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元貴乃花親方が語る相撲ユダヤ説の真相!
相撲という言葉のルーツは果たしてユダヤなのか?

11月27日に放映された日本テレビの情報番組「スッキリ」に元貴乃花親方の花田光司氏(46)が生出演して、唐突に「相撲って日本語じゃない。ヘブライ語なんです」、「相撲は当て字で、日本語じゃないんですね。もともとシュモーというヘブライ語なんですね」と語ったことが物議を醸し、多くの波紋を呼んでいます。元親方は、相撲道そのものが西アジアに由来する格闘技であることから、日本古来のスポーツや武道としてのみ捉えるのではなく、むしろ世界に開かれた格闘技として位置づけることも大事であることが言いたかったと考えられます。だからこそ、「これからの世界の思想に役立てばいい」と語り続けたのではないでしょうか。

元大横綱が突然、ヘブライ語の話をし始め、相撲のルーツは実は日本ではないような話をする訳ですから、世間が混乱してしまうのも無理はありません。そもそもヘブライ語とは何でしょうか。ヘブライ語はイスラエルの言語として、古代よりユダヤ人によって使われてきました。相撲という言葉がもしヘブライ語であるとするならば、日本の先祖がイスラエルの民族、すなわちユダヤ人とつながっていたことを示唆することになり、日ユ同祖論に準じた主張になります。日ユ同祖論とは、古代、日本人の先祖はイスラエルから渡来し、日本文化のルーツの源をつくりあげ、同じ祖先を持つという前提から、古代史を再考する説です。その説に基づいて、誰もが日本語と思っていた相撲という言葉が、実は外来語であったと元大横綱が主張するわけですから、内心、穏やかではありません。

多くのメディアは、この親方の発言をとりあげ、オカルト化を懸念しています。果たして、元貴乃花親方はオカルトに洗脳されてしまったのでしょうか。それとも、相撲がヘブライ語である、という主張には確かな根拠があるのでしょうか。相撲という言葉、そして、相撲で使われる「はっけよいのこった」というかけ声のルーツを調べていくと、意外な結論にたどりつきます。

「相撲」の歴史を調べると。。

相撲という国技が一般的なスポーツと違う点は、相撲が単なる力士同士の組合いよる戦いではなく、その背景には日本固有の宗教文化に結び付く神道の神事や祭りが存在するということです。それゆえ、他のスポーツには例を見ない宗教的儀式が至るところに絡み、武道、武芸という側面をも持つ神事の色が濃いスポーツです。全国各地の神社で執り行われるお祭りの中には、奉納相撲と呼ばれる神事も少なくありません。よって、相撲という言葉の語源をたどるには、神道がその背景に潜んでいることを忘れてはならないのです。

古事記や日本書紀には相撲の起源と考えられる記述がいくつか見られます。葦原中国平定の際には、武甕槌神(たけみかづち)と建御名方神(たけみなかた)が取っ組み合いをして、後者が武甕槌神の腕を掴んで投げようとした伝説が記されています。これが最も古い相撲の取り組みという説があります。その後、垂仁天皇の時代では、ある日、天皇ご自身が武勇者の対決を見ることを欲し、野見宿禰(のみすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)が天覧相撲に取り組んだことが日本書紀に記されています。これが最古の相撲と一般的には考えられています。弥生時代では相撲の取り組みは農耕儀礼としても取り入れられ、農作物の収穫を占う祭りとして、いつしか天皇家の年中行事余興として用いられるようになったと考えられています。そして平安時代では宮中行事のひとつとして、節会相撲(せちゑすまひ)が固有の格闘技として発達し、3世紀あまり続きました。

その後も相撲は武芸として独自の発展を遂げ、江戸時代では職業的要素を含む勧進相撲としても成り立つようになり、大相撲へと発展し、今日まで至っています。相撲は力比べの競技であることから、その表記としては力くらべの意味を持つ「角力」という漢字が使われるようにもなり、19世紀から20世紀初頭まで「すもう」の文字は、「角力」と表記されることもありました。

相撲の語源はヘブライ語か?

