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災害危機対策の見直しは今しかない !
明日は我が身に降り掛かる災難に立ち向かうために ! !

災難続きの日本列島とでも言わんばかりに、次から次へと大自然の脅威が襲い掛かってきています。史上最多の真夏日を記録した暑い夏が終わったかと思えば、9月から10月にかけて毎週のごとく超大型台風が日本列島を駆け抜け、大きな災害をもたらしました。そして10月23日の新潟県中越地震は、プレートの変動からは全く予想できないまま起きた震度6強、M6.8の大地震であった為、殆どの住民が心の備えもすることができずに被害を真っ向から受けてしまった感が否めません。このように災害とはいつしかやって来るものであり、それは突然起こりうるのです。

そんな大災害が起きているとは夢にも思わず、10月23日、上海の出張から成田に戻ってきました。午後6時ちょうど着の予定でしたが飛行機が若干早めに到着した為、6時前にはターミナルに入り、早速東京にいる家族に帰国の第一報を入れようと電話をかけてみたのですが、何故か全く繋がらないのです。携帯電話の設定も問題ありませんでした。暫くの間全く繋がらない状況が続きましたが、これは午後5時56分の地震発生直後、被災者に対して親族や友人の安否を気遣う電話が殺到したことが原因でした。いざという時には携帯電話さえも使えなくなるのが大災害の恐ろしさです。

災害時のタイムクロックは緊急体制整備状況のバロメーター

この新潟中越地震を時系列に振り返ると、余りのスローテンポの事の運びに疑問を感じます。地震が起きてからNTTが災害用伝言ダイアルサービス(171)を開始するまで約20分。その間、電話は殆ど不通。震源地近辺の小千谷署により道路が陥没しているという情報が入るまでに約30分。気象庁が記者会見を開き、「引き続き余震が活発なため警戒が必要」と発言するまで1時間15分。村田吉隆防災担当相が「情報収集中」という何ら意味のないメッセージを述べるまで1時間25分。警察庁が災害警備本部を設置するまで1時間35分以上。消防庁が先遣隊5人を現地に派遣するまでおよそ2時間。それから死者があったことが報じられ、村田防災担当相が小泉首相に「早期に先遣隊を出しましょうか?」と電話で愚問を投げかけたのに対し「早く出せ!」と叱られるまで2時間20分超。複数の人が生き埋めになっているという情報が小千谷市からリリースされるまで2時間40分。そして要の行政府、長岡市が自衛隊に災害派遣要請を行ったのが、何と3時間10分後。新幹線なら東京から大阪までのんびりと旅をできる時間です。その後、新潟県がようやく重い腰を上げ自衛隊に災害派遣を要請したのは、地震発生から4時間30分も過ぎていたのです。緊急時の災害対策に弱い自治体の実態が露になってしまった一例といえます。

とにかく対応が遅い日本各地の危機管理体制

突然の大災害が夕方に発生し、また情報収集が難しい地域的な要素も絡んでいる為、なかなか物事が思うように進んでいかないという見解はわからないでもありません。しかし、もし自分が生き埋めになり、救助の要請が出るまでに3時間以上待たされるとしたら悲劇ではないでしょうか?一刻の猶予も無く、死んでしまうかもしれないという危機的状況だからこそ、1秒でも早く救助活動が開始されなければなりません。その為にも事前の危機管理体制が十分に敷かれている必要があります。

この対応の遅さは先日の超大型台風23号が日本列島を縦断した時も顕著に現れました。何しろ避難勧告さえ全く出せなかった市町村が続出したのです。洪水が起き、多くの家屋が床上まで浸水してしまった時点では既に時遅く、二次災害を恐れるあまり避難勧告を出すことができないまま、行政は無策無能の状態に陥りました。水害が広範囲で広がり、歩行が困難な状況で避難勧告をすれば、子供や老人は二次災害に遭遇する危険があるため、軽率に避難勧告を発表できなかったのです。しかしこれは洪水がその先悪化しないということが大前提です。もし水かさが更に増して家が完全に水没し、濁流に流されたりしたら、それこそ最悪の事態です。それ故、避難勧告というものは早期の警報が大事であり、被害が拡大してから出そうと思ってもうまくいきません。人命を重視するならば行政の素早い判断と対応が不可欠なのです。

油断大敵 ! ちょっとした不注意で尊い命を失う人がどれ程いることか

行政のスピーディーな対応と同様に大切なのは市民一人一人の災害に対する取り組み方です。100名近くの死者を出した台風23号では油断がたたったとも思える事故が相次ぎました。台風には多くの危険が潜んでいます。大雨による洪水、地盤の緩みによる土砂崩れ、落下物、また船の沈没と、想定できる被害は様々です。それ故、不測の事態を考慮した上で万全の防備をしておかねばなりません。足摺岬の漁港では集中豪雨の中で漁船を移動させていた人々が、また岡山では水田の様子を見に行った男性がそれぞれ尊い命を落としました。この位の台風なら大丈夫、という意識があったのでしょうか。生命の危険が迫っている時にリスクを犯してまで表に出て、超大型台風に飲み込まれてしまっては元も子もないのです。土砂崩れが起きても不思議でない地域に居ながら、避難をせずに帰らぬ人となってしまった事故が多発したことも残念でなりません。

