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ロスアンジェルス国際マラソン3度目の正直!
Los Angeles Timesにトップ500ランナーとして掲載されることを夢見て...

自己ベストの更新を目指しながら肉体の限界に挑戦する競技マラソンは、大変過酷な戦いであることは言うまでもありません。マラソンも、ゆとりあるペースで周りの景色を楽しみながら、仲間と声を掛け合って走れば、楽しむことができます。しかし一旦「目標タイム」が掲げられると、それが自分の限界への挑戦となり、悲壮な覚悟で臨まなければならない真剣勝負に変貌してしまうのです。最近は100jnマラソンや、富士山を駆け上る登山レースもあり、これらの様々なチャレンジを通じて、多くの人が生きている証を打ち立てています。

2006年ロスアンジェルス国際マラソンは、過去2年連続して参加者中トップ500位に僅差で入れず、自分の名前が全国紙ともいえるLos Angeles Ti-mesに掲載されなかった因縁のレースです。その無念を晴らす3度目のチャンス、今度こそ絶対に負けられない戦いです。

マラソンは目標を持つことから始まる

これまでの自己ベストは昨年12月のホノルルマラソンで達成した3時間24分です。ホノルルはダイアモンドヘッドを上り下りする大変過酷なコースで、温度や湿度も他のレースとは比較にならない程高いため、余り良い記録は望めません。しかしロスアンジェルスはコースがおよそ平坦で、しかもホノルルよりずっと涼しい為、間違いなく3時間10分台で走ることができるはずです。また、来年2月に開催される東京マラソンではサブスリー、すなわち3時間を切って走ることを夢見ているため、無謀と言われるのは承知の上で今回一気に3時間15分という壁をぶち破り、その勢いで来年の東京マラソンにつなげる前哨戦としたのです。既に7回の国際マラソン大会を体験していることもあり、後は自らの限界すれすれのペース配分と「何が何でも走り続ける」という根性だけが勝負の分かれ目です。

寒いロスアンジェルスに到着

カリフォルニア州も異常気象の影響でしょうか、普段なら3月のロスアンジェルスは温暖で心地よい季節のはずが、今年は大変寒く、空港に到着した時も皆、ウィンターコートを着ているような状況でした。でもこれはマラソンランナーにとって好都合です。2年前は逆に気温が異常に高い30℃という炎天下で2万5千人が過酷なレースに挑みました。当然、灼熱下での肉弾戦となったレースでは、大勢のランナーが倒れて救急車で運ばれました。それを考えると、今回の天候は正に天与の恵みといえるでしょう。また朝は海岸方面に向かって走り、内陸が暖まってくる10時以降は海岸を背にして走るので、若干の追い風を受けるような風向きになると予測され、走るためのベストの環境が整いつつありました。

マラソンのレースプランニングは必須

3回目のロスアンジェルス国際マラソンですが、今回初めて、レースの前日にコースの下見の為軽く走りました。前回、前々回と、ゴール手前3kmの上り坂で大変つらい思いをしたので、この坂をどう切り抜けて最後のストレッチに繋げるか、再度じっくりと検証したかったのです。

ロスアンジェルスを横切るOlympic通りがダウンタウンのゴールに通じる最後のストレッチですが、車で通ると平坦にしか感じない道路が、いざ自分の足で走ると、意外にもかなり急な坂道であることがわかります。道路を横切る頭上には何マイル地点かを示すバナーが既に掲げられており、この最後の上り坂は24マイル地点です。マラソンは20マイルからがつらく、特に22マイルからはペースを保つことが記録を出す鍵となる為、その一番苦しいセクションの終わりに上り坂があるということは、正に最後の難関なのです。

これらの実地検分をベースに、後半で失速しないように、まずはきちんとペース配分をして、20マイル地点まではコンスタントに走ること。つらさを感じてくる20マイルから22マイル間はひたすら我慢してペースをキープ。そして22マイルを超えた地点からラストスパートをかけ、24マイル地点から最後の上り坂に挑むことにしました。これをクリアーできれば、あとは残り2kmのストレッチが残っているだけ。レースプランは万全、いざ出陣!

絶好のマラソン日和に期待がはずむ!

