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2006年ドイツワールドカップ観戦記
虚無感だけが残る1次リーグ敗退から日本代表は立ち直れるか

サッカー嫌いであった自分がいつしか、日本代表のサポーターになってしまった理由は「ドーハの悲劇」と呼ばれる日本サッカー史に遡ります。日本代表は初めてのワールドカップ出場を賭けて絶対に負けられない試合で、勝利を目前にしてロスタイムに入り、数秒後で試合終了というその時、相手方のコーナーキックからのセットプレーでヘディングシュートを決められてしまったのです。まさかの失点に大勢の選手が泣き崩れる姿をテレビで見ながら、自然と日本サッカーを真剣に応援したいと思うようになりました。

それから4年後の1997年、アジア予選の最終戦で、勝てばワールドカップ初出場が決定という世紀の一戦を見る為、当時まだ1歳であった長男を抱きかかえてマレーシアのジョホールバルまで出向きました。宿泊したハイアットホテルには何と日本代表が滞在しており、選手と一緒に時を過ごしながらますますサポーターとして燃えてきたのです。

ジョホールバルの決戦は生まれて初めて見るサッカーの試合でしたが、それがダブルオーバータイムで決勝点をもぎ取るという歴史的な名試合になるとは夢にも思いませんでした。試合前にスタジアムで君が代を1万人以上の日本人サポーターと心をこめて歌う体験も新鮮であり、その後の壮絶な試合展開にも度肝を抜かれました。そして中田選手の素晴らしい動きに目を見張り、最後のゴールの瞬間、我が子を空へと掲げ、歓喜の嵐に浸ったことを昨日のように覚えています。そしていつしか親子で日本代表のサッカーだけは欠かさず観戦するという習慣が身につき、フランスのワールドカップは日本対ジャマイカ戦を、そして前回のワールドカップでは、横浜スタジアムに駆けつけて長男と2人で日本対ロシア戦を観戦したのです。

奇跡の1次リーグ突破を目指して

豪州戦で3対1というまさかの敗退は、初戦に勝つチームが決勝トーナメントに出場する可能性が高いというデータからしても、「想定外」のハプニングでした。勝てるという驕り、極暑での体力消耗、そしてジーコ監督の采配ミスも方々から指摘されました。第2戦のクロアチア戦も、絶対に勝つべき試合を勝てずに引き分けてしまったのです。ほぼ互角に渡り合った試合でありながら決定力に欠ける日本のフォワードは、柳沢選手のようにゴールとは関係ない方向にボールを蹴って「芸術的なゴールミス」と外国の新聞で揶揄される程、あまりにお粗末なシュートを披露したのでした。これでは勝てるわけがありません。

多くのサポーターが落胆する中、それでも最後の望みが残されていました。すなわち、世界最強を誇るブラジルとの一戦で大差をつけて勝てば、クロアチア対オーストラリア戦の結果によっては決勝トーナメントに出場できるのです。これまでも数々の崖っぷちを乗り越えて勝利してきた日本代表ですから、必死の思いで試合に臨めばブラジル戦でも奇跡が起きる、そう信じて、ドイツのドルトムントへと旅立ちました。

お祭り騒ぎのブラジルvs神妙な日本

ドイツのフランクフルト空港は各国から訪れるサッカーファンで賑わっていました。フランクフルトから1時間余り離れたワートハイムという小さな町で一泊し、翌日、運命のドルトムントに出発です。午後3時、車での長旅を経てスタジアムに到着しました。試合は夜の9時からですが、スタジアム周辺はまだ試合開始5時間以上も前なのに、黄色のシャツを着た大勢のブラジルサポーターで埋め尽くされていました。

時間に余裕があったので、スタジアムから2km離れたドルトムントの中心街までタクシーで出向いたところ、そこもブラジルのサポーターでごった返していました。そもそもブラジルと日本は大変仲の良い国ですので、警察官の姿も殆ど無く、純粋に試合を楽しむお友達という雰囲気を感じ取ることができたのは幸いでした。ブラジルサポーターの乾杯ムードに包まれる中、突然、そこにガーナ応援団が登場!たった今、アメリカに勝利し、アフリカ勢としてチェコを凌いで決勝トーナメント進出を果したのです。奇跡の勝利を祝うガーナのサポーターを見ながら、心で叫ぶ、「日本代表も圧勝だ!」

