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コロナ新時代の到来!
猛威を振るうウィルスと共存する日本社会の行く末

新型コロナウィルスが世界で猛威を振るい、5月22日の時点では、世界の感染者数が500万人を超えました。死者数は33万人近くまでに増え、1日あたりの死者数は3,000人から5,000人という高水準が続いています。感染者数においては、最も多いアメリカが21日の時点で159万人まで膨れ上がり、ブラジルが33万人と2位に急浮上。そして3位にロシアが32万人と続きます。22日にはブラジルでの死者が1日に1,000人を超えたことが報告され、WHO世界保健機関は「南米が新たなる震源地になっている」と警鐘を鳴らしています。

アメリカの死者数は、22日午後7時の時点で94,150人まで達しています。それでもジョンズ・ホプキンス大学によると、人口に対する死者数は世界第8位であり、イギリスやカナダ、ベルギーの方が対人口比率においてはアメリカよりもさらに悪い状況となっています。民間リサーチ機関によると、アメリカでは21日までに1,340万件以上のウィルス検査が実施され、5月に入ってからは連日40万件前後の新規検査が行われています。それでも検査数は十分ではなく、連日最低50万件の検査が不可欠であるという指摘が大学の研究機関から提言されています。

アメリカにおける被害状況に比べ、日本では5月23日の時点で感染者数はおよそ17,200人、死者数も838人にとどめられ、人口に対する死者数もかなり低く抑えられています。しかしながら、アメリカが1日40万件のPCR検査を行っているのに対し、日本では5月末現在をもって、1日の検査数が3,000件にも満たないのです。この実態に首をかしげる人は、少なくないはずです。例えば、徳島県においては5月24日現在、県内に保有する医療機器では1日最大96件までの検査しか対応できません。実際のPCR検査数は10件前後にとどまり、1桁になることも少なくないのです。人口70万人を超える県であるにも関わらず、毎日7万人に対して一人しか検査しないのではPCR感染者が見つかるわけがありません。

この実態について徳島保健所の中川所長は、「当初は国の基準に沿って対象を絞っていた時期があった」と明言しています。そして「2月17日の国の通知で医師の総合的判断に基づくようにと基準が変わり、その後は柔軟に対応している」とのことです。そしてPCR検査には偽陰性という検査エラーもつきものであることから、検査よりも外出自粛に重きをおきながら、「検査の必要性は医師が判断する方がよい」という持論に終始しています。しかし、現実問題としてPCR検査を受けたくても拒否されている人が大勢いるだけでなく、来院を拒否され、医師から診断を受けることさえできない方も多く存在します。果たして日本におけるコロナ禍の実態を本当に理解した上での発言であるか、疑問が残ります。

感染者を把握するには検査が必要であることは言うまでもありません。検査数を増やすことにより、判定エラーが多少は生じるのはやむをえないとしても、新型コロナの感染者数の実態をより正確に把握することができます。PCR検査をしなければ感染者を特定することができず、たとえ感染者が存在したとしても、それを見逃すことになります。つまるところ、感染者数をゼロにしたければ、検査を行わなければいいのです。検査数を意図的に減少させることにより、実態よりも感染者数を少なく公表することができるということです。果たして日本は意図的に数値を低く公表するため、PCR検査数を制御してきたのでしょうか。

厚生労働省によると、PCR検査の処理数は、政府が掲げた1日2万件の目標に対して、潜在的には2万2千件(5月15日現在)まで可能とはするものの、実際に行われている検査数は8,000件どころか、その数は5月21日の時点で驚くことに3,000件を切っているようです。しかもその多くは再検査であり、新規にPCR検査を受けた人の数はその半分以下と想定されています。果たして、全国各地でPCR検査数は意図的に抑制されてきたのでしょうか。その背景には感染者数を抑えるためにあえて検査数をコントールし、早く収束の目途をたてたいという日本政府の方針が見え隠れしているようにも思えます。

アメリカ大使館からも警鐘が鳴らされる!

