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米国全寮制ミドルスクール諸事情
PART II 大自然の中で育まれた広大なキャンパスに驚嘆 !

ボストンマラソンを完走して帰国したばかりの2週間後、再びボストンに、小学校5年生の長男と一緒に旅立ちました。昼と夜が全くひっくり返るという極度の時差ぼけを覚悟の上で、3泊4日の強行スケジュールで、米国ニューイングランド地域の4州を車で移動しながら、5つの全寮制ミドルスクールを受験面接のために訪問することにしたのです。海外を旅回るのに慣れている筆者にとっても、時差ボケが直らない状態で再び渡米し、車で長旅をすることは、居眠り運転の恐怖と眠気を我慢しながらの運転は大変つらいことです。それを覚悟の上で旅立つ決意をしました。

18万坪の敷地を持つ学校

最初に訪ねた学校は、男女共学のRumsey Hall Schoolです。

コネチカット州のバークシャイアーと呼ばれる人口4000人の小さな村の一角に学校のキャンパスがあります。そこに広がる素朴で美しいキャンパスは、まるで、のどかな田舎の湖畔に建てられた巨大な別荘地のようです。そして驚いたことに、校舎の敷地が何と147エーカー、つまり60万平方メートル(18万坪)もあるのです。アメリカの全寮制ミドルスクールが保有する敷地面積の平均値は150エーカーと言われていますが、これだけの広大な土地を持っていても、それが「ごく当たり前」の平均値でしかないということに、アメリカ大陸の壮大さを再認識しました。

日本人留学生が優遇される訳

年季の入ったキャビン風の小奇麗な建物の中に入ると、そこは大邸宅のリビングルームのようであり、学校の受付とは思えない優雅な雰囲気が漂っていました。その受付で名前を言うと、すぐに応接室に子供と一緒に案内され、暫くすると、蝶ネクタイをした紳士風のディレクターが、笑顔で「ウェルカム!」と挨拶しながら部屋に入ってきました。米国におけるミドルスクールの受験は、特に日本のような筆記試験は無く、あくまで学校の成績と推薦状、本人の作文、そして、この親子面接が決め手となるため、緊張感が漂います。

しかしながら、そんな心配は無用でした。当初から、ディレクターの暖かい笑顔に満ちた言葉の中に、是非ともこの学校に決めてもらいたいという熱心な思いを感じることができたのです。というのも、東海岸の全寮制ミドルスクールには日本人が殆どいないため、いつの間にか、日本人留学生は、学校側から求められる存在になっていたのです。しかも隣接するマサチューセッツ州ボストンを拠点とする野球チーム、レッドソックスには、昨今大活躍している松坂投手と岡島投手が所属していることもあり、地域一体に親日ムードが漂っているように見受けられます。今や、「ダイスケ!」という名前を知らない人はなく、彼らの活躍のおかげで、日本人の株が急上昇した感があります。

目玉が飛び出す程の高額な授業料

米国の全寮制ミドルスクールに、日本からの留学生が少ないのには訳があります。つまるところ、学費と寮費があまりに高額であるため、行きたくても敬遠せざるをえないという現実問題があります。その学費は、2008年度の全国平均値が、およそ年間2万1千ドルと試算されています。それに寮生活にかかる費用を足すと、合計で3万8000ドルになります。しかもこの数字には生活諸経費や、小遣いが入っていません。結果として子供一人をミドルスクールに送ると、年間で4万ドルはかかることになり、1ドルが125円ならば500万円、90円としても360万円となります。子供の学費とは言え、毎年4-500万円もの負担を強いられては、家計を圧迫しかねません。

ところが不思議なことに、お隣の国、韓国からアメリカに渡る留学生は増え続け、これらミドルスクールの多くは今日、大勢の韓国人留学生、もしくは2世の子供達で賑わっています。何故でしょうか?最終的に帰国することを前提に渡米する場合が殆どの日本人家族とは異なり、韓国人の場合は、あくまで米国に移住することを目的としている方が大半であり、会社経営者、医者、弁護士等の資産家が、その多くを占めているからです。それ故、その経済力に物を言わせ、子供達を全寮制の学校に送り込んでいるのです。

キャンパスツアーで目にした夢の施設

ディレクターと笑顔の会話が続く中、その先生が子供に一生懸命に語りかけたメッセージが、「Are you nervous?」「I am nervous, too」でした。「お互い緊張しているけど、でも、だいじょうぶ」という前向きな気持ちがとても良く表れており、笑顔で面接を終えることができました。その直後、日本語を多少話すことができる日系人の生徒が、キャンパス内を案内してくれることになりました。二階建ての落ち着いた洋風屋敷を一歩、表に出てキャンパス内を歩き始めると、そこにはちょっとした町並みのようにも思える程の大きな戸建ての家が立ち並んでおり、それらが学校の校舎や寮に改造されて、上手に利用されていました。

