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美食・飽食時代の終焉
PART III 汗を流して畑を耕すことの大切さを再認識しよう !

メキシコを始め、世界各国で新しいH1N1型インフルエンザが猛威を振るっています。ニュースでは大きく取り上げられてはいませんが実は毒性の強い鳥インフルエンザウィルスH5N1型も水面下で広がりを見せています。すでにインドネシアでは豚の1割が鳥インフルエンザに感染し、中には人に感染するタイプに変異したものも見つかっています。本当に怖いパンデミックとは、この毒性の強いインフルエンザウィルスが新型に突然変異して、人間に感染することです。近い将来には、牛は狂牛病、鳥や豚もインフルエンザに冒され、輸入野菜を始め、川や海の魚も汚染の悪影響を受けないとも限りません。つまるところ、食料難の時代は目前に迫っているのです。

そう言えば最近、各メディアで農業関連の記事が取り上げられることが大変多くなったようです。定年退職後に農耕作を始めたいと考えている熟年層が急増しただけでなく、若者の間でも農業に対する関心が急速に高まりつつあり、全国で就農希望者が増えています。これは日本人の誰もが心のどこかで「このままではいけない ! 」「自然に回帰したい ! 」という危機感と願望が相俟って、それが社会現象となっているような気がします。

農業人口が増えない理由とは

しかし、日本では総人口に対して就農人口が減少し続けている現実があります。耕作面積が狭く小規模な農業経営を強いられ、欧米諸国に比べて非効率的で無駄の多い現状を考察すれば、ある程度の農業人口があると思いきや、実際には全人口のわずか6%にしかすぎません。

農業人口が増えない原因は明確です。欧米化の影響を受けて日本人の食生活は激変したことに加え、海外から安価な食品が大量に輸入されることにより、米や一部の作物以外の自給率が極端に低下してしまったのです。それに加え、専業農家の収入レベルは未だに低く、田畑を耕しても儲からないというイメージや、農業は仕事がキツくて、汚くて、カッコ悪いというイメージが若者の間に浸透してしまったことも挙げられます。これでは農業が敬遠されても無理はありません。

また、農業を営む人々の高齢化も大きな重石となってのしかかってきています。驚くことに、農業就業人口のおよそ過半数が65歳以上の高齢者であり、しかも75歳以上の農業就業人口が、もうすぐ100万人を超える勢いです。次世代を担うべき若い世代に農業を継承できなかった結果があからさまになっているにすぎませんが、大問題であることに変わりありません。今こそ、農業のイメージを一新し、農業人口の裾野を広げる時なのです。

それ故、ここ最近の産地偽装問題や、一連の汚染食品の輸入などをきっかけとして、農業に対する関心が一気に高まりつつあるのは、不幸中の幸いと言えます。企業が積極的に農業経営に参入し始めただけでなく、有機農法が農家の生き残る道として脚光を浴び始め、その延長線として、いつしか家畜の世話や農耕作技術の習得、そして手で土をいじる喜びが都会に住まう人々の間で再認識され始めたのです。非常に喜ばしい限りです。

ところがそう簡単には農業就業人口が増えないハードルがもう一つ存在します。それが農地問題です。これまで農業生産法人でなければ、農地を借りることができなかった問題については、2005年の法改正により、特定法人貸付事業という新しい企業体を活用して、法人でも農地を借りることができるようになりました。しかし、例え農耕作を目指す企業や庶民が増えたとしても、実際に耕作する農地が無ければ意味がありません。

残念なことに、国内には埼玉県全土に匹敵する広さの耕作放棄地が無数に点在しているにも関わらず、その所有者達は賃貸することを拒むケースが多いのが実情です。農地にかかる固定資産税は大変低いため放置して、農地転用できるチャンスがあったら高い値段で売却した方が得、と考える地権者も少なくありません。そして様々な利権が絡むだけに、例え賃貸借契約を結ぶにしても、まず信頼関係の構築が大前提となり、これが実際に企業が農業を始めるのは実に難しいと言われている所以です。

後手に回る農政改革の難しさ

しかしどう考えても、国家が食料難の危機を迎えようとしているこの時代、耕作地を放置することなど、論外と言えます。それ故、行政の抜本的な見直しが急務ですが、役人は議論を続けるだけで、行動が伴いません。特に減反の問題は根深く、維持、廃止、選択制の是非について議論はされるものの、政策の検証が必要という大義名分の下に現状が維持されたままになっています。農地所有者の既得権が保護されてきた現状を見る限り、改革は困難を極めますが、もはや思い切った改革を断行することは不可欠であり、二の足を踏んでいる余裕はありません。

その為にも、農地を有効活用することにより、利得がもたらされるような仕組みを行政が前向きに検討することが大事です。そうすれば段階的に減反を廃止して米価が低下したとしても、例えば専業農家に対しては損失の補填をしてでも大規模化を促し、そのために必要な農地を貸し出す兼業農家に対しては、支払われる地代も増額されるように配慮し、最終的に地主としての利権が守られるように取組むことができるはずです。とにかく世界の歴史を振り返れば、高コストで生産性の低い産業は、必ず滅びに至ることがわかっているのですから、食料の備蓄と農作物の生産性を向上させることを明確な国策とし、その為にも農地を積極的に活用することがプラス思考につながるように世論を盛り上げていくべきです。

農業は本当に儲からないか?