オリンピックをスポンサーする国家として、日本は世界に門戸を開いたイメージを保たなければならないと誰もが考えます。よって、中国の武漢で流行が確認された後でも、なかなか入国の制限に踏み切ることができませんでした。特に新型コロナウィルスが中国由来であり、せっかくここ数年、友好関係を築いてきただけに、そう簡単に中国のみを相手どり、入国を拒否することも強行できず、対応には二の足を踏むしかなったのです。そうこうしているうちに、ヨーロッパ、アメリカで一気に感染が拡大し、諸外国の多くが国境封鎖をするまでの事態に陥りました。その後、海外各国が実行したような国境の封鎖は、島国の日本にとってはハードルが高く考えられたことでしょう。

そして最も恐れていた、新型コロナウィルスの感染者が日本国内でも爆発的に増加する兆しが見えてきたのです。アメリカとヨーロッパ中心に新型コロナウィルスによる感染が一気に拡大する最中、それらの国々からの入国を封鎖せず、許していた日本は、そのあおりを直に受けてしまったのです。そして3月にはアメリカとヨーロッパにおいて医療崩壊が生じ、その悲惨な状況が日々、メディアのニュースやSNSを通じて世界中に発信されました。病院に患者が押し寄せ、それに対応しきれない医師や看護師の姿が映像で流され、院内感染も各地で発生し、医療崩壊の現実は極めて深刻なものとなったのです。日本における感染の爆発と医療崩壊は、国民の健康を害する最悪の事態となるだけでなく、さらには東京オリンピックのキャンセルをも意味したことから、何としてでも避けなければならなかったのです。

コロナ禍が世界的にパンデミック化する最中、それでも日本はオリンピックの開催国であることから、最先端の医療施設が整っているだけでなく、コロナによる医療崩壊を回避できたことを世界にアピールすることが重要視されたと推測されます。中でもICU(集中治療室)設備は、重篤な新型コロナ感染者の治療に不可欠です。ところが、日本では人口比に対するICUの数が、欧米諸国と比べても圧倒的に少なく、新型コロナの重症患者をICUで治療できるキャパシティーが大変不足していることがわかりました。ましてや専門医がICUを遠隔サポートしながら治療する「遠隔ICU」などは、日本全体でもまだ数十床しかないのです。これまで医療体制と医療保険制度は世界のトップレベルであったと自負してきた日本にとって、実は、盲点があちこちに隠されていたのです

そして東京オリンピックの直前、ICUが不足しているという医療体制の脆弱性があらわになってしまったことから、日本政府は何としても医療崩壊だけは回避し、コロナウィルスを封じ込めなければならない、という政治的決断を迫られたことでしょう。ICUが足りないために、重症患者に必要不可欠な治療を与えることができないようなことがあっては、オリンピック開催国のプライドに関わります。ましてや諸外国のように医療崩壊が現実となり。大勢の感染者が病院の床につくようにでもなったら、それこそ来年のオリンピックの話どころではありません。

その結果、不思議なことがおきました。日本では5月22日までに、合わせて27万件のPCR検査しか行われなかったのです。その数は5月末の時点でアメリカにおいて実施されている1日の検査数とほぼ同じであり、あまりに少ないことがメディアでも報道されています。特にアメリカを筆頭とする海外からの批判は厳しく、感染者数を少なくみせるための意図的な情報操作ではないか、とも指摘されているほどです。

4月初旬、日本国内における感染者数が1日200人近く増加していたことに注視し、アメリカ大使館は緊急メッセージを在日米国人に発信しました。最も大きな懸念は、以下の告知文に言い表されています。The Japanese Government’s decision to not test broadly makes it difficult to accurately assess the COVID-19 prevalence rate. 「日本政府による(コロナウィルス)検査を拡充して行わないという決定により、新型コロナウィルスの発症率を正確に把握することは困難になった。」

これは明らかに、日本政府が意図的に検査数を制限することに対して、苦言を呈している文章です。果たしてアメリカ大使館からの公的文書に記載されているように、本当に日本政府はPCR検査数を意図的に少なく抑えることにしたのでしょうか。いずれにしても、日本における医療システムの崩壊が懸念され、これまで受けてきたような医療を受けられなくなる可能性があることから、4月3日、アメリカ大使館は日本に在住する米国市民に対し、日本からの脱出を促したのです。

新型コロナ対策の原点となる2つの方針

国家が定める新型コロナウィルスの医療対策の政治的判断には、大きく分けて2つの方策があります。ひとつは、感染者をまず全員特定することを最優先とし、その数が何人であろうと、あらゆる手をつくして治療、治癒することを目論むことです。もう一つの手法は、医療崩壊を起こさないという大前提に基づき、医療対応が可能なぎりぎりのレベルで感染者数の発覚を制限し、あくまで医療体制ありきという範疇で、感染者の治療を行うというものです。