ではなぜ、1対1の取り組みを相撲(すもう)と呼ぶようになったのでしょうか。相撲という呼び方の由来は定かではありません。相撲の競技は、2人の力士が1対1で組み合い、土俵の外に出すか、相手を倒すかにより勝敗が決まることから、一説によると、力や技を争うことを意味する「すまふ(争う)」という言葉、もしくはその連用形である「すまひ」が変化して「すもう」になったと言われています。平安時代では、すでに知名抄の中に「相撲須末比」と記述され、古代では「すまひ」に近い発音で呼ばれていたと考えられていたことからしても、信ぴょう性は高まります。

その一般的な考え方に反して、元貴乃花親方が相撲という言葉はヘブライ語であると公言したからには、それなりの根拠があるはずです。早速検証してみましょう。親方は相撲という言葉は、「もともとシュモーというヘブライ語」であると断言しました。「シュモー」はヘブライ語でshumo、シュモー(Shumo,シュモー)と書きます。shem、シェム(shem,シェム)は名前を意味し、語尾にを付けると「彼の名前」という言葉になります。なぜ、「彼の名前」が相撲に関連するのでしょうか。その答えは旧約聖書から見出すことができます。

旧約聖書の創世記第32章には、イスラエル民族三大父祖のひとりであるヤコブが、天の御使いと夜明けまで、暗闇の中で取っ組み合いの格闘をしたことが書かれています。夜、川沿いに一人残されたヤコブは、突如として暗闇に現れた神の使いと組打ちをし、夜明けまで格闘したのです。そして神の使いはヤコブを打ち負かすことができず、力づくしで勝ったヤコブに、「イスラエル」という新しい名前を与えたのです。この格闘の結末こそ、イスラエルが神の選民であることの証であり、ヤコブは「わたしは顔と顔をあわせて神を見たが、なお生きている」と驚嘆したのです。それはイスラエル国家の始まりをも意味していました。

この一連のストーリーの中で、2人の格闘者は互いに「あなたの名は?」と名前を聞き合います。ヤコブは自らの名前を相手に語ると、神の使いはヤコブに対し「イスラエル」という新しい名前を告げました。ところが逆にヤコブが名前を聞くと、「なぜ私の名前を聞くのですか」言われただけで、答えを得ることができませんでした。その彼の名は、神に直結するものであり、神聖な名前であったことでしょう。ヤコブは決して「彼の名」を知ることができませんでした。しかし神の使いと格闘しても負けなかったことから、大きな祝福を受けたというのが話の流れです。その「彼の名」こそ、神の象徴であり、格闘に勝ったヤコブの一生の思い出となったのです。ヤコブにとって「シュモー」とは、まさに神の使いとの徹夜の取っ組み合いを意味していたことでしょう。

その「シュモー」という言葉はいつしか日本語では「スモー」と発音されるようになりました。イスラエル12部族の中でもエフライム族は、一説によると大陸より日本に渡来した主力の部族であったと言われています。そのエフライム族の言語の特徴は、「シュ」という言葉の発音がよくできず、「シュ」は「ス」と発音されていたことで知られています。エフライム族が多く渡来した日本では、その影響もあり、「シュモー」が「スモー」と発音されるようになったと推定されます。相撲がヘブライ語であるという説は、あながち、間違いではないようです。

「はっけよいのこった」はヘブライ語

相撲という言葉のルーツがヘブライ語であることを確信するには、「彼の名」が「シュモー」であるという説明だけでは、おそらく不十分でしょう。そこで、相撲で行司が大声で叫ぶ「はっけよいのこった」という言葉をヘブライ語で理解することができるか、検証することにしました。日本語では意味が不可解なこの言葉が、もし、ヘブライ語で意味をなすとするならば、相撲競技のルーツにイスラエルの歴史が絡んでいるという説に信ぴょう性が増してきます。

