秋の吉野山を走る!
美しい紅葉と歴史の秘話に満ちた世界遺産の町に感動!

「日本のレイライン」に関する記事を本紙に連載してから、1年以上の年月が経ちました。元伊勢に関する記述も来月で終了し、最終章も来年早々に完結することから、それまでに記事の中で取り上げた元伊勢を全て自分の目で確かめておこうと、まだ訪れていない神社を10月下旬、3日間で一気に旅しました。そして最後に残された和歌山県、日前神宮の摂社、浜宮神社を訪ねたことが、吉野へ向かうきっかけとなりました。

海南のさびれた経済状況に唖然

浜宮神社は和歌山駅から10kmほど南の海南駅近くの海側に建立されています。海南と言えば大阪に近いイメージですが、関西国際空港から行くと、電車は2回乗り換えなければならず、1時間10分ほどかかってしまいます。ところが京都からは熊野の新宮行き特急を使えば、乗り換えなく1時間38分で行けることがわかり、京都で仕事をした翌日の朝、海南へ向かうことにしました。そして、ついでに吉野まで行ってしまうことを思いついたのです。これまで籠神社や高野山、熊野の各地を見て回ったことはありますが、何故かしら、空海が高野山に向けて歩み始めた原点でもある吉野の地をまだ訪れたことがありませんでした。

旅の当日、朝一番の特急に乗って、和歌山方面に向かいました。JR海南駅で電車を降り、駅前のロータリーから周囲を見渡すと、意外にも町が綺麗に整備され、道路も広く、無電柱化も進んでいることに感心しました。ところが、驚くことに人影がないのです。そして駅前の通り沿いのビルは、どこもかしこも空き家だらけです。商売が成り立たないのでしょうか。タクシーの運転手に話を聞いてみると、ここ最近、急激に人口が減少して人がいない町になってしまったとのこと。それにしても、和歌山の経済状況が貧窮していることには驚きました。こんな素敵な海に近い町に、人が住みつかないことを危惧しつつ、浜宮神社で祈りを奉げてから海南を後にして、吉野へと向かいました。

言葉で言い尽くせない吉野の魅力

紅葉が始まる吉野の秋
紅葉が始まる吉野の秋
和歌山駅から和歌山線に乗って、紀ノ川沿いを2時間ほど旅すると吉野口に着きます。そこから近鉄吉野線に乗り換えて吉野へ向かい、最後に吉野ロープウェイに乗ると吉野山です。ロープウェイから眺める11月初旬の吉野は、紅葉の季節が始まる時でもあり、山の所々が真っ赤に染められている景色は、実に美しく、感動して見入ってしまいます。吉野と言えば、日本一の桜の名所として有名です。お花見のシーズン中は、日本最古と言われる旧式のロープウェイが、1時間半待ちになるほどの人気スポットです。

吉野と熊野三山を結ぶ「大峯奥駈道」は、古代より修験道の霊場として多くの修行者が行き来してきました。そして2004年、吉野を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」は世界遺産に認定され、国際的な脚光を浴びることになったのです。その際、吉野山に建立された金峯山寺蔵王堂、吉水神社、吉野水分神社、金峯神社も遺産登録され、比類なきツアースポットとして、その名を世界に広めることになりました。

紅葉が美しい吉野の山道
紅葉が美しい吉野の山道
また、吉野は弘法大師が愛された山であり、吉野山金峯山寺から高野山金剛峯寺まで弘法大師が歩いたおよそ56Kmの道は、今日「弘法大師の道」と命名され、その山道には英語で“Kobo Trail”と書かれた札が随所に立っています。弘法大師の時代以前でも、皇族による吉野への行幸は史書に記録されており、応神天皇による吉野の初見を筆頭に、持統天皇に至っては32回も行幸されたことが日本書紀に記されています。また、吉野に関する歌は多数、万葉集に収められ、柿本人麻呂や山部赤人、大伴家持など、多くの歌人が吉野をこよなく愛していたことがわかります。

美しく、神秘的な自然の力を有する吉野の聖地は、歴史を振り返ると悲劇の場所でもありました。鎌倉時代では、源義経が弁慶と共に吉野山に潜伏したことは、あまりに有名です。その後、吉野は再三、山ごと焼かれるという歴史を繰り返します。金峯神社の鳥居
金峯神社の鳥居
鎌倉後期においては鎌倉幕府軍により、吉野山はほぼ全焼しました。また、14世紀には足利方に攻め入られ、再度、吉野山は全焼してしまうのです。そのため、吉野では古代の建造物は見当たらず、年代の新しいものに造り替えられてきています。それでも吉野の神秘的な地の利と比類なき絶景は、多くの人を魅了し続けてきたのです。
  それにしても、吉野という地名は不思議です。吉野山周辺からは吉野川が流れ、紀伊水道へ注がれていますが、その川の名前は途中から紀ノ川に変わります。しかも和歌山の河口から西方に50km、紀伊水道を越えると、そこには広大なデルタをもつ四国の吉野川が存在します。西日本第2の標高を誇る剣山から、穴吹川や大歩危小歩危を介して放流される日本有数の河川は、紀ノ川の上流を流れる吉野川と同名です。そしてどちらも空海が闊歩したお膝元とも言える地域を流れる一級河川なのです。これは偶然の一致なのでしょうか。

