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56歳の限界に挑戦するアイスホッケー 最終回
上達スピードと老化スピードとの熾烈な戦いは終焉する?!

来る2014年はアイスホッケーが旬!ソチ・オリンピックでアイスホッケー日本女子代表の活躍が期待される昨今、メディアの注目を集めています。その前哨戦となる国際大会「5か国対抗戦」が2013年11月横浜で開催され、第1戦ではチェコに4-5と惜敗したものの、第2戦では格上のスロバキアに6-0で圧勝。第3戦目でも世界ランク5位のスイスに2-0で完勝。その雄姿はテレビのニュースでも大きく報道され、ますますオリンピックでの活躍が現実味を帯びてきています。これまでアイスホッケーに興味を持つことのなかった方々も、そのダイナミックなプレーの醍醐味に、酔いしれる時がきっとくるに違いありません。

56歳で痛感する実年ホッケーの壁

衝撃的な体験を満喫できるアイスホッケーを52歳から始めて、瞬く間に3年半の年月が過ぎ去りました。アイスホッケーの練習は、自分のライフスタイルに大きな影響を及ぼしただけでなく、体格までも変えてしまいました。怪我を避けるためには、普段使わない筋肉のトレーニングが必須であることから、筋トレで脚力をつけながら、上半身の筋力も30代のプレーヤーに負けない位まで復活させたのです。そして年齢のハンディーを克服し、自己のプレーレベルを向上するため、仕事の合間に時間を見つけては、少しずつ練習を繰り返すことに努めました。防具を着て練習するチャンスは週1回以上はとれませんが、それでもスケーティングを練習するだけで、確実にレベルアップすることができるのです。

2013年の秋、待ちに待ったMAX CUPと呼ばれる大人チームのリーグ戦が、東京の東伏見駅前、SEIBUのリンクで開催されました。自らが所属する13リーヴズ・アイスホッケースクールは、そのリーグ戦に毎年参加しており、今年は幸いにも全試合出場することができました。週を挟み、ばらばらにスケジュールされた試合の日程が、たまたま筆者が東京にいる時に全て予定されたのです。これぞ天の導きと意気込み、今年こそは練習の成果を試合で出すぞと自分に言い聞かせて試合に臨みました。ところが理想と現実のギャップは過酷でした。結果的にチームは全敗を喫し、祝勝会どころか、試合後の交流なども一切なく、寂しい結末でした。

更に自分自身のプレー内容も決して満足いくものではなかったのです。試合後にインターネット上ですぐに公開される試合内容をYOUTUBEで見ると、そこには「おっさん風」のプレースタイルと、ひどくカッコ悪いスケーティングをしている自分の姿が目に映り、そのあり様に愕然とし て意気消沈してしまうのでした。確かに以前と比べれば多少の上達は認められるし、歳のわりには頑張ったでしょう。しかし、そのような慰めの言葉は無用です。憧れのアイスホッケーは、とにかく「カッコ良いスポーツ」です。アイスホッケーをやるからには、「スタイリッシュ」に、ある程度のプレーレベルを維持できなければ、チームプレーを構成できないのです。自分自身を追い詰めることなく、冷静沈着にプレーを見つめ直しながら、何が足りないのか、どこに問題があるのか、ということを見極め、その「ダメ」な部分を改善しなければ先はありません!(参考:MAX CUP https://www.youtube.com/watch?v=cnDqJNyCZ8M 13リーヴズは白のユニフォーム、背番号22番が筆者)

ところがいくら練習を繰り返しても、どうにも乗り越えることのできない壁が立ちはだかっているのが、56歳のアイスホッケーです。「もしかして、ここらが潮時なのではないか」という思いが脳裏を走るこの頃。それでも振り返れば、時間に追われる日々を過ごしながらも、アイスホッケーの魔性は自分の人生に大きなインパクトを与えていました。その思い出の中には、考えられないような体験もあります。この連載の最後のメッセージとして、その中から最も心に残るアイスホッケー体験を綴ってみました。

女子チームとの米国遠征にいざ出陣!