災害危機対策の基本は緊急事態の認識をすぐに持つこと

英語では「sense of urgency」という言葉があります。直訳すれば単に危機感となりますが、もう少し具体的に説明すると、危機感がつのる故に何か対策を講じなければならないという切羽詰った感情の高まりを言います。このようなリアルな危機感と緊張感を持って、どれだけ早く危険を察知してアクションを取れるかが、災害対策において一番重要な点です。それは被害状況を見てから考えるものでもなく、「大変だ」という感情だけが先行して何もできないまま時間だけが過ぎ去っていくようなことでもありません。あくまで情報を収集しながら最悪のシナリオを当初から想定し、救助のアクションを起こすことに尽きます。

火事が起これば、当然のことながら家の中には人がいると想定し、消防隊員が人命救助を前提とした消火活動を行います。同様に大地震が起きた際、火事、家屋倒壊や土砂災害等の被害は予め想定でき、情報を収集しながら現場に急行する必要がありますが、この責任重大な最初の行動をとれずにもたつくケースが多発しているようです。

「緊急事態発生」という意識の芽生えが最近の日本人はあまりに遅くなっているのではないでしょうか?情報収集という定番の説明を盾に、実際に被害状況が確認できるまで待った上でアクションを取っているようでは救われるべき人命を失ってしまうことになりかねません。現実問題として、被害状況の報告がなされ、上からのお達しがなければ実際に動きがとれない構造体質が日本社会に蔓延しているようです。これでは、突然他国からミサイルが飛んできても実際に着弾して大勢の人の命が失われない限り、「まさかそんなことはないだろう」と悠長に考えるようなのんきな国民と思われても仕方がありません。

備えあれば憂いなし心と物資の準備が不可欠

災害はいつしか「きっと来る」のです。それが突如として起こる大地震であれ、河川の氾濫による大洪水であれ、明日は我が身に降り掛かると思ってしかるべきです。その為にも日ごろの備えと緊急時の対策を十分に考えておかなければなりません。

まず大事なことは、正確な情報収集ができる手段を日頃から考え、使い慣れておくことです。災害の危険を少しでも感じた場合、テレビやラジオ、新聞、インターネット等の各種メディアを利用して気象情報や災害情報、そして避難情報などが素早くタイムリーに入手できるように身の回りを整理しておくことが大事です。そして、いざという時の避難場所を常に頭に入れておく必要があります。避難命令が出てから場所はどこだろう、と考えていては間に合いません。まして子供や老人がいる場合は早めに避難するくらいの気持ちのゆとりが不可欠です。二次的避難場所として自らの臨時避難場所をも決めておくと良いでしょう。例えば大雨洪水の場合は、鉄筋コンクリートで3階建て以上の建物であれば崩壊の危険は殆ど無く、安全といえます。とは言え、先日の台風23号の様に印旛沼が溢れて周辺が水浸しになり、家屋が浸水してしまうような状況下では、低地に居住する人々の避難場所は限られてしまいます。それ故、できるだけ高台にむけて避難を素早く開始することが、最悪の事態に陥った時でも命を取り留める唯一の方法となりうるのです。

また、自分が居住する住まいを常日頃、しっかりとメインテナンスしておくことも大事です。最新の建築基準法に基づいて建てられた住宅ならば、震度6から7の地震がきても周囲が火事にならない限り家屋の倒壊はないでしょう。無論、手抜き工事の家屋等は論外であり、特に古家の場合、最低限の補修は大工さんに御願いして、要所を確認しておくべきです。例えば壁の内側に筋交いが入っていることを確認し、壁板に構造合板が用いられるだけで、耐震性が圧倒的に向上します。そして継ぎ手が弱そうな箇所は耐震金具を使って木材のジョイントをしっかりと固定すると更に強度が増します。ちょっとした工夫で地震でも倒れにくい家に生まれ変わることができるのです。

また非常時に備えて常に食料を備蓄しておくことも大事です。災害には食糧難、水不足が伴うことはわかりきっています。だからこそ、自分が住む周辺に水と食料を最低でも2~3週間分は常に備蓄していることが望ましいのです。この一見面倒くさいことをするしないで、あなたが生きるか死ぬかの境目に遭遇した際に運命が決定付けられます。備えあれば憂いなし、この言葉を信じて実行するものが救われます。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部