ところがハーフを超えた地点から、突然右足の先に痺れを感じ始めたのです。過去の経験から、これは明らかに失速の前触れです。オーバーペースの為、足の血流が悪くなっているのでしょう。当初の予定通り7分20秒台を超えないように配慮して走りながら、痺れがなくなるのをひたすら願いました。そして遂に20マイル地点に到達。ここからが我慢の為所ですから、今度はペースを落とさないように歯を食いしばって、重くなってきた足を動かし続けるだけです。しかし徐々に足の疲れは極限となり、その影響からか体全体の動きがギクシャクしてきました。「つらいな!」と思い始めたのもこの頃からです。遂に24マイル地点の上り坂が目に入ってきました。ここは全力を振り絞って坂道を上り切れるかが試される最後の難関です。これを乗り切れば、後は最後のストレッチがあるだけ!そう思うと不思議に力が入ります。幸いにもここまではほぼ想定内のラップタイムで来ています。あと残り2km少々、もうすぐゴール!

が、マラソンにはいつも地獄の落とし穴が待っています。25マイル地点に到達し、後は緩やかな上り坂のストレッチを突っ走ってゴールだ、というその最終場面で、遂に体が燃焼し尽くしてしまい、再び恐怖の「失速」という事態に陥ってしまったのです。失速は生理現象です。つまり「これ以上走ると体が壊れますよ、死にますよ、だからもう動いてはいけない」という脳からの指令なので、体が全く動かなくなってしまうのです。

本来ならばここは最後の力を出し切って猛烈にダッシュを試みる所ですが、如何せんどうしようもありません。あまりの苦しさに何度も足が止まりそうになり、倒れこむように前進し続けました。もうゴールは目の前。今更止まることは死んでもできない。そんな思いにかられながら、Olympic通りを左に曲がると最後300mのストレッチです。

ダウンタウンオフィス街の沿道は42kmのフィナーレにふさわしく、観衆の大声援がビルをこだまして響き渡る一番華やかなゴールゾーンです。そんな有終の美を飾るべきゴール直前で体を引きずるように無残な姿で走り続ける自分は、観衆の目にどう映ったのでしょうか。たった300m先のゴールが、遥か彼方の陽炎のようにぼやけて映り、こんなに遠く思えたことはかつてありません。そのうち意識が朦朧として、吐き気を催してきました。観衆の大歓声は自分へ向けた声援であるにも関わらず、既にジェット機の騒音に似た雑音でしかなく、更に意識が遠のき「失神」の思いが脳裏を駆け巡りながらも、体は「前に進め」と暗示をかけられた夢遊病者のごとく、地獄の行進を続けたのです。

完全燃焼とは正にこのことなのでしょう。42.195kmのゴールラインを切った瞬間、その場で倒れこんでしまいました。もはや何の力も残っておらず動けないため、2人のヘルパーに抱えられて、ひたすら水を飲み干しました。それから1時間30分後、体の痛みを抱えてふらふらのまま、成田行きの飛行機に乗っている自分がいました。

絶対に避けたかった失速ドラマが再び...

雨が降るかと心配されたレース当日は、意外にも好天気に恵まれました。青空が広がる中、走るのに最適な涼しい気温で、正に絶好のマラソン日和です。十分に体調管理をしてきた結果、ひざや足の痛み、腰痛が殆どない状態で臨むことができた初めてのレースです。過去7回のレース経験を活かした知恵も加わり、目標の3時間15分をクリアーする為の条件は全て整いました!

フィナーレにはまさかの落とし穴が!

終わってみれば驚くことに自己ベストを8分も更新した3時間16分25秒という好記録の達成です。ラスト2kmで失速したものの、前半の貯蓄がしっかりと溜まっていました。来年の2月、東京マラソンを最後に競技マラソンはやめる計画でしたが、夢のサブスリーなど、今回以上の苦しみと死ぬ覚悟が無ければ達成できるわけがなく、果たして完全燃焼を体験した今の自分にそこまで走る情熱が残っているのか、答えが出せないでいます。

最後に、全国紙に名前を載せる目的で、見事2万5千人中333位を達成した今回のロスマラソンでしたが、LosAngelesTimesでは本年度より紙面上の都合で、TOP50位しか掲載されなくなりました。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部