アメリカのアイスホッケー事情がとても恵まれた環境にあることは、本シリーズでも紹介した通りです。羨ましい限りの本場、コネチカット州で時折練習する機会に恵まれた筆者が渡米の際に練習するリンクには、高橋大輔ら世界トップレベルのフィギュアスケート選手も頻繁に訪れています。そして練習するためのアイスタイムを毎日必ず確保できる環境が整っているだけに、日本のアイスホッケープレーヤーにも、その実情を少しでも体験してもらいたいと日頃、願っていました。

ある日、チームの練習にて女性コーチと会話をしている時、「アメリカに行ってみたいなー」という発言が突然飛び出し、そこからアメリカ遠征の話に火が付いたのです。咄嗟に、2~3人のゲストなら色々とリンクを案内して練習を楽しんでもらい、面倒を見れるかなと安易に思った自分の考えが浅はかだったのでしょう。それから事態は急展開していくのです。女性コーチが所属するチームは、日本女子アイスホッケーでは最上級のAリーグにランクされています。しかも、翌月には北海道で行われる全日本選手権を控えていたのです。よって、このアメリカ遠征の話がチームメートにリークした直後、マネージャーから早速忠告が入り、とにかく全日本選手権に集中するため、時を改めてほしいという話になりました。しかしながら、どうしても行きたいという人は、個人的にどうぞ、いうことで一件落着したのです。

ところがそれから1週間後、チームの練習に再び集うと、そこでコーチが、「大勢参加者が集まりましたよ!」と話かけてくるのです。そして何と、14名ものプレーヤーが全日本選手権の直後、米国遠征に参加したいということで名乗りをあげたというのです。断る術を知らなかった筆者の心配をよそに、そこから先は正に電撃的なスピードでツアーの段取りが組まれることになりました。結果、日本女子Aリーグのチームを筆者一人で率いてアメリカ遠征に旅立つという、人生で最初で最後の劇的な遠征ツアーが実現したのです。

およそ2週間弱という期間ではありましたが、言いつくせない程、中身の濃いツアーとなりました。当初から時差ぼけに悩まされ、疲労が抜けないまま親善試合が開催された為、全員が大変な思いをしながらも短期間に5試合をこなしただけでなく、その他にもプロコーチらと一緒に7回の激しい練習時間を持つことができました。結果として我がチームの戦績は3勝2敗。全米トップクラスのU16メンバーから編成される高校生チームには圧勝。コネチカット州地元のトップレベルの女子チームにも快勝しましたが、さすがにプロレベルのプレーヤーや、大学生プレーヤーも所属する成人チームの前では苦戦を強いられ、スピード感では引けをとらなかったものの、とにかく体の大きさ、ボディーチェック(体当たり)、スティックのリーチなどの弱点を克服できずに、2度苦杯をなめることになりました。

アメリカ地元チームと対戦後の集合写真(筆者右上)
アメリカ地元チームと対戦後の集合写真(筆者右上)

通訳者がプロコーチに様変わり?

今回、遠征した女子選手たちが体験したのは試合だけではありません。その合間には1.5 時間のブロックからなる練習時間も連日企画され、アメリカ人プロコーチの指導による、大変厳しい練習の時が持たれました。普段から体験したことのない練習量に時差ぼけが重なり、そこに親善試合が連続するというスケジュールには、一時皆が意気消沈してしまうこともありました。無論、筆者も運転手、ツアーコーディネーター、通訳兼、世話役として奮闘し続けたこともあり、疲労困憊に陥ったのです。しかも女子選手達は英語を話すことができないことから、リンク上で通訳をする仕事を連日、筆者が担うことになりました。

英語の通訳はこれまで経験が豊富にあることから自信はあったのですが、常にコーチのそばで一緒にスケートしながら通訳という体験は初めてです。そして初っ端から冷や汗をかく問題にぶつかりました。アイスホッケーの経験が3年しかなく、ゲームの細かいルールさえ熟知してないことから、トップレベルのプレーヤーやコーチらが常用するホッケー用語の意味が理解できなかったのです。初日、皆に熱意をこめて説明するプロコーチがまず語ったことは、「ホッケーで試合に勝つ秘訣は3つ。フォアチェック、バックチェック、そしてブレイクアウトだ!」。さあ、大変です。さらりと日本語に訳したのですが、話している内容がさっぱりわからないのです。そして説明が続くうちに、段々と自分が何を話しているか整合性がつかなくなり、頭が混乱してしまいました。その為、練習の合間を見ては、プロコーチに質問を繰り返しながら、言葉の意味を短時間で学ぶことに努めたのです。幸いにも言葉のハンディーは、1日程で解消することができました。

