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富里スイカロード・レースに大注目!
市民マラソンと縁日を合体した万人のお祭りは必見の価値あり!

至れり尽くせりのスイカロードレース

失速続きのマラソン回想録

この1年半、世界各地で行われる著名なマラソン大会に参加してきました。日本からの参加者が多いホノルルマラソンが初めての挑戦となり、太平洋の島で想像を絶する地獄の苦しみを味わいながらも、かろうじて3時間59分という記録を達成。その痛みも癒されない3ヶ月後、ロスアンジェルス国際マラソンにエントリー。30度を超える炎天下の最中、いっきに記録を3時間42分まで更新し、サブスリー、すなわち3時間切りという目標が視野に入ってきました。半年後、次は3時間10分台で絶対に走りぬくと心に決めたドイツのベルリンマラソンでは32kmまでサブスリーのペースで走っていながら、そこから突然の大失速。再び地獄の苦しみを味わってしまい、3時間32分という自己ベストの更新ながら、失意のどん底に落ちてしまいました。この失速がマラソンの天敵なのです。

マラソンの国民的スター、高橋尚子がまさかの失速をして優勝目前から脱落したシーンは記憶に新しく、それ以来、高橋選手はレースから遠ざかっています。端から見ると単にペースダウンしているようにしか見えない失速は、実は死ぬほど苦しい最悪の事態なのです。高橋尚子だからこそテレビに映ってしまう手前、さほど苦しそうな表情をせずに淡々と走っているふりをしたのでしょうが、おそらく本人は言葉では表せぬ苦悩を体験していたに違いありません。何しろ動かなくなった体に対して、気合だけで足を動かそうとする訳ですから、その苦痛は半端ではありません。だからこそ、マラソンは失速しないようにペース配分をすることが大事です。

そう心に決めて望んだ昨年12月、2回目の挑戦となるホノルルマラソンでは、とにかくはやる気持ちを抑えて、最初の20kmはのんびりと楽しみながら走ることにしました。するとどうでしょう。後半の20kmでは余力が残り、ぐいぐいとゴールまで気持ちよく走ることができ、しかもアップダウンの激しいホノルルマラソンで3時間27分という自己ベスト更新の快挙を成し遂げました。同じレースで長谷川理恵の記録は3時間19分台でしたので、後、8分で理恵ちゃんを追い抜く!そう思うと今まで以上にやる気満々になってしまいました。

その3ヶ月後、2度目のロスアンジェルス国際マラソンにチャレンジして、これまでの経験を活かし、必ずしや3時間10分台を実現して新聞に名前を載せる、と意気込んだのですが、自然体から乖離した心持ちが敗北の始まりだったのです。体調も万全、気候も悪くなく、絶対にいける、と確信して望んだLAマラソンでは、信じられないことに再度失速を体験し、自己ベストを更新することができずに3時間29分というホノルルよりも悪い記録に終わってしまったのです。

長谷川理恵を応援する理由!

最近になって長谷川理恵が偉いな、と思うようになりました。彼女は東京国際女子マラソンにエントリーするため3時間15分という目標を掲げ、そのタイムを切るために、長年一生懸命練習に励んできています。彼女の走っている姿を見たことがある人なら、いかに彼女が真剣にマラソンに取り組んでいるかがすぐわかります。女優でありながら、マラソンに賭ける意気込みには頭が下がります。

長谷川理恵のホノルルマラソンにおける記録を見ますと、何と毎年3時間15分台から19分台を行き来しており、その目標とする15分の壁をほんの少しの差でずっと破れずにいるのです。後一歩で14分台に入れるはずなのに、何故かしら、その1分を縮めることができないのがマラソンの現実です。3時間10~20分台に入ると、そこから1分でも時間を縮めるためにはさらに練習量を増やし、且つ精神面での鍛錬を必要とします。それでも諦めずに走り続ける長谷川理恵の根性は見上げたものです。

マラソンは体を消耗させる

本年度のロスアンジェルス国際マラソンで失速を体験した後のことです。マラソンが終わって日本に帰国してから1週間たったある朝、起きてみると左ひざが大きく腫れ上がっていました。さほど痛みはなかったのですが、無論、ひざを曲げることもできず、安静にしているしかなかったのです。幸いにも腫れは2日程で引きましたが、膝の違和感や軽い痛み、関節が外れそうになるカクカク感が何ヶ月も消えないので、整形外科医を訪ね、MRIを使った精密検査をして頂きました。するとどうでしょう。1年前も同じMRIの検査をしたのですが、その当時の画像と比較すると、以前は黒く映し出されていた膝の内側にある半月板が、今回はスカスカの透明になっています。かなりの運動量をもって走り込んできたために半月板が損傷してしまったのです。しかし先生いわく、「ラグビーの選手なんか、みんなこんなもんですよ。」と。そして半月板が切れなければ手術をする必要もなく、引き続き運動を続けても大丈夫、ということでした。迷っていても仕方ありません。スイカロードレースにエントリーしたからには走る。それが定めというものです。

至れり尽くせりのスイカロードレース

マラソンはつらいことばかりではありません。楽しいマラソンもあります!

