう、という文化革命が必要です。具体的には香港やシンガポール、フィリピンと同様に英語を第二国語として正式に位置づけ、自国語として国が公に認め、国家の教育システムをバイリンガルという前提に基づいて抜本的に見直すことです。そのイニシアティブをとる最初の世代は大きな抵抗を感じるでしょうが、それ以降の若い世代がうける恩恵を考慮すると十分なメリットがあります。

英語が国語になるということは、誰もが英語に接する機会が増え、英語慣れするということです。それは単に役所のパンフレットや道路標識だけにとどまらず、殆どの公文書や公共の場で表記される文字に英語が併記されることを意味します。戸籍謄本や印鑑証明を初めとし、自動車の運転免許や保険証など、普段から一般の人が接する機会が多い書類の大半が日本語と英語で書かれ、電車の切符売り場における駅名の表記もすべて日本語と英語で併記され、各種公共機関におけるアナウンスも日本語と英語双方で行われるようになるということです。また、ラジオ等のマスメディアにおいても英語主体のコンテンツが増えることになります。

最も大事なことは学校教育の改革です。これまで一貫して日本語で行われていた授業に、幼稚園、小学校のレベルから英語授業を正式に取り入れることです。それは単なる英会話の学習にとどまらず、授業そのものを英語で行うレベルを指しています。単に英語教育という名目で外国人教師を呼び、英会話の授業を小学校で行っても、殆どインパクトがないことは既に周知の事実です。また教える日本人の先生に苦手意識が強いため、英語の授業はどうしても実現不可能に考えられがちです。

英語教育を根本から普及させる一番の近道は、文部科学省の指導転換により、小学生を含むあらゆるレベルの入学試験において英語授業を前提とした英会話と英文読解を必須科目とすることです。特に有名私立大学の付属小中学校が率先して英会話を試験科目に導入すれば、英語学習の裾野が広がります。そしてバイリンガルの学校を一部指定し、一定の成績を超えた卒業生は推薦入学などの優遇措置で有名校に進学できる道が開かれるようにすれば、子供のうちから積極的に英会話を覚えるようになるでしょう。しかし忘れていけないことは、英語は、受験の手段ではなく、楽しみながら習得する自国語である、という意識を育てていくことなのです。

英語が国語だという意識を徹底して高めていくために

成田市の隣の富里市でも英語教育について積極的に動き始めています。企画課行政改革推進室からの情報では、今年度『外国語推進協議会』を立ち上げて成田にあるミーツザワールドのような、市民が英語を直接体験できる環境作りに取り組む計画があるとのことですが、詳細はこれから検討するとのことです。

大手自転車メーカーでシマノという世界トップブランドを誇る上場企業があります。シマノでは売上げの大半を輸出が占める為、注文や問合せの殆どが海外から舞い込んで来ます。そこで事業のグローバル化に伴い、効率よく意思の疎通を図り、世界中の顧客とよりスピーディーに対応していくために、社内文書、及び社内会議での日本語の使用を一切禁じ、あくまで社内の国語は英語、という位置づけで社員教育を徹底したのです。この一見無謀ともいえる会社の方針が、会社の成長と社員の育成に大きく役立ったことは有名です。当初誰もが「できるはずがない」と思ったに違いありません。しかし、とにかく決められた通りに英語を使ってみようという積極的な意識が社員の中に芽生えた結果、それがいつしか英語環境に対する慣れに変わり、社員の多くが違和感を持たずに英語を使えるようになってきたのです。このように、まず英語環境を作らなければならない、という意識が大切です。

難しく考えることはありません。英語を日本の第二国語として普及させる為には、まずそれがグローバル化する世界の中で日本の国益にかなうだけでなく、最終的には皆が豊かな人生をすごすことができるようになるための手段であることに気が付くことです。その上で、「英語は国語」という方針を国家が打ち立てればよいのです。皆が足並みを揃えると、日本人はいつの時代においても想像を超える素晴らしい働きを成し遂げてきました。日本社会において皆が英語環境を当たり前に楽しみ始めた時、日本の可能性は無限大に広がることでしょう。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部