もうひとつの不思議は、吉野の著名な神社が、他の聖地と同一線上に並んでいるということです。吉野では、つい近世まで山頂に近い金峯神社周辺に集落が栄えていたことが知られています。その金峯神社は熊野三山の象徴の一つである熊野那智大社の真横に流れ落ちる那智大滝と同じ経度に存在します。吉野のレイライン
吉野のレイライン
また、金峯神社と四国剣山の頂上を結ぶと、その線は伊勢の斎宮を通り抜けます。つまり、金峯神社に象徴される吉野は、熊野だけでなく、剣山や伊勢神宮とも結び付く重要な聖地として認知されていた可能性が見えてくるのです。また、吉水神社は、南方では古代の指標として用いられた紀伊大島の東端と、日本海側の三方五湖を結ぶ線上にあります。吉野が四国とも結び付き、聖地化された理由が、レイラインの考察からも見えてくるのではないでしょうか。

紅葉の吉野はイベントで一杯!

金峯山寺 蔵王堂
金峯山寺 蔵王堂
京都から和歌山経由で吉野に旅したことから、宿泊する吉野荘湯川屋に到着した時点では、既に午後3時近くになっていました。チェックインの際、ホテルの支配人から吉野におけるイベントの数々の説明を受けました。まず、修験道の総本山である金峯山寺において、世界遺産登録10周年記念として、国指定重要文化財である金剛蔵王大権現3体の特別御開帳が行われており、朝は6時半から行われる朝座勤行にも参加できるとのこと。世界遺産登録されている南朝皇居の吉水神社も必見であり、義経かくれ塔の更に奥の山上に建立されている金峯神社も、そこまで行くのは大変だが、素晴らしいということでした。日没まで後、2時間少々。明日の朝には大阪へと向かうため、待ったなしです。幸いにも温かい曇り空。早速半袖のランニングウェアに着替えて走り出しました。

宿を出ると、すぐ北側に金峯山寺の蔵王堂が見えてきました。国宝仁王門は残念ながら修理中ということで、足場と養生シートに隠されていましたが、金剛蔵王大権現の御開帳は今しか見るチャンスがないと思い、早速、蔵王堂の中を見学。すぐに境内を後にし、次に向かったのが吉水神社です。
  吉水神社書院 後醍醐天皇玉座
吉水神社書院 後醍醐天皇玉座
豊臣秀吉公が「絶景じゃ!」と声をあげた一目千本は、門をくぐると右側にあり、そこから眺める紅葉の吉野は、素晴らしいものでした。また、吉水神社境内の奥にある日本最古の書院建築を誇る吉水神社書院では、後醍醐天皇の玉座を見ることができるだけでなく、豊臣秀吉公が愛用した金屏風も展示され、歴史の重みに感動を覚えました。また、書院の北側には、後醍醐天皇が京都へ向かって祈り、崩御された際には忠臣達が号泣されたと言われる北闕門があります。吉水神社を後に、次に桜本坊を訪ね、院内の展示物を興味深く見ているうちに、時間が過ぎるのを忘れてしまったようです。

吉野山を走る2時間の弾丸ツアー

金峯神社の修行門
金峯神社の修行門
大変なことに気が付きました。後、1時間で日没だというのにまだ、吉野の中心地を見学しており、山上の金峯神社どころか、その手前にある花矢倉の展望台も見ていないのです。すぐに坂道をダッシュで走り始め、勝手神社跡を過ぎてからは右側の急な坂を上りますが、以外にも勾配がきつく、体力が消耗します。その後、緩やかなS字を描く坂を走り続けると、街並みが一望できる絶景ポイントの花矢倉展望台に到達します。紅葉の美しい山道を通って更に上り坂を走り続けると、水分神社が目に入りました。既に時刻は4時半を回っています。自分自身に檄を飛ばして一気に、源義経が弁慶と共に身を隠した義経かくれ塔へと向かい、境内で小休止。あたりはうす暗くなり始め、日没の時間が近づいてきたことから、すぐに金峯神社へと向かいました。

修験道のメッカである金峯神社の境内へ到達後、ここでUターンしてはもったいないと思い、有無を問わず、金峯神社脇に見える石畳の山道を上り、奥千本、そして青根ヶ峯の頂上を目指すことにしました。既に周囲は暗くなってきたことから、急いで石畳を走って上りつめると、途中から工事中の道へと変わり、所々に“KOBO TRAIL”という英語の表示が木にかかっているのが目につきます。空海もこの周辺を早歩きしていたのかと思うと、元気が湧いてきました。そして山道を駆け抜けて、青根ヶ峯の頂上を制覇することができました。時刻はちょうど5時。周囲は、もう暗闇になりつつあり、そこからは、最後の力を振り絞って一気に山を下5時半には辺りが真っ暗な吉野荘湯川屋前
5時半には辺りが真っ暗な吉野荘湯川屋前
りました。
  翌朝、早朝5時半には目を覚まし、生まれて初めて、朝座勤行なるものに6時半から参加しました。九州大学から来たという日本語を流暢に話す12人の外国人留学生と6人の日本人、合わせて16人が朝座勤行に参加し、一緒に祈りを捧げました。45分間という短い時間ではありましたが、鐘の響きに心を無にしながら、お経を読み、祈る朝のひと時は、フレッシュに感じられました。あっという間の吉野の旅でしたが、不思議と心は充実感に満たされました。

(文・中島尚彦)

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