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近代社会における都市計画の在り方 PART2
行政が決定的な指導力を持つ米国のケーススタディー

都市計画のシナリオは誰が考え、誰が決定権を持つべきでしょうか?民主主義の世の中ですから、当然ながら民意を形成する市民が中心となって決める、というのがごく一般的な見解でしょう。しかし現実的には民意がまとまって世論となり、その言論の高まりに応じて行政が動かされるということは稀です。また「民意」は「住民エゴ」と紙一重の面もあり、都合よく摩り替えられて使われていることも多々あるようです。しかし個人主義が台頭する近代社会においては自らの利権を優先することは当然で、住民エゴも民意の内と考える方も少なくないかもしれません。また大半の庶民は基本的に政治経済にはうとい為、無関心を装うか、諸先生方に全てお任せする人が多くを占めるでしょう。すると街の行く末は本来一番の主導権を握るべき住民ではなく、利権にこだわる少数派の地主勢力が主体となって決定されることになり、大切なトピックについても住民を交えて議論されることは少ないようです。

その結果、行政側の対応も民意を正しく反映させることができないまま、とりあえず最低限のルールだけは継承し、荒波が立ちそうなことには一切手を付けない策を取らざるを得ません。何しろ市民には意見が無いか、あってもばらばらでまとまらず、それを取りまとめる公務員側としては余計な問題に巻き込まれたくないという自己防衛本能が働いてしまって当然です。それ故、市民とは最小限の接点しか持たず、また関わる業務も自然と必要最小限でしか行なわないようになってしまうのです。このように市民も行政も消極一環の姿勢に慣れきってしまった背景の中で、成田市の街造りは一体誰が考え、誰が主導権を握って管理するべきかが問われています。

地権者の権利を優先する日本 VS.行政による管理指導を徹底する米国!

日本の社会においてはその狭い島国という土地柄、昔から地権者の利権を保護する風潮があり、その根底には自分の土地では人様に迷惑をかけない限り何をやっても良い、という考えが根強くあります。その為、県の土木事務所による建築確認申請や、市の指導要綱等、各方面からの行政力によって建築上の制限が設けられたとしても、単なる枠組みだけの大変ゆるい制限となっており、基本的には建築基準法、都市計画法等の各種法案に則ったものであるならば、ほぼ何でも施主が建てられるような法的仕組みになっています。その結果、土地の所有者に対して自由な裁量の余地が与えられ、街造りは景観も含めて地権者の自主的な判断に大きく左右されることになります。

それに比べて、都市開発の先進国とも言える米国では行政の指導が徹底しています。都市開発に積極的に取り組んでいる新興住宅都市では、City Councilと呼ばれる選挙によって選ばれた数名から構成される市会が、決定的な行政力をもって市の行く末を舵取りします。その市会に対して各種進言を執り成すPlanning Commissionと呼ばれる都市計画評議会も大きな影響力を持ち、そこに在籍する数名のエキスパートには都市計画や建築に関わる一切の承認権限が与えられるのです。例えばこの評議会には土地の活用に関わる用途の承認だけでなく、建物の形状や看板設置の有無、ひいては屋根の材質や色、植えるべき植栽の種類まで制限をする絶対的権利が与えられることも少なくありません。

その結果、一貫性を維持した景観を誇る街造りが実現します。アメリカの新興住宅地域はどの家も似たような形状であり、色彩も同一色でまとめられています。また最近は例え商業物件でもあっても景観を損ねるという理由でネオンサインや目立つ看板など一斉許可されなくなり、住宅街には商業系オフィス等の混在さえも一切許されていません。また何処へ行ってもきちんと上下水道が完備されており、これらはすべて行政の強い指導力によって実現しています。このようにアメリカでは、社会的秩序を保ちながら街の健全な発展をマスタープラン通りに実現する為に、多数の法規制や条例をもって住民エゴを取り締まり、有無を言わせずに行政の方針に市民を従わせています。それが嫌なら他の街に引越しなさい、と言わんばかりの強引さです。アメリカは規制緩和の代名詞のような国ですが、都市計画においては全てが厳重な規制に縛られているのが事実です。

地権者の権利を厚く保護する日本社会と、行政が絶対的指導力を握るアメリカ。その結果の違いは明らかです。前者は地主が自由な裁量を与えられ、思うままに土地を活用できて地権者が自由を味わえますが、町全体としての一体感は損なわれ、まとまりのない街造りとなってしまいます。後者は、地権者の権利が大幅に束縛されますが、町全体に一体感が生まれ、行政の指導が行き届くようになります。この強力な行政のリーダーシップの一例として加州、サウンザンド・オークス市の対応を検証してみましょう。

米国サウザンド・オークス市の徹底した行政指導に敵は無い!