また、野球場、アメフト、サッカー等、合計7つもある運動フィールドにも案内され、広大な敷地に広がる147エーカーの凄みを、目の当たりにすることができました。こんな大自然の中で、10代前半の力溢れる子供たちが、思う存分運動し、遊ぶことができること自体、素晴らしいことです。

このような優雅な施設を誇る学校だからこそ、あらゆるスポーツや音楽、芸術活動において、有能な生徒がいれば、学校側はあらゆる努力を惜しまず、その生徒の才能が開花するよう、日々のプライベートレッスンを含め、可能な限りの配慮をしてくれるようです。テニスが大好きで、35年前にアメリカにテニス留学をした筆者にとっては、夢のような学校であり、できる事ならもう一度生まれ変わり、このインドア・テニスコートで日々、練習にふけりたいという思いに浸ってしまいました。

キャンパスのツアーが終わった後、再度、ディレクターと面接する時間を持ち、今度は子供だけ個別に一人で先生と部屋に入り、簡単な口頭試験と面接の時間を持ちました。長男は当時小学校5年生になったばかりでしたが、東京でインターナショナルスクールに1年少々通っていたこともあり、多少なりとも英語が理解できるようになっていたので、かろうじて、面接を英語で、しかも一人で受けることができました。

美術と音楽に長けた大自然の中の学校

Rumsey Hallを後にし、次に訪ねた学校は、Indian Mountain School(IMS)です。同じくコネチカット州でも西の端、ニューヨーク州寄りの丘陵に位置し、目の前に広がる美しい山々のパノラマビューがとても素敵な学校です。建物の中に入ると、ロビーの奥に大きなソファが置いてあるリビングルームがあり、そのソファに座りながら、2人の先生と一緒に面接を受けることになりました。面接というと、何かお堅い質疑応答を考えがちですが、そのような堅苦しいものではなく、お互いが自己紹介をして、ざっくばらんに色々なことを雑談も含めて話し合いながら、理解を深めるのがその主旨です。そして途中から、個人面接と簡単な筆記試験を受けるために子供だけが席をはずし、20分程でしょうか、最後は笑顔で戻ってきました。その後は、お決まりのキャンパスツアーであり、校舎の向こうに聳え立つ山々を見上げながら、すがすがしい空気を胸いっぱい吸って、キャンパス内を散策します。限られた時間ではありましたが、大自然と学校キャンパスのコラボレーションを十分に、満喫することができました。

IMSで感心したのは、学校が年を追うたびに増築されながらも、そのメインとなる校舎周辺に散在する食堂や図書館、教室、そして宿舎までが、全て屋内の通路で繋がっていることです。そうすることにより、例え零下十数度まで冷え込む極寒の日であっても、野外に出ることなく、屋内の通路を利用するだけで、どこへでも行き来することができます。寮がある宿舎のドアから出て、すぐ正面の通路を数メートル行くと、美術の教室と図書館があり、その通路向かいには食堂があり、更にその向こうに教室が並んでいる、といった具合です。このような環境下で、クラスメートと共同生活を営むことが、寮生活の醍醐味ではないでしょうか。

特筆すべきはIMSの美術と音楽に対するこだわりです。音楽の授業では、クラシックからロックバンドのアンサンブル演奏まで選択科目の中に含まれており、ツアーで見学した際には、ちょうどロックバンドが大きな音を立てて練習していました。学校の授業で、ロックバンドの練習ができるなど、夢のようです。無論、個室の練習スペースも充実しており、ピアノ、バイオリン、ドラムを始め、何でも思う存分、気兼ねなく練習できます。こと美術に関しては、絵画、油絵、陶芸、木工など、多種多様の芸術作品に力を入れているようであり、美術ルームが大変広いこともあり、落ち着いて製作に取り組みながら、作品の完成に向けて専念できるように配慮されています。また、校内の通路、至るところに素晴らしい出来栄えの作品が多数展示されており、完成度の高さと教育に対する熱意を垣間見ることができます。

都会の教育現場との大きな違いに、ただ唖然

数年前に長男が通っていたインターナショナル・スクールは、東京の池袋駅から徒歩5分の場所にありました。無論、交通の便は良いのですが、JR駅から至近距離ということもあり、学校には樹木や庭さえも無く、そこは、ただ単にオフィスビルに囲まれた教育の現場でした。また、体育館はビルの1階をバスケットボール・コートに改善して利用するだけに止まり、その他、運動施設は一切無かったのです。子供たちが、1日の大半をビルの中にこもっている現実を目の当たりにしてきたからこそ、米国ミドルスクールの教育現場は、正に目から鱗でした。確かにそこには繁華街も無く、ふらっと本屋で立ち読みをすることもできません。しかし、そこにはすがすがしい空気と緑に囲まれた大自然があり、自然界の恩恵を、そのまま体で受けとめることができる生活環境があります。大自然の中で育まれた教育現場が羨ましくてならないこの頃です。(続く)

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部