イノシシ軍団vs鹿の群れ

誰もがブラジルの圧勝を予想するこのゲームで、日本代表は2点差以上で勝たなければなりません。さあ、試合開始の笛が鳴り響きました!フィールドとほぼ同じ高さの目線で選手を目の前に観戦するという衝撃的な体験であったからこそ、試合開始と同時に日本代表の劣勢が手に取るように分かりました。例えて言うならば、ブラジルは骨太のイノシシ軍団です。対する日本代表は、野原を走り回る鹿です。イノシシはでかく、ずんぐりと、動きが鈍く見えますが、一旦獲物を捕らえるととたんに表情が変わり、物凄い勢いで突進してきます。そして相手を突き飛ばす自信があると言わんばかりにフィールド中をなめつくすように駆け回って、執拗にシュートを打ってくるのです。

対する鹿の群れは、素早く走り回りながらイノシシに獲物を奪われないようにと駆け回ります。ところが、ここぞという時にイノシシの体当たりを受けて、獲物を取られてしまうのです。そこにパワー、突進力の差を見せ付けられました。基本的な体造りが全く違うのです。ブラジル選手はワールドカップ出場国の他国の選手と比較してもさほど大きい方ではありません。しかし体が太く、しかもスピードがあり、その上、野性的な感性に優れています。このイノシシ軍団にまともに体当たりして互角に戦える鹿は、中田選手だけでした。その他の選手は全員、たじたじとしか言いようがない程、微弱だったのです。結果は見るも無惨な完敗、4対1という想像を上回る大敗でした。体造りと感性、すなわち体の大きい選手に磨きをかけなければ長い目で見て世界に勝ち目がないのが、肉弾戦に等しい今日のサッカーの現実です。

中田選手には大きなエールを送りたい

完敗を喫した日本代表ですが、しかし中田選手だけは選手生命を懸けていたと思える程、素晴らしい働きをしてくれました。その運動量の多さ、労苦は他の選手の比ではありません。中村選手は調子が悪く、稲本選手は相手の動きに翻弄されているばかり、4バックの選手も次々とイノシシ軍団に突破されていく最中、中田選手は攻守の要として止まることなく、ひたすらフィールド中を走り回ったのです。試合に命をかけた彼の情熱はフィールドからひしひしと伝わってきました。

試合終了後、フィールド上に仰向けに転がって号泣し続ける中田選手を最前列から見届けながら、自らもとても空しい思いにかられてしまいました。彼はどんな気持ちで泣いていたのでしょうか?この日の為に、自分を捨てて一生懸命チームをまとめるために戦ってきたにも関わらず、結果を出すことができなかっただけでなく、チームメートは不甲斐ない低レベルのサッカーに終始し、日本代表が目指したきめ細かいサッカーができなかったのです。日本サッカーに対する失望と虚無感、ジーコ監督との激論の思い出、どんな言葉をもっても言いつくすことのできない世界に1人、スタジアムの真ん中で号泣するプレーヤーこそ、日本のサッカー界に2度と現れることのない逸材なのでしょう。

日本サッカーの将来は体作りしかない

技術があっても体で負けてはサッカーに勝てないことを痛感した今回のワールドカップ。ジーコ監督退任の後は、J1のジェフ千葉の監督を務めるオシム氏が就任することが決まりました。これは朗報です。なぜならオシム氏こそ、選手を徹底的に走らせ鍛えあげさせる、指導の達人だからです。走ることは当り前、尚且つ考えるサッカーを目指す監督なのです。「ライオンに追われて肉離れを起こすウサギはいない」といい放つ次期監督だからこそ、骨太であり、突進し続ける根性をもったサッカープレーヤーを日本代表として選ぶに違いありません。日本代表は今が落胆のどん底です。だからこそ、ワクワクしてくるような希望が蘇ってくるのではないでしょうか。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部