6月26日、富里スイカロードレース当日の朝。ちょっと曇ってはいますが、真夏日になるとの予報もあり、暑さの中での我慢比べとなりそうな予感です。初めての参加ですが、富里中学校の会場は富里市役所と中央公園に隣接している為、芝生でのストレッチも余裕で行うことができ、広々とした会場全体の雰囲気は全く予想外であり、ちょうどホノルルマラソンの小型版とも言えます。また、交通案内のスタッフも多数配置され、簡易トイレも十分な数が設置されており、マラソン大会としては上出来です。特筆すべきは縁日を思わせるような露天商が多数、会場周辺を埋め尽くし、いつでも誰でも自由に飲み食いできるように配慮されていたことです。また一般の大きなマラソン大会では、レース前の飲み物は自己負担が原則です。しかしここでは給水所がレースのスタート地点から設置されているだけでなく、アミノバリューというスポーツドリンクでさえも、レース前に無料で飲むことができました。おまけにレース開始の10時前後からは会場でお目当てのスイカが誰でも自由にいくらでも食べることができるのです!!これは富里市の太っ腹サービス精神の結果でしょう!!スイカ美味しい!

スイカロードレースの落とし穴

スイカロードレースは3kmの小中学生、そして5kmと10kmの一般および40歳以上にレースのエントリーが分かれており、順番にスタートしていきます。既に気温は28度を超えており、道路上は優に30度を超えるという灼熱の中でレースが始まりました。コースそのものは大変走りやすく、快適です。給水所も10kmコースで6箇所に設置されており、十分です。ところが全てがいいことずくめのマラソンレースなど、存在するはずがありません。スイカロードレースにも意外な欠点がありました。まず幻滅したのは、走っている途中に馬糞のような肥料の匂いが道路上を漂っていることです。そうでなくても、うだるような暑さの中で選手は走っているのです。選手が気持ち悪くなって、吐き気を催さないように、肥料の悪臭だけは勘弁して頂きたいものです。もうひとつの問題も農家関連です。レースの最中、どこかの農家が草木を燃やしており、その煙が道路上を漂っていたのです。これでは選手を窒息に追い込むようなものです。こういう非常識な農家は厳重注意です。沿道の応援も意外と少なく、またスイカロードというからには、給水地点にスイカでも置いてあるかと思いきや、実際には農家の方がいすの上にすいかを置いて、そこに1000円の看板を掲げているのです。日本中に富里のスイカをアピールしたいならば、市民こぞってランナーを応援し、農家は自分の家の前に冷たいスイカを切ってならべて、ランナーの方に「どうぞ!」と笑顔で手渡すくらいの気持ちが必要ではないでしょうか。

縁日とマラソンが合体したお祭り広場

ゴールの富里中学校に戻ってくると、そこはもう、お祭りムード一色です。半ドーナツリングのゴールを過ぎると、まず正面突き当りで冷たい麦茶をむさぼるように飲ませて頂き、一服。それから市役所と公園の広場に向かって歩いていくと、レース前に見た露天商の前はランナーとその家族らで賑わっていました。無料マッサージのブースがなかったのがちょっと残念ですが、フルマラソンのレースではないため、それは致し方ないでしょう。でもさすがに圧巻はスイカの無料配布所です。大勢の人だかりができており、みんな暑さを吹き飛ばすべく、その周辺でスイカをむさぼるように食べているのです。そして食べ終わったスイカの皮は、巨大な建築廃材用のごみ箱に放り入れるという豪快さがうけます。確かに大勢の人が食べたスイカの種は路上に吹き飛ばされていたようですが、思いっきりスイカを食べたい放題食べて満喫できるのは、1年に1回、この日、ここしかありません。

世界一のマラソン大国、日本が誇る富里スイカロード・レース!このスイカロードのレースは意外にも素晴らしい可能性を秘めており、これからも大きく発展することでしょう。特に主催者側の暖かいサポートと、家族ぐるみで参加しても皆が十分に楽しめるイベント性は特筆すべきものがあります。でもその前に、富里中学校の昭和時代を思わせるでこぼこした土の運動場はきちんとトラック舗装しましょう。もし雨がふっていたら…と思うとぞっとします。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部