そしていざ、試合となるとアメリカのコーチですから、大声で怒鳴る時もあります!気持ちが入ると熱があがり、時には絶叫することもあります。そのあおりを自然に受けてか、通訳する自分も時には大声を出すようになり、激戦のピークでは、コーチと一緒に怒鳴りちらしている自分がいたのです。試合も2戦目、3戦目とこなしていくうちに、コーチ通訳という職にも慣れてきたせいか、試合中にコーチの言うことがおよそ見当がつくこともあり、同時に大声で、片や英語、片や日本語で選手に向かって叫んでいることもありました。そして一緒に怒鳴り続けている内に、いつしか「自分はコーチ!」という錯覚に陥っていた気がします。無論、勝利を収めた後は、大変気持ちの良いものです。例え通訳であろうとアメリカ人プロコーチと同じジャケットを着ていることから、相手チームから見れば、自分も日本から来た女子チームのコーチにしか見えません。そして試合後にはリンクにて全員と握手をしますが、相手チームのコーチから必ず「Thank you, Coach!」と言われるのです。遠征チームのコーチ扱いを受けることに、ちょっとした誇りを感じる瞬間でした。

初めての救急車体験に直面!

日本の女子選手は体が小さく、身長も160cmに至らないプレーヤーが殆どです。相手のアメリカ人プレーヤーは身長170cmが当たり前であり、体重も一見70~80kgはあると思える重量級のプレーヤーも少なくありません。そのようなプレーヤーと、もの凄いスピードでぶつかることもあるのがアイスホッケーの醍醐味でもあります。ところが第4試合目に遂に大事件が起きてしまったのです。相手は成人のトップレベル・チーム。試合開始早々、失点を繰り返した我がチームは負けがこんできました。それでも選手は必死に食らいつき、何とか挽回しようと頑張っていた矢先、相手に攻め込まれてパックをフェンス際で追いすぎたディフェンスの小柄な選手が、彼女の倍の大きさにも見える巨漢プレーヤーと真っ向からぶつかり、押しつぶされるように頭からフェンスに激突したのです。

周囲が見守る中、リンクに倒れこんだ彼女はなかなか立ち上がりません。しかも過呼吸が始まり、そばにいるチームメートが心配にそうに見守る中、一向に改善しないのです。明らかに体に異変が起きていることから、アメリカ人のコーチがリンクの中に歩いて入り、両手で彼女を抱えて選手控室まで連れていったのです。そして全身が痙攣し、時折、意識を喪失する状態が続いたことから脳震盪が疑われ、すぐに救急車が呼ばれました。脊髄に損傷でもあったら一大事です。そしてチームの責任者ということで、筆者が救急車に同乗して病院まで搬送されることになったのです。

56年の人生において救急車とは全く縁が無く、初めての車内体験です。しかもアメリカの救急車の中は意外とゴージャス!ゲスト用のいすと小デスクが備えつけられ、とにかく広いのです。無論、怪我をした選手の状態はとても心配でしたが、病院に向かう途中、驚いたことに救急車はサイレンを鳴らすことはありませんでした。そしていちいち交差点の信号で止まっているということは、勝手な想像ながら、彼女に生命の危険はなく、そこまでの緊急性はないという判断を初見で確認した結果なのだと理解し、安心することができました。確かに病院に着いた頃には彼女は意識をとり戻し、その数時間後に退院することができました。この女子選手は高校生プレーヤーだったこともあり、一般の病院ではなく市内の子供病院に搬送されましたが、その病院のケアーと施設の素晴らしさと手際良さは、大変勉強になりました。