昨今まで農業が敬遠されてきた結果、農業生産者は高齢化の一途をたどり、若者の農家離れが長年進んできました。しかし見方を変えれば、農業こそ、新世代の企業フロンティアであり、これから最も成長する可能性を秘めた、いまだに未開拓な市場とも言えます。これまでの「儲からない」というため息が、今や「こんな面白い仕事はない」という健康的な笑顔に代わる時を迎えることができるのです。

資本力のある企業が農業に関われば、規模が拡大されて生産効率が確実に上がるだけでなく、雇用条件も改善され、より多くの人材を集めることができます。また収益性が高まれば、イメージの向上にもつながります。もはや農耕作は大変だ、儲からない、というのは過去のイメージであり、パソコンの前に座りながら日夜仕事をして視力低下や肩こりに悩むよりも、ずっと健康的で、精神面においても優れた仕事であることが脚光を浴びるにようになっても、決して不思議ではありません。

農業を営むのは簡単ではない

しかし現実には農業だけではまだまだ生計が成り立ちません。農業所得は意外と低いため、就農後5年たっても農業所得だけをもって自立できない新規参入者は半数を超えると言われています。田植え機やトラクター等の機械投資にも初期導入コストがかさむため、節約して中古の小型機材を購入しても、耕作面積に対して効率が上がるはずがなく、結果を出せるまでどうしても時間がかかってしまうのです。そして何より、素人にとって営農技術の習得は想像以上に大変であり、ちょっとした天候不順が続くと失敗する例も少なくないようです。

その為にも、まず経験豊かな地元の農耕者に対して敬意を表し、頭を下げながら色々と教えてもらわなければなりません。そして、その地域社会に溶け込む努力を怠らず、付き合いを大事にしなければ、農業社会ではサバイバルできないことも知るべきでしょう。

全員で農業を体験しよう!

そもそも、人間が生きるために一番大切な食生活の源となる農業を、教育の現場でおろそかにしてきたことが間違いの始まりです。義務教育の過程において、農業に関する実務や経験を学校で学ぶことは皆無に等しく、特に大人になってからは、土さえもろくに触ったことがない人が大多数を占めるのが現状です。

まずは反省の念も含めて、とりあえず家庭菜園でも良いので、初歩的な農業の実践を誰もが試みてはどうでしょうか。また企業においても、社屋を利用した屋上菜園など、工夫すればできることは多々ありそうです。また、週末や夜間でも学ぶことのできる就農準備校もあり、成田界隈では千葉県農業大学校や水戸の日本農業実践学園が有名です。後者では全国新規就農相談センター主催の5日間に渡る短期農業体験コースが提供されており、月曜日から金曜日にかけて、稲作、野菜、有機野菜、水耕栽培、畜産、そして農産加工の科目から自分の好みに合わせて2科目を受講し、その技術を体験できます。

また、ちょっとした農業体験ならば、市民農園がおすすめです。地方自治体や農業共同組合の後押しで、小さな一区画を貸して頂き、そこで自らが耕作をするのです。大きさも10坪から15坪が一般的であり、賃貸料も年間で1万円弱が相場のようなので、経済的な負担も最小限に抑えることができます。市民農園の数は昨年度でも既に、全国に3200以上、そしてその大半が大都市近郊に存在します。その他、体験農園も個々の農家で運営され始めており、耕作機械や農具等が準備してある上、その使い方も教えて頂ける為、体験入学としてはもってこいです。千葉県内では、松戸市の「古ヶ崎青空塾」や、習志野市の「さくら農園みらい塾」などがあります。

その他、行政においても新規就農を支援するための情報提供や相談を受け付ける窓口が設けられており、成田市では経済部農政課において相談を受け付けています。これまでの受身の姿勢から一変して、成田市は農業を大切にしているという姿勢と意気込みをもっと積極的にアピールして頂きたいものです。

美食と飽食の時代が終わりを告げようとしています。人間は誰も食さなければならず、農作物の恵みに預かれるだけでも、本来は大いに感謝を捧げるべきことです。人類にとって不滅の教訓とは、行き着くところ、全てに感謝を捧げ、食べ物を粗末にしないことです。だからこそ、一粒のお米にも素直に「ありがとう」と言える謙虚な心持ちが、自然界との最後の絆となるはずです。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部