1980年代、カリフォルニア州ロスアンジェルスの北西およそ50kmの所に位置するサンザンド・オークス市(TO市)は、未来型のモデル都市として脚光を浴びていました。東西南北に張り巡らされたフリーウェイが交差する拠点として、山と砂漠の荒地が開発され、幹線道路沿いは巨大な商店街となり、その周辺に加州でもトップクラスの高級住宅街が当時、続々と開発されていったのです。そのフリーウェイ沿いにある大型ショッピングセンター(SC)の開発を手がけていた時のことです。そのSCにはDMVと呼ばれる加州運転免許試験場があるだけでなく、大型スーパーマーケットやバーガーキングなどのファーストフード等、数十にわたる店舗によって構成され、地元でも大変人気のあるSCでした。その中心部の交差点入り口角にある空き地の活用方法において、当時大議論が巻き起こりました。

日本の常識では、土地の所有者は自分の資産である土地の上に自分が何を建設しようが、他人からとやかく言われる筋合いはない、と考えるのがごくあたりまえです。ましてや既存のSCですから、どんなテナントを入居させようが所有者の勝手と考えます。ですがTO市は違います。行政が街造りを完全に仕切っている為、どんな商業物件でも市の条例に従ってテナントの選別に関して厳しいチェックをが入り、メジャーなテナントが入居する際には公聴会も必要なのです。そして公聴会においてはその新規店舗の商業用途が問われるだけでなく、そのテナントが周囲にどのような影響を及ぼすか、競合店が周囲に存在しないか、住民にとってそのテナントが入居するメリットがあるかなど、様々な角度から意見が交わされ認可の是非が問われます。

当初、この角地には平屋のオフィスビルを建築し、銀行の支店に賃貸することが計画されていました。SCの周囲には地銀の小さな銀行窓口1軒しかなかった為に、市の方では大手銀行の支店がセンター内に入ることを歓迎したのです。その後、銀行の不況がアメリカ全土を襲い、いつしか入居を希望する銀行テナントを見つけるのが困難になった為、今度は平屋のオフィスとして一般企業向けに賃貸すべく市役所に申請し直し、建築許可を受けたのです。その矢先のことでした。マクドナルド社(M社)から電話があり、この角地にハンバーガー店を建設したいので、土地を売却してほしいと連絡が入りました。早速、市と協議したところ、ショッピングセンター内には既に同業者のバーガーキングが店舗を持っている為、許可をすることは難しいということでした。そこでM社の担当者に「希望は市に伝えたのだが、無理のようです。」と返事をしたところ、「わがM社は全米で最も影響力のある弁護士も抱えているし、市がそのようなことを言っても問題はないので、売却をお願いしたい」と懇願されてしまったのです。最終的にM社の熱意に押されて土地を手放すことになるのですが、それからがM社の試練の始まりでした。

早速規定に従って都市開発評議会による公聴会が開かれることになりました。その内容はケーブルテレビでライブ実況中継されましたが、まず、思わぬ反対意見が周囲の住民から上がったのです。M社の店舗は夜になると中高生の溜まり場となりやすく、SCの真向かいには戸建の住宅街があるため、騒音の問題が避けられない、という批判でした。次に行政側からは、既に同業B社が同じセンター内に店舗を構えているために、2つのハンバーガーショップは必要ないのではないか、という見解が取り沙汰されました。またM社の建築プランによるドライブスルーの渋滞問題も議題に挙げられ、結果としてM社は全面敗訴してしまったのです。その後、数年がかりでM社はTO市に対して控訴し、弁護士を使ってあらゆる手段を講じましたが、全く効を奏せず、M社が購入した土地はそれから何年も空き地のまま眠ってしまうことになったのです。

行政が都市開発のあり方についてどこまで仕切る権限を持つべきか?

規制緩和とか市民の自由の象徴であるように思われがちなアメリカでは、このように都市計画については非常に厳しい規制によって街造りを管理する体制が敷かれています。こうして細かい詳細まで考え抜かれたマスタープランに従って、近代都市としてのビジョンを実現すべく着実に一歩ずつ前進し、それにそぐわない案件はいかなるものでも問答無用で全て排除しているのです。このような厳しい行政の姿勢を日本では持つことができるでしょうか?成田では一体、誰が都市計画について今日、真剣に考え、責任をもって立案し、その実現に向けて指導力を発揮しているのでしょうか?考えさせられるこの頃です。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部