日本シティジャーナルロゴ

それでもプーケットが大好き!!
第1回プーケット国際マラソンで思わぬハプニングが続出!!

春先にロスアンジェルス国際マラソンを走り終えたばかりで、来年2月の東京マラソンまではもう走ることはあるまいと思っていましたが、6月に第1回プーケット国際マラソンが開催されることを耳にすると、思わず勇み立ってエントリーしました。

プーケットは仕事の関係でよく訪れます。来る度に緑の自然に囲まれた美しい南国の風景や、いつも暖かく透き通った青い海、そしてタイ人の気質の優しさ、タイ料理の美味しさに魅了され、いつしかプーケットの大ファンになりました。世界中を旅する筆者にとって、プーケットは正に癒しの楽園の筆頭であり、余暇を過ごすにはもってこいのリゾートタウンです。

しかしあの悪夢のような津波の被害から、プーケットは未だに100%の復興を成し遂げていないのが現状です。日本からの観光客は徐々に回復してきてはいるものの、未だに現地の観光業界は苦戦を強いられています。だからこそ、マラソンを走ってプーケットにエールを送りたいと思いました。

コース情報の無い国際マラソン大会?

1週間程しかない準備期間でしたが、体調もさほど悪くなく、毎日多少は走っているので3時間台で完走できる自信は十分です。まず初回の国際マラソン大会ということで、最低限の情報収集を行いました。気温は29度、湿度は90%前後と高く、ランナーにとっては過酷な条件です。しかも困ったことに最も大事なコース情報が手に入らず、ホームページにも十分な情報が掲載されていません。プーケットは小島でありながらも、海岸沿いの道路は意外と高低差があります。もし急斜面がコースの途中にあるとするならば、事前に理解していないと、ひどい目にあってしまうのです。大会後わかったことですが、最後までコースのルート変更があった為、正式なデータを事前に提供できなかったそうです。

つまるところ情報は無くても国際マラソン大会なので、きっとランナーに優しい、できるだけ平坦な道をコースとして選んでいるだろうと、希望的観測をもってそのまま本番に臨みました。その後、とんだ奇想天外の難コースが待ち受けているとは知る由もありませんでした。

プーケットマラソンのスタートはお祭り気分

フルマラソンはホノルルと同じく朝5時、暗闇の中でのスタートです。過去3度ホノルルを走っており、ロスアンジェルスでは30度の猛暑の中を走り通した経験があるため、暑さは全く気になりません。しかし日本との時差はあまり無いとはいえ、遅くとも午前2時までには起きなければならず、睡眠時間は2~3時間しかとれないのが早朝マラソンの宿命です。

大会全体の参加者は1400人程でしたが、フルマラソンの参加者はさすがに2-300人しかいないとのこと。早速スタートラインに到着すると、これまで見てきた大規模な国際マラソンでの雑踏とは打って変わって、スタートライン周辺でもさほど人が集まっておらず、参加者も周囲の人達も、和気藹々と写真を撮ったり騒いでいるのが印象的です。

スタート直前、このマラソン大会の発起人の一人である著名ランナー、増田明美さんが日本語で挨拶をされました。ゲストランナーと聞いていたので、てっきり一緒にコースを走るものと思っていたのですが、残念ながらトークだけに終わってしまったようです。

スタート直後の快適なコースは見もの!

ピストルの響きと共に、期待に胸をはずませてスタートを切りました。まだ周囲は暗闇ですが、さわやかなプーケットのそよ風に体を労わられながら、潮の香りを体一杯にうけて前進です。プーケットでも高級リゾートホテルが立ち並ぶラグーンがスタートセクションですので、そこから最初の5kmは綺麗に整地されたリゾート地周辺に広がる快適な道路沿いを、自然を眺めなががらランナーは走ります。さすがプーケット!例え暗闇であっても自然の香りに満ちた、うっすらと目に映る朝焼けの美しい光景はランナーをワクワクさせます。「あー、走りにきて良かった」と感じたのは、この最初の5kmだけでした。

夢が失望のどん底に化ける最悪コースか?

コースに選ばれた周辺道路は想像以上の起伏があり、最初の5kmを過ぎると、高い気温と重なって、思ったより体力の消耗が激しく感じられました。「アー、やっぱり大変だ。」とつぶやきながら海辺の折り返し地点に近づくと、まず最初のハプニングです。舗装された道路がいつの間にか、水溜りだらけの泥道に変わっているではありませんか!しかも、まもなくハーフ地点を通過するはず、と思われる場所に何故かしら標識が見当たらないのです。通常、ハーフ地点は人が大勢いますし、「ピー」となる計測用タイマー用のマットだけでなく、大きなサインが掲げられているものです。でこぼこの土道を気をつけて走っているうちに、いつの間にかハーフをを通り過ぎていたのでした。

繁華街と交通整理の無い道路を暴走?