アイスホッケー向けの肉体改造

アイスホッケーには怪我がつきものですが、特に実年層にとって膝と腕の怪我は深刻です。筆者も例にもれず、高校時代にフットボールとテニスで痛めた左膝が弱く、水がたまりやすいことから、過度な負荷を左膝にかけることができません。それ故、スケートをして膝を曲げる為には、膝周辺の筋肉に繋がる大腿四頭筋を中心とする脚力の上達が必要となります。その為、マシンを使って筋トレを定期的にこなしながら、脚力をつけることが欠かせません。また、アイスホッケーでは常に両手でスティックを扱い、シュートやパスをする時には一瞬、大きな負荷が腕橈骨筋にかかるため、前腕周辺の筋肉を痛めやすいのです。アイスホッケーを始めた当初、早速前腕を負傷し、当初2年以上もシュート練習をすることができませんでした。そして痛みがとれた後、半年以上も腕のリハビリと筋トレを積み重ね、やっと普通にシュートが打てるようになったのがつい最近です。歳をとってからアイスホッケーをするということは、こうして痛みを我慢しながら筋力トレーニングと体のコンディショニングを継続することも意味します。

一見、大変に見えるトレーニングとリハビリの連続ですが、それも慣れれば楽しいものです。これまで使うことの少なかった特定の筋肉を酷使するスポーツですから、当然ながらケアーが必要であり、そのトレーニングの成果は氷上で体験できます。膝が強くなれば、スケーティングのスピードと回転が速くなり、腕に筋肉がつけば、シュート力がグンと増します。こうして肉体改造に努めた筆者は、まず、筋トレを伴う体重の増加を目指しました。40代前半では73kgあった体重は、7年間の過酷なマラソンのトレーニングで一時は60kg を切るまでに落ちていました。無理やり体脂肪を落とした結果、持久力には自信がありましたが、瞬発力に欠け、衝撃に弱い体に変わっていたのです。そこで以前の筋肉質で頑強な体に多少Uターンを試みることとし、5kg程の体重を上乗せして上半身の筋トレを行ったのです。その為に週3回ほどの筋トレを欠かさず行い、ストレッチを多目に行いました。そして2年がかりのトレーニングを経て、これまでの怪我の痛みが遂に無くなり、スケートも無理なく滑れるようになり、スティックのハンドリングやシュートも思い切って力を入れることができるようになったのです!あと40年歳が若かったら、日本代表を目指しただろういう妄想に走ることも、歳の限界を感じる壁と言えるでしょう。

確かに56歳の壁を痛感する現実問題は存在し、どうしても解決することのできない2つの課題が、いつも筆者の上達を阻んでいたのです。人間というもの、いくら一生懸命に肉体改造を試みても、日々老いていくものです。特に50代になると、その老現象は著しく加速し始め、トレーニングをしながらコンディションを保とうとしても、日々、体が老化していることに気がつくのです。そして行きつくところ、上達するスピードと、老化する加速度のどちらが勝つか、負けるか、という熾烈な戦いが演出されることになるのです。この3年間を振り返ると、努力の成果が実ったこともあり、上達スピードが老化スピードに勝っていたことを実感します。ところが56歳を迎えた頃から老化スピードが徐々に勢力を増し、今、まさにデッドヒートを繰り返している最中です。

その老化の波を一番実感するのが、アイスホッケーの基本である足と膝の動きです。マラソンでは膝をできるだけ曲げずに、足の筋肉に負担をかけないフォームで走ることを学びます。その走りに7年間も慣れ切っていたこともあり、瞬発力と短期決戦モードでダッシュ、ストップを繰返しながら膝を深く曲げるアイスホッケーの動きには、なかなか足が順応しないのです。自分では足が痛くなるまで十分に膝を曲げているつもりでも、いざ、ビデオでスケートしている自分の姿を見ると、膝が殆ど曲がっていないことに気が付かされています。スポーツ万能を自負する筆者ではありますが、スケートで膝が曲がらないということは、まさに老化の結果であり、致命傷です。それはスピードとコントロール、敏捷性に欠けることを意味し、どうしてもこの問題を改善することができないのです。

膝が曲がらなければ、首も回らない。これが次の悩みです。アイスホッケーは急回転の連続です。そして常に周りを見ながらプレーヤーとパックの位置を確認し、前後にターンしたり、ストップすることを繰り返してスケートし続けます。よって頭と目線の動きが大事です。歳をとるにつれ、肩と首のコリを体験する人は少なくないと思いますが、筆者も例にもれず、ひどい凝り症です。また、仕事がら日々何時間もパソコンを操作していることから、肩や肩甲骨周りの背中上半身の筋肉だけでなく、首周りの筋肉も硬直して、よく回らないことがあります。ストレッチをすれば一時的に改善するものの、ヘルメットをかぶってアイスホッケーを練習すれば、それなりの重圧と緊張感からすぐに首の筋肉は固まってきます。だから、いざ氷上でスケートをしながら急ターンしてパックの位置を見極めようとしても、首が回らず動きがついてこないのです。これには閉口してしまいます。金策に苦しむことを首が回らなくなるとは良く言ったものです。首が回らずパックを見失ってしまうのですから、これまた宝を逃すようなものです。

