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美食・飽食時代の終焉
PART I 素朴な和食と野菜中心の料理が長寿の秘訣

昨年他界した母は生前、健康食品にたいそう凝っていました。母の食材に関する気遣いは、母が病を患っていた1960年代後半から始まり、近所の健康食品店に出向いては、色々な情報を持ち帰り、食生活の改善を試みていたようでした。その内、食に対するこだわりが過激化し、我が家の食卓には、いつの間にか「粗食」としか思えない質素な食べ物が並ぶようになりました。そして家では白米を食べることさえご法度となり、玄米ご飯にとって代えられただけでなく、そこに平然と粟と稗が混ぜられるようになったのです。当時まだ小学生であった筆者は、ごく普通の家庭料理が食べたかっただけに、どう見ても鳥の餌にしか見えない黄色い粒々が、茶色の硬いご飯に混ざっているのを見るだけで閉口してしまい、その動物の餌としか思えない食事が食卓に並ぶ度に、嫌悪感を覚えたものでした。健康食品を食べれば長生きができると主張する母に対し、早く死んでも良いから美味しいものを食べさせてほしい、と主張する子供らの主張が平行線を辿り始め、いつしか我が家では食事の度に口論が絶えなくなりました。そして「おふくろの味」が「家畜の餌」になって良いのか、というような熾烈な議論が繰り返され、溝は深まるばかりでした。筆者が愛読する聖書の中でも一番好きな言葉は、「ひときれの乾いたパンがあって平和であるのは、ご馳走と争いに満ちた家に勝る」という箴言の教えです。ところが我が家では、贅沢なご馳走やデザートが無いどころか、玄米と粟の混ぜご飯と質素なおかずしかないのに、それでも争いに満ちていたのです。

懐かしい昭和時代の食生活

昭和40年代、日本人の食生活は質素ながらも、健康的であったと記憶しています。輸入関税があったせいでしょうか、都心でも牛肉料理や外国産のフルーツなどは殆ど見ることはなく、一般家庭における主な献立は、あくまでご飯と魚、野菜が中心でした。そして街中には八百屋さん、魚屋さん、肉屋さん、豆腐屋さんなどが軒を連ねた商店街があり、お買い物かごを下げて、日々の食材をその日に買い求めに行くことが主婦の日課でした。当時小学生であった筆者の仕事は、夜明け前に近所の豆腐屋へできたての豆腐と揚げ出しを買いに行くことでした。その美味しさは今では、中々味わえない貴重なものになりました。炊きたてのご飯と豆腐の味噌汁に、魚を中心としたおかずがどんなに美味しかったことか。

ところがその素朴な日本の食生活は、炭酸飲料と即席ラーメンの登場により変貌を遂げ始めたのです。当時、「スカッとさわやか、コカコーラ」のキャンペーン広告の影響もあってか、炭酸飲料が急速に普及し始め、子供から大人まで清涼飲料水のファンが急増しました。しかし、食に厳しい目を光らせる母は、「コーラには薬が入っている」、「体に悪い」と、家に持ちこむことさえ許してもらえず、かろうじて三ツ矢サイダーだけは時折、口にすることができました。また、エースコック等の即席ラーメンが流行し始めた矢先でもあり、みんなが食べているからということで、母にラーメンを買ってくるようお願いしたことを昨日のように覚えています。ところが即席ラーメンも、「防腐剤が入っているから体に良くない」という理由で一蹴されてしまいました。その反動だったのでしょうか。筆者は機会あるたびに、母に隠れて、近所の駄菓子屋さんに足を運び、防腐剤にまみれた杏のチューブやイカの燻製などを密かに買って食べることを楽しみにしていたものです。そして小学校4年生の時には、母親が不在時、一人で即席ラーメンを作って食べていました。

玄米こそ健全な食生活の基本 ?

それから40年後の平成20年、長年の夢であった自分の田んぼを取得することができ、そこで収穫された初物のお米を食べる機会に恵まれました。これはお祝いをしない訳にはいきません。その新米を早速家に持ち帰り、小学生になる子供達に「パパの田んぼでとれた美味しい玄米だぞ!一緒に食べよう!」と声をかけ、ご飯を炊いて食べさせてみたところ、みな、一様に首をかしげて「これ、おいしくない...」と、誰も食べようとしないのです。いくら父親が「美味しいじゃないか!」、「ビタミンも入っているし、健康にいいぞ!」と言っても、誰も耳を傾けず、一向に食が進みません。そしておかずだけ食べて、ご飯は手付かずとなり、それ以降玄米ご飯は不人気のままです。

