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目標がなければ生きていけない!
ホノルルマラソンを越えて、マラソンドリームは東京へと羽ばたく...

38歳にしてシドニーFCで活躍をしている人気サッカー選手、カズこと三浦和義選手が先日テレビインタービューで、何故いつも一生懸命になってトップを目指しているのかという質問に対し、「目標がなければ生きていけない!」と、情熱を込めて語りました。目標がある所には、チャレンジ精神と心の鼓動に伴い、新たなる感動を体験する大きなチャンスが訪れます。目標を掲げて取り組む典型的なスポーツの一例としてマラソンがあります。一般から参加するランナーにとっては、とにかく42kmを走破することが一番の目標となりますが、上を目指すランナーにとっては、時間との勝負が重い負担として圧し掛かってきます。1秒でも早く走るために自分の限界に挑戦するという過酷な戦いだからこそ、マラソンでは常に「目標」を掲げて練習することが大切です。

2007年、東京マラソン開催決定!

つい先日、石原東京都知事が「東京マラソン」を2007年に開催し、世界的なマラソン大会にしたい旨を表明しました。これはまさにランナーにとって朗報です。いつか東京を走ってみたいと考えていた筆者にとって、大勢のサポーターから沿道で声援を受けながら、自分の生まれ故郷を走り抜けることは夢のような話です。これまで多くのランナーはいくらレースに出場したくても、東京で開催される国際マラソンはオリンピック選手並みに参加資格のハードルが高すぎる為、男女共にあきらめざるを得ませんでした。ところがこの「東京マラソン」の開催によって、一挙に一般ランナーにも「東京を走る」門戸が大きく開かれることになったのです。

東京マラソンが開催される時点で筆者の齢は50歳。マラソンの世界ではきちんと規則正しい生活をしてトレーニングを積めば、まだまだ走れる年齢であるからこそ、楽しみながら走ってゴールしたい、と思うこの頃です。と言っても社会人にとって走る時間を見つけるのは簡単ではなく、気がつくと、運動しないで2-3日過ぎていることが少なくありません。そこで秘策の登場です。都内の移動ではタクシーや電車を使わず、走ることにしたのです。池袋から渋谷なら山手通りを走って40分、電車に乗って途中を歩いたり待っていたりするより、走った方がずっと早く目的地に辿り着くことができます。築地から飯田橋へ抜けるルートは特に快適であり、銀座の繁華街から皇居の外堀を駆け抜ければ、素晴らしい景色を肌で感じながら目的地に到達することができます。無論、到着時は汗だくなのが唯一の欠点ですが...そして週末は時折20-30km走りこんで、脚力を増し加えていくことしました。

これらのトレーニングが功を奏したのか、本年度の成田ハーフマラソンでは目標の1時間30分を達成し、フルマラソンでは確実に3時間10分台で走れるという自信をつけました。次なる目標はホノルルマラソンにて女優の長谷川理恵に勝ち、会社で陸上部の結成を実現、そして2006年3月のロスアンジェルス・マラソンでは2万5千人中、トップ500に入り、2007年には東京マラソンに出場することです。「目標」は定まりました。

突然の怪我に悩まされる苦悩の日々

ところがホノルルマラソンの10日前、それまで絶好調であった自分の足に突然のごとく異変がおきました。軽く練習がてら走り始めた直後、左足を前に踏み込んだ時に足の裏に激痛を覚えたのです。あまりの痛みにその時は走るのをすぐにやめ、1日休養して様子を見ることにしました。ところがその後一向に回復することはなく、次第に歩く時にも痛みが生じるようになっていました。早速、整形外科医を尋ねて診察を受けてみると、心配していた疲労骨折ではなく、単に足底の不均等な地面への当たりからくる筋肉の炎症、ということで鎮痛剤と足底のパッドを頂きました。また、走りすぎと、偏平足に起因する足底筋膜炎という診断も受け、靴底に入れるインソールの改良をすることになりましたが、これは時間がかかることがわかり、レースにはとうてい間に合いません。それ故レース直前の5日間は全く走ることができず、その間ホノルルへの参加断念を真剣に考えさせられました。

しかしどうしても諦めきれないため、最後の手段としてキネシオテーピング協会のクリニックを訪ねることにしました。アポ無しで駆け込んだのですが、著名な加瀬院長とお会いすることができ、左足の脚力が右に比べてずっと落ちていること、足底の筋肉が緩んでいること、そしてこれら一連の問題が以前から痛めていた左膝の靭帯にも起因していて、足全体にねじれが生じているという診断を受けました。そこで左足を中心にテープを足底から腰まで何箇所も貼って頂き、最後に一言、「これで走れると思うよ」と言って頂きました。その晩、6日ぶりに恐る恐る走ったところ、今までとは違った感触で久しぶりに5kmをさほど痛みなしに走破できたのです。これで再び、ホノルルを走る勇気が沸いてきました!