その首の痛みと関連する問題が、ドクターストップにもつながった睡眠の必要性です。日本のホッケー事情は厳しく、練習するためのリンクタイムを取りづらいことから、どんなチームも練習時間を確保することに苦慮しています。結果として、夜中でしか予約がとれない為、大人チームの練習はごく一般的に、夜の10時以降から行われることが多いようです。13リーヴズでは毎週火曜日、夜の10時15分から練習を行いますが、1.5時間の練習に参加すると、終了時は午後11時45分となり、それから着替えて家に帰ると1時近くになります。そして風呂に入ると、あっという間に夜中の2時になっているのです。そして3時間半後の朝、5時半に起きて仕事に行くというスケジュールが繰り返されると、睡眠不足が重なり、余計に肩凝りと首の痛みが増すという悪循環が繰り返されます。

ホッケーの練習が睡眠不足の一大要因であり、首周りの筋肉の硬直に致命的なダメージを与えているということに気がついたのはつい、最近のことです。ドクターから睡眠を優先するようにと言われ、これ以上、睡眠を十分に取らずにアイスホッケーをしていると、もっと深刻な体の障害がおきる可能性が高くなると忠告されたのがきっかけです。自覚症状があっただけに、やはり睡眠を犠牲にしてまで無理を押して練習しても、長い目でみれば逆効果であり、危険と割り切る必要がある、と自分に言い聞かせることも大事であると気がつかされたのです。それでも夜中に練習に行くとしたら、中毒症状以外の何物でもありません。なんとか、早い時間にアイスホッケーの練習ができればいいのですが、現状の数少ないリンクの実態を考えると難しく、そうでなくても来年からリンクの数が東京界隈では減るのではないかと噂されています。悩みはつきません。

東京には初心者が練習する場所がある!

この連載を読まれた何人かの方が、アイスホッケーを始めることに興味を持たれてチームの練習を見に訪れてくださったようです。大人になってからアイスホッケーにチャレンジすることは、確かに相当な勇気が必要でしょう。筆者も同じ体験をし、最初の半年間は散々転びまくり、頭を打ち、負傷を繰り返し、大変な苦労を強いられた記憶が生々しく残っています。しかし、それらの苦労に勝る一瞬の喜びが段々と増えてくるのも事実であり、一つ一つのことをマスターしていくことの達成感は、ちょうど山登りで数々の障害を乗り越え、頂上を極めた時の思いに良く似ています。

初心者にとって最もお勧めの練習場所は、何はともあれ13リーヴズ・アイスホッケースクールにつきます。実際に初心者の方々が多く参加し、女性から70代のおじさんプレーヤーまで、その層は大変幅広いことがチームのカラーです。特筆すべきは、初心者へのコーチングをきちんと行っていることであり、練習中はリンクを分けてコーチを別にあてがい、スケーティングの基礎から優しく教えています。本当に誰でも安心して参加できる、国内唯一のスクールかもしれません。13 リーヴズカップ、チームメンバー同士の紅白戦
13 リーヴズカップ、チームメンバー同士の紅白戦
その代わりと言っては何ですが、リーグ戦になると、どうしても最下位となってしまいます。でもそれだけ多くの初心者がチームのメンバーとなってリーグ戦に参加していることの証でもあり、それこそ13リーヴズの誇りです。興味を持った方は是非見学し、思いきって練習に参加して来てください。リンクでお会いできるのを楽しみにしています。

また、スケーティングはある程度できるという方で、30~40代までのプレーヤーでしたら、13リーヴズと同様にビジターを快く受付けているオアシスのチーム練習もお勧めです。週1回の練習はJR千駄ヶ谷駅その明治神宮のリンクで行われ、チームメンバーとビジター、2組に分けて練習後、後半はメンバーチームとの練習試合をします。無論、ビジター側にも上級プレーヤーがコーチとしてついてくださるので、きちんと練習ができます。但し、全体のレベルは13リーヴズより高く、ビジターの中には元学生プレーヤー、実業団プレーヤーも多々混在するため、初心者なら面喰ってしまうこともあり、よほど勇気があり、ある程度スケートに自信がある人以外はお勧めしません。それでもアイスホッケーに慣れてきた方なら、みんなと一緒に本格的な練習試合を楽しめるクラブとしてお勧めです。

