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成田POPランにチャレンジ!
市民全員で盛り上げる人気マラソン大会への遠い道のり

成田POPランにチャレンジ!

馬鹿は死んでも治らないと先人はよく言ったものです。その代表格が自分ではないかと疑ってしまうくらい、何故かしら「マラソン熱」に取り付かれてしまったようです。失速と激痛に苦しみながらかろうじて駆け抜け、「2度と走らない」と自分に言い聞かせたベルリンマラソンからまだ2ヶ月と経っていないにも関わらず、2004年成田POPランのハーフの部に出場することを決めてしまったのです。

成田を走る理由は幾つもありました。まず海外の大会を3回走ってきたにも関わらず、日本では大会に出場したことがないこと。やはり一度は出てみたいものです。また大会の開催地が地元の成田であり、自分がいつも車で行き来している道路の真ん中を自分の足で走る快感はこの時にしか味わえないこと。そして偶然にもコース沿いに家族の住む家があり、庭から応援する子供たちに走りながら声をかけることができる場所は世界でここしかないことを考えると、一度はPOPランを走らなければならなかったのです。

マラソン中毒の理由は体内分泌作用にあった

適度なペースで無理なく走るマラソンならば体調も良好になり、若返りに一役買うことができます。ところが競技マラソンとなると訳が違います。体力の限界まで無理を強いて、時間と戦いながら長時間走り続ける為、身体にかかる負担は計り知れません。それ故、当誌でも執筆されたアンチエイジングの第一人者、米井先生からつい先日「競技マラソンは体の老化を促進してしまうので、できるだけ避けた方が良い」というアドバイスを頂いたばかりです。しかし頭では理解できていても、ふと気が付くと何時の間にかマラソン大会にエントリーしてしまうのは正に病み付きとしか言いようがありません。

実はこのマラソン中毒には医学的根拠があったのです。激しい運動を繰り返すスポーツ選手に共通して言えることですが、走る度にエンドルフィンやドーパミンという麻薬の様な中毒性の高い物質が体内で分泌され、その作用によって「もうやめた!」と何度言い聞かせても、また手を出してしまうのです。これで中毒の謎が解けました。

アンチエイジング医学によってベストコンディションを作る

40代の健康な男性がマラソンで突然死する可能性は10万分の1以下の確率であると言われている為、さほど心配するには及びません。しかし血管年齢が急激に老化しているという診断を既に受けていた為、何らかの対策を練らなければ安心してPOPランを走ることはできません。そこで最先端のアンチエイジング医学に基づいたサプリメント療法から、如何にしてマラソンによって生じる過大なストレスから体を守り、老化した血管でさえも若返らせことができるかを学んでみました。

長距離を走るマラソンレースでは、フリーラジカルという酸化物質が大量に発生し、体の老化を加速させます。その悪影響を食い止める為にはレース前日から終了後2日位までの間、抗酸化の働きがあるサプリメントを、思い切って日常平均摂取量の3~4倍服用するのです。抗酸化物質の例としては、ビタミンCやビタミンE、老化を防ぐ効果で最近注目されているコエンザイムQ10があります。ビタミンCならば日に3~4000mg、ビタミンEは800mg、そしてコエンザイムは4~600mg程を、レースの前後に摂取することにより、単に老化を防ぐだけでなく、体調をベストコンディションに保てるようになります。

また古傷である膝のじん帯や軟骨の痛みも、筋力トレーニングとサプリメント療法の併用で予防できることがわかりました。まずレッグエクステンションという運動を十分に行い、膝周りの筋力を強くします。その上で、軟骨や椎間板等の栄養素となるグルコサミン、コンドロイチンを用法・用量の範囲で日々摂取するのです。これで徐々に体内の痛んでいる細胞が修復され、レース中に痛む可能性が低くなります。

勿論一番大事な基本は、笑顔をもって走れる程度のマイペースで走るということです。ところが大半のランナーは自分も含めて欲張りです。レースではつい記録を狙ってしまう為、自分の実力以上のペースで走り始め、後半で失速して自滅するのです。2004年3月のロス・マラソンのように至る所にランナーが倒れ、救急車が何十台も走り回るというのは、多くのランナーがペース配分を間違えて走ってしまった結果といえます。やはり日頃の練習成果を落ち着いて披露するつもりで、多少のゆとりを残しながら走る位の気持ちが大事です。

成田POPランの思い出話はこれだ!

