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音楽に魅了される人生
あらゆる音楽が贅沢に楽しめた時代を振り返る

幼少の頃、ある日突然、家の居間に白黒テレビが登場した。その衝撃たるや、言葉にすることもできない。その数か月後、今度はテクニクスのレコードプレーヤーが片隅に置かれた。そこで初めて聴いた音楽が、村田英雄が歌う「王将」だった。「吹~け~ば飛ぶような。。。」その演歌を幼稚園生の自分が口ずさみ、歌詞を覚え始めたのも束の間、父親が新しいアルバムを家に持ち帰ってきた。聴き慣れない英語の曲ばかりだったが、すぐに大好きになってしまった。それがエルビス・プレスリーとビートルズだ。Love me tenderやI want to hold your handが思い出に残る。

小学校に入学すると親戚から誘われて、上野公会堂で行われたベートーベンの交響曲第5番「運命」を一緒に聴きに行かされた。訳が分からぬまま聴き入った「ジャジャジャ・ジャーン」のメロディーは、少なからず自分の音楽ライフに大きな影響を与えることになる。それからしばらくの間、そればかり口ずさんでいた記憶がある。東京オリンピックが終わった翌年、「ウィーンの森の物語」というヨハンシュトラウス二世の生涯を描いた映画が公開され、8歳の筆者は一人で渋谷の映画館に観に行った。そして今度はシュトラウスの虜となり、多くの名曲を丸暗記するまで聴き入った。

ザ・タイガース「ヒューマンルネッサンス」
ザ・タイガース「ヒューマンルネッサンス」
60年代後半、世間では反戦ムードが高まる最中、67年には沢田研二率いるタイガースがデビューし、セカンド・シングル「シーサイドバウンド」の大ヒットと共にグループサウンズ全盛期に突入。子供から大人までグループサウンズにはまっていくことになる。と同時に、68年には「帰ってきた酔っ払い」のヒットを機にフォークソングも大流行。69年には「風」が大ヒットし、歌が大好きな自分はグループサウンズとフォークソングの虜にもなる。こうして小学生時代、頭の中はいつも音楽でいっぱいだった。そこには交響曲やワルツのメロディーに心酔しながらもタイガースの「君だけに愛を」や、ビレッジシンガーズの「亜麻色の髪の乙女」を歌いまくっていた自分がいた。

ザ・タイガース「ヒューマンルネッサンス」
Deep Purple「LIVE IN JAPAN」
中学時代になると、いつしか級友と共にギターを手にして何でも弾きがたりで歌うようになっていた。そして1970年、初めて聴いたロックの曲がLed Zeppelinの「Immigrant Song」だった。そのあまりの強烈なビートとメロディーに当初は恐怖感を隠せず、身震いしてしまったことを今でも覚えている。時が経つにつれて心の中はロックの勢いに感化され続けた。1972年に東京と大阪で収録されたDeep Purpleの「Live in Japan」には、すっかり心を奪われてしまった。そして、フォークソングとグループサウンズにあいまみえながらも、ブリティッシュ・ロックの華やかさに魅了され、ロックギタリストを目指すこととなる。さらには78年に大ヒットした映画「サタデーナイトフィーバー」にあやかり、世界的なディスコブームも到来。週末には我を忘れ踊り明かした体験など、楽しみ尽くした青春の日々が懐かしい。

筆者はテニス留学のために72年から渡米し、90年まで18年間のほとんどをアメリカで過ごしたため、日本の音楽事情については空白の期間が生まれることになる。そしてアメリカでもスポーツや学業、そして仕事に専念する日々が続いたことから、音楽とはかけ離れた生活を送ることになった。よって、日本に一時帰国した70年代の後半、ピンクレディーの「渚のシンドバッド」が大流行し、直後に女子アイドル3人組のキャンディーズが解散するということで大騒ぎになっていたことくらいしか記憶にない。いずれも女子アイドルの台頭ということになるが、その爆発的な人気ぶりが20年後、モーニング娘ブームの火付け役になろうとは、当時、夢にも思わなかった。

Princess Princess「LET'S GET CRAZY」
Princess Princess「LET'S GET CRAZY」
時は過ぎ去り、90年、想いを馳せて日本に終身帰国することにした。その当時、VHSビデオが全盛期であり、とりあえず何か日本のバンド系音楽を観てみたいと思って友人から借りたビデオに大きな感動を覚えた。何故なら、自分が知っている70年代の音楽シーンではあり得ないようなパフォーマンスに満ちているだけでなく、曲の構成、歌詞のコンテンツ、どれをとっても世代を越えているように思えたからだ。それがガールズバンドのパイオニアとなったプリンセスプリンセスだ。特に「ダイアモンド」と「世界でいちばん熱い夏」に心を揺さぶられ、それから30年近く経った今でも時折、口ずさむことがある。