これまで「はっけよいのこった」がヘブライ語であると主張してきた方々の多くは、「日本の中のユダヤ」を執筆された川守田英二氏の説を引用しています。川守田氏によると、「はっけー」(HKH NKH)は、「汝撃つべし」、「よい」(IHI IHI)は「やっつけろ」、そして「のこった」(NKIT)は「汝撃ち破りぬ、相手を」を意味するとのことです。そして「のこった」と「はっけー」は同じ語根の「のけ」(NKA NKH)からでている、としています。ところがヘブライ語の訳文は記載していても、説明の内容が不可解であり、実際にヘブライ語と照合ができない言葉が多いことから、検証に困ってしまいます。よって川守田氏の主張を引用するだけで、「はっけよいのこった」がヘブライ語であると確信するのは、あまりに無謀であると言えそうです。

そこで、今一度、「はっけよいのこった」をヘブライ語で、ありのままの発音で読んでみました。すると、ごく普通に3つの言葉から形成されていることがわかりました。まず、「はっけ」は、ヘブライ語でhikah、ヒカ―(hikah、ヒカー)と書き、打つ、やっつけるを意味します。次に「よい」は、「私の神」を意味する、yohi、ヨヒ(yohi、ヨヒ)であると考えられます。この2つの言葉を組み合わせると、「はっけよい」、hikah-yohi、ヒカ―ヨヒ(hikah-yohi、ヒカーヨヒ)となり、その意味は「撃つことは聖なるかな」「撃ち破ることは神聖なり」という意味になります。発音も実際にヘブライ語で聞いてみると、頭の「ひ」と「は」はほぼ同じに聞こえ、「よひ」も「よい」の発音に酷似していることから「ヒカーヨヒ」は「はっけよい」のように聞こえます。続く「のこった」という言葉は、ヘブライ語の、nokahta、ノカッタ(nokahta,ノカッタ)と考えられます。その意味は、「問題ない」、「大丈夫」です。

「はっけよいのこった」の謎が解けてきたようです。ヘブライ語で解釈するならば、「撃ち破ることは神聖であり、問題なし!」という意味だったのです。よって、立ち合いの前にまず、「(相手を)撃ち破ることは神聖である!」と行司が宣言し、その直後に格闘が始まると、2人の力士に対して、「ノカッタ」「ノコッタ」、問題ない、まだまだ、大丈夫、と叫ぶのです。そしてどちらかが敗れるまで、まだ大丈夫、まだ土俵に残っている、問題ないぞ、とヘブライ語で叫び続けるのが、「ノカッタ」の意味だったのです。

「はっけよいのこった」は、ヘブライ語で「打ち勝つことは神聖なこと、問題なし!」と行司が断言し、どちらかが負けるまで、まだまだ大丈夫、戦えるぞ、とゲキを飛ばすヘブライ語だったと考えられます。これら一連の解釈は決して過大解釈ではなく、ヘブライ語に照らし合わせて検証していることから、誰でもヘブライ語の辞書で確認することができます。今日のデジタル時代においては、音声を伴う辞書機能を活用し、聞きながら確認することもできます。「はっけよいのこった」をhikah-yohi-nokahta、ヒカ―ヨヒ ノカッタと続けて発音すると、どのように聞こえるか、ヘブライ語の辞書を用いてwww.historyjp.comのサイトにて確認できるようにリンクが貼ってあります。(視聴https://www.historyjp.com/audio/hikah-yohi-nokahta.mp3)ぜひ、聞いてみてください。誰もが、お!まさに「はっけよいのこった!」に聞こえる、と納得されることでしょう。

元貴乃花親方がテレビで語られた、相撲、すなわちヘブライ語の「シュモー」説は、あながち間違いではないようです。意外にも、「はっけよいのこった」をあっさりとヘブライ語で理解するこができたのです。よって、相撲という言葉のルーツが、ヘブライ語を用いるイスラエルにあると想定しても、もはや何の不思議もありません。しかも相撲の儀式は神道の神事と深く結びついており、神道という日本古来の宗教もイスラエルにつながっている可能性が指摘されていることから、相撲の背景にはイスラエルの歴史が絡んでいると考えて良いのではないでしょうか。www.hisotryjp.comに掲載されている「日本とユダヤのハーモニー」を通じて、歴史の謎を、さらにひも解いていきます。

(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部