2004年11月7日、成田は朝から街全体が濃い霧に包まれて視界が全く無く、東関東自動車道でさえ通行止めとなっていました。しかしスタートの時刻が近づくにつれて霧も徐々に晴れ、成田周辺もさわやかな陽気に包まれてきました。前日、車で全コースを下見し、その起伏の激しいコース状態は充分に頭にインプット済です。それ故ペース配分さえうまく行えば、ハーフでもあるし、本当に笑いながらゆとりをもって走ることができるはずです。

開会式では小林成田市長や、ゲストで来られた佐倉アスリート倶楽部の小出監督、そして千葉真子選手らが挨拶をされました。小林市長は多少緊張されていたのでしょうか、レース参加者に対して「おめでとうございます」と締めくくられたのですが、大勢のランナーがこれから苦しんで走るのに、一体何がおめでたいのだろうかと、ふと考えてしまいました。それにしても健康都市宣言を誇る成田市なのですから、主催者側は市長も含めて職員全員が背広姿ではなくランニングウエアーを着て、マラソンも最低3~10kmは走るべきではないでしょうか。対象的なのは千葉選手の元気な挨拶でした。この人が本当に著名ランナーなのだろうか、と思うほどごく普通の体つきと、茶目っ気たっぷりのトークに新鮮味を感じました。スタート10数秒前、千葉選手が他のゲストランナーと共に突然スタートラインに現れた時、一瞬にして周辺がざわめき、隣の男性ランナーが「おー、かわいいじゃん…」と、ため息にも似た独り言をつぶやいているのを耳にしました。邪念に目がくらんでいる内に、さあ、マラソンのスタートです。

初のハーフマラソンでしたが、スタート直後から体が重く感じられた為に大事をとって若干ペースを落とし、時速14km程で気楽に走ることに徹することにしました。ニュータウンの外周道路を走り抜けて一気に印旛沼方面に坂を下っていくと、田んぼ道が広がっています。その普段から見慣れた道路を車の心配をしないで走り抜けることができるのがマラソンの魅力です。くねくねと曲がりながら5km地点を過ぎると、曲がり角から幾分離れた所に1台の白いオープンカーが止まっていたのです。誰だろう、と思って見てみると、何とあの小出監督がランナーの走りっぷりを観察しているではないですか!「小出監督、元気ですか!」と走り寄って大声で挨拶でもしたくなるような衝動をこらえ、見て見ぬふりをして走り続けることにしました。監督とは選手を気にかけるあまり、意外な所からでも選手を見つめ、励まし、時には叱咤し、成長を願うものなのでしょう。また選手はいつも監督から見られているのだ、ということを察知することにより、常に前向きな気持ちで走れるようになります。

成田POPランを成功させる秘訣とは?

成田POPランと海外の国際大会の一番大きな違いは、全体的な規模はさておいて、街道沿いの応援者の数です。ベルリンマラソンでは沿道の両側に延々と続く応援市民の総数は100万人とも言われています。マラソンの参加者はおよそ3万としても、その30倍の応援者が集まるのです。成田POPランのハーフマラソン参加者の数はおよそ1000人ですから、その割合で考えますと、3万人の応援者が街道を埋め尽くしてもよいはずです。

ところが外周道路を走って見かけた応援者はほんの数名、印旛沼方面に至ってはほぼ皆無であり、唯一の応援は交通整理をしている市の職員の「頑張ってください」という静かな言葉だけだったのです。レース全体を通しても、進路沿いにはおそらく50名の応援者さえいなかったでしょう。これが成田POPランの実態であり、レース自体が成田市民の理解を得られていない証拠なのです。POPランを成田市でこぞって盛り上げていこうというコンセンサスが無くてはこの大会の発展は望めません。

マラソン大会が人気を得て成功するための秘訣が3つあります。まず開催地となる街自体が、ランナーや応援者にとって色々な意味で興味深く、人が集まりやすいエキサイティングな場所であること。次にコース自体がプロのランナーも好むような上質で走りやすい安全な道であること、そして企画力をもった行政が大会運営をダイナミックに展開することです。マラソンには記録更新を狙うプロだけでなく、健康のために走る人、景色を楽しむ人、おしゃべりしながら走る人など、色々なランナーが参加します。それらのランナーと心をひとつにして一生懸命応援する沿道の観戦者の熱い声援があってこそ、初めて本物のマラソン大会となります。成田に必要なのはまず、市民がマラソン大会のホストタウンとして、多くの人に成田で走ってもらいたい、という情熱を持つことではないでしょうか。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部