サザンオールスターズ「10ナンバーズ・からっと」
サザンオールスターズ「10ナンバーズ・からっと」
振り返れば72年に出国していることから、同年にデビューした井上陽水を知ることもなく、そのバックバンドとして有名になった安全地帯は勿論、チェッカーズさえもそれまで聴いたことがなかったのだ。プリンセスプリンセスだけでなく、これらのバンドにおいても、その歌詞や曲の構成はどれをとってみても新鮮であり、70年代までの邦楽とは様変わりしていた。特に言葉の描写や言い回しの繊細さには感銘を受けたものだ。中でも一番驚いたのは、サザンオールスターズの存在だ。名曲である「いとしのエリー」は、実は最初に聴いたのはアメリカに居住していた時であり、米系歌手が英語で歌っていたことから、てっきり洋楽と思っていた。それがサザンの曲であることを知り、その日本語歌詞の綿密な韻のふみ方に脱帽。桑田佳祐の歌唱力もさることながら、とにかく、その卓越した作詞作曲のパワーにより、歴史に残る偉大な名曲の数々を残してきたことは称賛に値する。

ふと気が付くと2010年代となり、日本の音楽シーンも激変した。70年代に始まったアイドルブームと90年代のガールズバンドブームには97年にデビューしたモーニング娘に引き継がれ、大勢の若い女子が一緒になって歌いながら踊る、という大昔の宝塚ステージの現代版のようなブームが一世を風靡するようになる。今日ではテレビ放映においても、圧倒的人気を誇るAKB48や乃木坂46に代表される女子アイドルグループが高い視聴率を集めている。ところがアイドルグループが歌う曲は、どれもが同じようなリズムやメロディーを共有しているようであり、音楽的にはあまり魅力を感じることができない。あくまでアイドルを傍観するために歌がついてくるようにも思えてくる。

今日、日本で流行している音楽の多くが、面白くも楽しくも感じれられない、と思うのは自分だけだろうか。70年代までの音楽が素晴らしかったのは、歌うアーティスト自身が情熱をもって、自ら作詞作曲を手掛けることが多く、あくまで独自のスタイルとスタンスを貫きながら自分の歌を聴かせるという自負があったからに他ならない。そこにはオリジナリティーと夢があり、比類なきキャラクターとしての「我」という強い存在があった。だからこそ、大ヒットした歌手やアーティストの多くは、他が持ち得ない音楽的要素と独自のキャラクターを兼ね備え、その想い思いを思いっきり世間に向けて解き放たっていたのだ。

その独自性と創造性の高い音楽観に相対して、現代の邦楽はチープに立ちはだかっているようにも思える。何故なら、今日では音楽性よりもまず、売れること、有名になることが大事とされることが多いからではないか。それ故、自ら作詞作曲を手掛けるアーティストの数は減り、まず売れるためにどうするかを優先して考えるようになる。そして売れ筋のメロディーと歌詞を考えることのできるプロの作詞作曲家に依頼し、「売れる曲」を作ってもらい、それを歌うことのできる女子グループを特定し、可愛く歌わせるのである。つまり音楽ビジネスの台頭であり、お金儲けの手段として音楽をうまく活用するという図式が見えてくる。それ自体は決して悪いことではないことを、一言付け加えておきたい。市場にニーズがあるからこそ、それに応えるべく、マーケティングすることはむしろ当たり前のことなのだろう。しかしその結果、多くの若者が本当の意味での音楽の素晴らしさを味わうことなく、ただアイドルの存在に翻弄されているのではないかと、心配になる。

筆者の音楽人生は、本当に恵まれていたと思う。素晴らしい時代に生まれ育ったからこそ、小さい頃から演歌やポップスに触れ、ごく自然にロック、クラシックだけでなく、フォークソングやグループサウンズ、そしてクラシックロックとも言われる70年代に全盛期を迎えるロックの王道たる名曲の数々まで若き日に鑑賞し、今日まで至っている。音楽の裾野は広く深いが故に、未知のジャンルがまだ多く存在する。一生を通してバラエティーに富む素晴らしい名曲の数々に接することができたからこそ、今でもあらゆる音楽を鑑賞して楽しむ、という心の姿勢が自然に身に着いたようだ。

果たして今の若い人たちは、何をもって、音楽を楽しんでいるのだろうかと、ふと、考えることがある。「楽しけりゃ、いいじゃんか!」、「めっちゃ可愛ければいい!」という気持ちは、わからない訳ではない。でも、音楽の楽しみ方は、もっと色々とあるのに、とも思える。ちょうど自分が子供の頃、お寿司なら、いなり寿司と太巻きだ!と思い込んでいたように、その先に美味しいトロやウニ、かんぱちや鯛などがあることさえ知らずに食べる機会を逃していた時のようだ。今日、音楽業界の背景には、粗利の高いいなり寿司を、いかに美味しく見せて、それだけを売ろうとするかのごとく、巨大なマネーパワーが働いている。

音楽の世界は奥が深く、人の心を揺さぶり、動かし、多くの名曲と素晴らしい歌詞で満ちている。そこにはアーティストそれぞれの熱い思いが込められているからこそ、人々の心の中にいつまでも名曲は残っている。そのような音楽の醍醐味を、誰もが贅沢に楽しめる日が、いつの日か再び来るのだろうか。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部