30km地点を過ぎてひどく疲労を感じ始めた矢先、このマラソンコースは驚くことにプーケットの人々が買い物で賑わう商店街に突入したのです。そこはマラソンを走る環境ではありませんでした。何しろ人が大勢いるのですから、スピードを出して走れば人にぶつかります。また疲れてのどが渇いている訳ですから、この雑踏の両側に並ぶお店は誘惑でしかありません。美味しいドリンクと食べ物があり、そこで人々が飲み食いしているのです。立ち止まって「お水一杯」などと言おうものなら、そこでレースが終了しかねません。見て見ぬふりをする、とは正にこのことでしょう。

商店街を過ぎると今度は車が普通に行き来している一般道路へとコースが移り変わったのです。「あれれ?」と思いきや、正に不安が的中です。どこをどう見ても交通整理されている気配がありません。マラソン大会で車が走っている道路を、車と平行してランナーが走るという思いがけない体験です。不安にかられて走っているその時、突然オートバイが自分の右肘をかすって走り抜けて行きました。更なる恐怖は、道路を横切ってコースを右折することです。タイは左側通行ですから、右折する際は道路の左側から中心沿いに車線変更(?)して、それから右折します。ということは、ランナーは右肩越しに車が来ていないかを確認して、道路を横切らなければならないのです。疲れ切って走っているランナーに、車に注意して道路を横切れと言えるでしょうか!

更にこの大会では毎kmごとに目印が設置されることになっていますが、それ自体もあてにならないことがわかりました。設置されている位置がずれているような箇所があり、またハーフを過ぎると徐々にサインも見当たらなくなり、ラップタイムの計測が不可能になったのです。レースの後で分かったことですが、マークを設置できない箇所が複数あったため、サインを前後に適当に動かして設置しているうちに、かなり狂ってしまったとのことでした。

ランナーを失望させる給水所の悲劇

究極の失望が2.5km間隔で設置されている給水所です。フルマラソンでは通常、前半は水を補給し、後半では栄養ドリンクを摂取してエネルギーの補給をします。ところが本当に必要となった30km地点以降の給水所には水しか置いてなかったのです!まさかと思って次の給水所まで我慢して走ると、そこにもありません。「こんな馬鹿な話があるか?」と、いっきに戦意喪失です。

これも後から聞いたことですが、ハーフマラソンのコースが31km地点からオーバーラップしていたために、先にその箇所を走り抜けたハーフランナーが、用意してあった栄養ドリンクを飲み干してしまい、在庫が無くなってしまったとのことでした。無論、当初からレースの目玉であった各給水所におけるスイカとバナナの配給等、先に食べつくされたのでしょうか、一度も見ることはありませんでした。

最後までランナー泣かせのコース!

それでも我慢して走り続けるのが根性というもの。しかしゴールまで後10kmというランナーが一番疲れを感じる32kmポイント以降から、遂に恐れていた急斜面の登場です。「これが最後の難関か!」と思って1つ越えると、また次の坂道が現れるのです。何度も続く斜面の連続に、筆者も遂に根をあげてしまい、レース途中で歩いたことがない自分が、上り坂で歩き始めました。歩いて分かったことは、その方が無理に走るよりも確実に早く、楽に坂を登れるということです。

遂にゴールまで後1km、コースはショッピングセンターの中を通り抜けていきます。その時、驚いたことにセンターの入口に向かって道路の逆側から大勢の小学生が走ってくるではないですか。そしていつの間にかちびっこランナーの群集はフルマラソンコースに合流し、肝心なラストストレッチをふさぎ始めたのです。子供達も疲れきってており、歩く子もいれば、ゆっくりり走っている子もいます。最後の力を振り絞って走っている疲労困憊の自分にとって出来ることは、子供達に「you can do it!」「頑張れ!」と大声で声を懸けることだけでした。

やっとの思いでゴール!しかし問題はまだ続きます。ゴールラインを切った後、脱水症状がひどいので水を飲もうとしても、大勢の子供達が狭いゴール周辺で立ち止まっていた為、暫く身動きが取れなくなってしまったのです。「Water please!」と言っても誰も手を差し伸べてくれない!既に吐き気を催していたので、もう少し給水がおそければ、その場で倒れていたことでしょう。

何だかんだと文句ばっかりに聞こえてしまう体験記ですが、これを参考に、来年はもっと素晴らしい、本来あるべき姿のマラソン大会を開催してもらいたいものです。頑張れ、プーケット!

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部