知ってもらいたい最後のメッセージ

日本は世界一のフィギュアスケート大国として、今や世界に君臨しています。スケート場の数は欧米諸国と比較すると人口比では劣るものの、そのハンディーを克服して、大勢の選手が世界トップクラスへと羽ばたいています。ところが同じリンクで競技するアイスホッケーについては、これまで全くと言ってよい程、日の目を見ることがありませんでした。しかし今や、新しい時代が訪れようとしています。アイスホッケーは土木鉄道業界の実業団、ちょっとアングラな暗い感じが伴う冬のスポーツという過去のイメージを払しょくして、フィギュアスケートに匹敵する欧米風の認識、つまりカッコイイ、エリートのスポーツである、というイメージに変わる時が到来したのです。

アイスホッケーとは本来、誰もが楽しめる冬のスポーツであり、しかも、北米では学業に長けている生徒らが好んで選択するエリートのスポーツです。遠い昔、LOVE STORYという有名な映画の中でも、オニール氏が演じる主人公がHarvard大学にてアイスホッケーで活躍した姿が印象的であったように、アイスホッケーは激しくも健康的であり、かつエリートのイメージが漂う、若者が憧れるスポーツなのです。よって本来は、フィギュアスケートがかもし出すイメージに何ら勝るとも劣ることのない素晴らしいスポーツです。このイメージの改革が、まずスタートポイントとして再認識されるべきでしょう。

ところが日本の実態は厳しく、アイスホッケーに熱中することは、学業がおろそかになり、慢性の睡眠不足はもとより、就職活動にも悪影響を及ぼしかねない危険を孕んでいます。また、トップのエリート選手を目指すことは、バイトをしながら生活費を捻出し、大変な苦労を伴いながら練習に打ち込む、というのが、昨今の報道からも受けとめられるアイスホッケー選手の現実的なイメージです。これらの報道は真実であったとしても、一時は同情をよびますが、決してその好評は長続きするものではありません。アイスホッケーをすれば子供が苦労する、とわかれば、どうして親がその道を選ばせるでしょうか。TVドラマ、「おしん」に人々は感動し、同情を寄せます。しかし誰も、「おしん」になりたいとは思いません。むしろ必要なのは「このような人になりたい」というモデルとなる選手の存在です。スターとなる選手が一人登場し、子供達が憧れるだけだけで、スポーツの歴史は大きく変わります。

今、日本のアイスホッケー界は、成功体験に匹敵するような起爆剤となるシンデレラ・ストーリーを必要としています。そのきっかけを、ソチ・オリンピックの日本女子代表に期待したいものです。同時にアイスホッケーをプレーする選手の意識改革も必要です。そして劣等感をエリート意識に、報われない労苦を成功体験に変えて、サクセス・ストーリーを少しでも世に知らしめることが大事です。そして何よりもアイスホッケーをプレーすることに誇りを持つことです。このような意識の改革が重要であり、ソチ・オリンピックを機に、イメージが変わり始めることを信じています。

最後の壁は、アイススケート場の不足を補うべく、企業や学校が率先してリンクの設営に踏み切ることです。アメリカでは大学は勿論、私立の高校や中学校でもキャンパス内にリンクを保有する学校が少なくありません。羨ましい限りの米国私立高校のスケートリンク
羨ましい限りの米国私立高校のスケートリンク
その一見、贅沢にも思えるステップが、生徒の質を向上させ、学校の知名度を上げることに結びつきます。日本でもそのような学校がもっと存在しても良いのではないでしょうか。同様に、企業もアイススケートリンクの新設にもっと積極的になるべきです。都内のリンクは放課後、フィギュアスケーター、学生プレーヤーで一杯です。世界一のスケート人口密度を誇る日本ですから、フィギュアスケート、アイスホッケー双方をサポートすべく、リンク設立に踏み切る企業が現れることを期待してやみません。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部