粟と稗まで玄米に混ぜて食べていた母の場合は極端な例であったにせよ、体に良いからと必死になって健康食に取り組んでいた母の姿は、時代こそ違っても、現代のアンチエイジングが提唱する健全な食生活の先駆けであったのかもしれません。今になって思えば、あの質素な食生活のおかげで、母は様々な病気や交通事故による重い障害を乗り越えて、84歳の天命をまっとう出来たのでしょう。アンチエイジングでも、成人病や肥満を含む健康問題を最小限に食い止めるためには、低カロリーながら栄養価の高い食生活を心がけ、玄米ご飯だろうが、粟や稗だろうが、健康に良いものは何でも喜んで食することが大切だと教えています。行きつくところ、野菜と魚を中心とした腹八分の食生活が大事であり、「玄米ご飯でも喜んで食べなさい」と子供達に語り続けているこの頃です。

聖書にある粗食の薦め

玄米ご飯に限らず、質素な野菜中心の食生活は、肉をふんだんに使ったご馳走よりも健康に良いことが、旧約聖書のダニエル書に記されています。肉とお酒を中心とした宮廷のご馳走を食べる少年らと、野菜だけを食べるダニエルの3人組が、10日間に渡りその食生活の結果を競うことになったのです。その結果、野菜だけを食べたダニエル組に、「彼らの顔色と健康は宮廷の食べ物を食べているどの少年よりも良かった」という評価が下されました。肉をふんだんに取り入れた贅沢なご馳走よりも、野菜だけの質素な食事のほうが健康的であるというのは、栄養学的にみても間違いないようです。例えば現代流に語るならば、フォアグラから始まり、前菜、魚料理、肉料理と続くフルコースを腹いっぱい食べることと、多種の野菜をふんだんに取り入れた野菜と豆の料理では、どちらが体に良いか検証するまでもなく後者に分があり、野菜と豆だけで良質なたんぱく質、ビタミン、ミネラル等をバランス良く摂取することができます。美食、飽食は、アンチエイジングの敵であることはもはや、言うまでもありません。

美食を続けると癌になる?

5年前、突如としてダニアレルギーを発症するまで、筆者は大の犬好きでした。ゴールデンレトリーバーをつがいで2匹飼い、子犬が産まれると、大事に育てては成田界隈の市民に譲ったこともありました。雄犬の名前はミッチーで、アメリカに暮らしていた頃から飼っており、日本に帰国する際、連れて帰ってきました。ミッチーの食事に関しては、基本的にドッグフード以外何も食べさせない、と決めていたので、朝、晩と毎日2食、栄養価のバランスが取れるドッグフードに水をまぜるだけの食事を食べさせていました。人間の食物は、時折、残りものを混ぜる程度で、味を覚えられないように極力避けるようにしたのです。その内、実家でも父が、ゴールデンレトリーバーのサブ君を飼い始めました。サブ君は子犬の頃から一貫して、人間の食べる食事を与えられていました。ところが運動不足と食べ過ぎが影響し、成犬になるころには肥満が目立ち、体中に脂肪がたるんでいました。犬の寿命は12年とも言われていますが、その後サブ君は7歳にして喉頭癌にかかり、急死してしまいました。犬でも癌にかかることがありますが、特に、人間の食するものを与えて育てた犬にその傾向が顕著に現れるように思えます。その逆がミッチーであり、ドッグフードだけの粗食のおかげで、その体つきは引き締まり、13年の長寿をまっとうしました。犬の食生活からも、美食がアンチエイジングの大敵であることがわかります。

低カロリー高栄養を実現した献立とは?

現代は飽食の時代です。食べ物は何でもあるように見えますが、その実、現実的には糖質と脂肪、たんぱく質の摂取に偏り、カロリーを採りすぎているのです。しかも肝心の栄養バランスが崩れているため、病気や老化の要因になっています。現代人の死因は、癌の次に高脂血症、糖尿病、高血圧など肥満を原因とする病が際立っています。つまり、脂質や肉、卵などのたんぱく質の採り過ぎが体質を悪化させ、アレルギー疾患を引き起こすだけでなく、免疫力も弱めているのです。よって、栄養価の高いバランスのとれた食生活を心がけることは、健康管理の面からみても不可欠なのです。また、老化現象の元凶は活性酸素にあると言われ、それが細胞膜や血液を酸化させて動脈硬化や心筋梗塞、癌など、多種多様の病気を引き起こします。この活性酸素を抑えるためには、十分なビタミンとミネラルを補給する必要があります。現代のストレス社会では、食生活の改善が不可欠なのです。ところが、摂取するカロリーを抑えながら大切な栄養を補給することは容易ではなく、食生活の中身を大幅に改善するか、欠乏しているビタミン、ミネラルをサプレメントで補給する必要が生じます。日本が世界でもトップクラスの長寿国として長年君臨してきた理由は、日本で培われてきた素朴な食生活がその根底にあります。その基本は疑いもなく、ご飯と味噌汁、豊富な魚介類と海草、野菜や豆腐、きのこや豆類です。これこそ、低カロリー、高栄養の源であり、脂肪の摂取を抑えながらも、たんぱく質、ビタミン、ミネラルを十分に摂取する究極の食材です。美食飽食に終止符を打ち、昔ながらの和食を好んで食べる時代に戻ることができなければ、真の長寿国として生き残ることはできないでしょう。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部