長谷川理恵を見かけて緊張が走る!

例年のごとく、ロスアンジェルスで仕事をした後に帰国の途上でホノルルを走るというプランで旅する、3泊4日の強行スケジュールです。ロスに着くと早速、怪我のために走れなかった分を取り戻す為に、軽く15km程走り込みました。ところがこの練習中に足底の痛みが再び生じたのです。長距離の走破に不安をつのらせたまま、ホノルルへと向かうことになりました。今年はワイキキビーチのアラモアナ側、一番端にあるレナサンスホテルに宿泊です。チェックインした直後、エレベータ脇にて著名な女子ランナーである谷川真理選手を目撃し、マラソンのボルテージが上がり始めました。また隣のホテルにふらりと散歩がてら行ってみると、今度は長谷川理恵がいるではないですか。彼女はテレビや雑誌から想像するよりずっと背が高く、体も鍛えられていました。打倒長谷川理恵を掲げて練習してきた筆者ではありますが、想像以上の肉体美を目の当たりにし、これは大和魂を奮起しなければ勝てない、と引き締まる思いに駆られたのです。マラソンの前夜、ホテルの野外ジャクジーには、「神様、痛みがおきませんように…」と足をもみほぐしながら祈り求めている自分の姿がありました。

膝と腹の激痛に襲われる恐怖

今回の目標は3時間15分。長谷川理恵がおそらく16-7分台で走ることを想定し、1マイルごとに7分20秒台で走るプランをたてました。また左の足底を痛みから守るために、道路がやや左側に傾斜している面を走り、外側から踏み込むようにして前に出す左足ができるだけ地面に対してフラットに当たるように工夫しました。更に医師が処方した鎮痛剤をダブルの量で飲みほし、痛みに備えたのです。花火が「ドドン!」と打ち上げられると同時に、レースが幕を開けました。

思いのほか足底の痛みは殆ど無いままに最初の数マイルを走り抜け、「これならいける!」と快適に走り始めたのもつかの間、7マイル地点で、突然左膝の内側に激痛が走ったのです。「あり得ない!」と心の中で叫びつつも、数分おきに連続して生じ始めた痛みに慄いてしまいました。傾斜している道路脇を走り続けて足底をかばった為、今度は膝の内側にストレスがかかってしまったのです。このまま斜面を走り続けては膝の激痛が悪化するだけに思われたので、苦渋の決断ではありましたが、あえて道の中央で平らな箇所を走り、足底よりも膝をかばうことにしました。するとまたたく間に膝の痛みが軽減し、幸いにも足底の痛みもぶり返すことなく、少しずつ自信をもってスピードを回復していくことができたのです。

ところが15マイル地点で更なる難関が待ち構えていました。マラソン中に脇腹が痛くなるという、今までに経験したことのないアクシデントに見舞われてしまったのです。足の痛みは我慢してでも走り続ける心の準備がありましたが、腹痛にはあえなく負けてしまい、徐々にスピードが落ちてくるのが手に取るようにわかりました。そして1マイル7分20秒台をほぼ守ってきたペースが一気に8分近くまで落ちていくのを腕時計で見ながら、危機感をつのらせていったのです。

その時、「絶対に負けられない試合がある!」という大好きな全日本サッカーの合言葉が心の中に蘇ってきました。これまでつらい練習を耐え忍び、ここまで頑張ってきて、あと残り10マイルでゴールだ!と考えれば、「腹痛がなんだ、膝痛がなんだ、絶対に負けられない」と心が奮い立ち、わき腹を押さえながらも懸命に走り続けたのです。幸いにも20マイル地点では腹痛が和らぎ、目標ペースを取り戻しながら、最後はダイアモンドヘッドの頂上からワイキキビーチのゴールに向かって一気に走り下り、ゴールストレッチは全力疾走です。そして7回目のフルマラソンにして初めて大きな笑顔でゴールすることができました。

長谷川理恵に圧勝、次の目標は!

結果は当初の目標よりも9分遅い3時間24分。しかしホノルルという大変起伏の多い難しいコースながら、2ヶ月前のシカゴで更新した自己ベストを再度更新したことには大満足です。しかも当初から目標に掲げたホノルルマラソン・トップ500番以内も見事に実現。そして長谷川理恵には途中で負けを覚悟してしまいましたが、彼女が不調だったこともあり、結果として圧勝でした。レース直後に彼女を抜いた後、そのまま追いつかれずにゴールできたのです。足の怪我により棄権さえ考えていた自分にとって、正に快挙としか言いようがありません。感謝!当初の目標をほぼ達成することのができた良いこと尽くめのホノルルマラソンでしたが、この勢いを持続して2006年3月のロスマラソンに臨むことができれば、2007年2月、東京のゴールが見えてきます。その日まで3000kmは練習で走らなければならないのかと思うと、これこそ目標がなければ考えることさえできない、とてつもなく長い道のりです。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部