前者は諸外国が、ごく当たり前とする方策であり、あくまで2次感染、3次感染を抑えるため、感染者をすべて、できるだけ早く見つけ出し、全員隔離することを最重要視します。この危険性は、パンデミック化と社会秩序の崩壊にあります。大勢の感染した方々、感染可能性のある方々が一斉に病院に来てしまうと、一瞬にして医療崩壊が生じ、医療従事者が対応できなくなり、現場は大混乱に陥ってしまうのです。それでも厳しい現実を見据えたうえで、必要不可欠な処置をとるための最大限の努力をし続けるというアプローチです。多くの人は、4月の時点でアメリカのニューヨークから流れてくるニュースを筆頭に、各地でおきている医療崩壊の現実を日々、目の当たりにしてきたことでしょう。医療従事者にエールを送りたいものです。

それら医療崩壊に纏わるニュースの影響もあったのでしょうか。日本では、欧米諸国がとった方針とは異なり、後者の医療崩壊回避策が専門家の間でコンセンサスとなりました。それは医療現場の秩序を最重要視し、あくまで適切な医療を提供できる環境を維持しながら、新型コロナ感染者の治療を提供することを意味します。つまり医療を提供できるぎりぎりの線まで感染者を見つけ出し、早急に医療を提供することにより退院を急がせ、最低限の病床数の空きを維持しながら、医療崩壊を回避することが最優先されたのです。

聞こえはいいですが、実際には多くの感染者が治療を受けられないだけでなく、診察さえも拒否される厳しい現実を意味します。何故なら、一定のガイドラインに見合うレベルまで症状が悪化しなければ医療機関からは相手にしてもらえないからです。微熱が数日間続く程度では、自宅で様子見と言われるのが関の山です。そして保健所に電話してもなかなかつながらず、つながったとしても、濃厚接触があるとか、海外から帰国したばかりとかいう特殊事情がない限り、自宅で療養をお願いされるだけなのです。こうして我慢強い日本国民は、保健所に対して罵声を浴びせることもなく、言われるままに自宅で待機したのです。医療崩壊を回避する前提には、自宅にて忍耐強く待機するというまじめでかつ、おとなしい国民性があったのです。

国がとった方策は、感染者全員を特定することができないやり方ですので、一番大事なことは、「Stay Home!」、すなわち家から出ないでください、という行政からのお願いを徹底することです。家から出られると、感染が拡大する可能性があるからです。しかしながら、この方法では家庭内感染を助長することにもなりかねません。実際、家庭内感染が、感染ルートの大きな割合を占めた理由がそこにあります。言い方を変えれば、医療崩壊を避けるため、複数の第3者に感染させるのではなく、家庭内1か所に封じ込めておきたいという方針の現れです。

新型コロナに感染しても8割程度は症状が出ず、自然に治癒してしまうことから、家で待機している間に自然治癒する方々も多くいるようです。よって、家で過ごしているうちにいつの間にか治ってしまう、というシナリオに期待しつつ、国は検査基準のハードルを上げてまで、医療崩壊を避けることを最優先して取り組んできたのです。その結果として時には自宅での孤独死であり、また、家庭内感染にもつながります。それでも医療崩壊を回避するためには仕方がないことという割り切りがありました。安倍首相が答弁において頻繁に語っていた「専門家の意見」とは、すべて医療崩壊を回避しながら医療を提供するという大前提に則ったアドバイスだったのです。幸いにもこれまで、自宅待機中に感染が原因で亡くなられた方はわずかであり、最悪の事態は回避したように見受けられます。

日本では新型コロナウィルスによる感染者を全員特定することよりも、感染者数の急増を起因とする医療崩壊を回避するためにPCR検査数を意図的に抑え込み、医療現場の逼迫状況とのバランスを見ながら検査数をコントロールして、感染者の発覚数を制限するという方策がとられました。この方針に反対する専門家は特に海外では多いようですが、見解の相違であり、文化的な背景にも絡んでいるようです。その結果、今日、日本の行政機関が公示する感染者数とは、厳密な意味では感染者総数ではなく、感染の発覚者数です。検査しなければ感染者数はゼロになってしまう、というのが、感染発覚者数の原点です。よって非常事態宣言を首都圏においても解除されることになりました。その前提となる新規感染者の数とは、単に新規発覚者の数であり、感染者の数としてはあまりあてになりません。それをよしとするかどうかが問われています。

PCR検査が日本で進まない理由

日本では、専門家の意見を重要視し、医療崩壊だけは回避しなければならないとう前提で、保健所と医師の判断がなければPCR検査を受けることができない、というルールが作られました。たとえ新型コロナウィルスに感染していても、明確な症状がなければPCR検査を受けることさえ難しくしてしまったのです。また、微熱や下痢の症状が続いても、現実問題として医師が診察を断るような事例が後を絶ちません。

一般の個人病院が院内感染を嫌うあまり、診察を拒否することは想像に難くありません。しかも何をもって必要か、不要か、という判断基準が曖昧であり、責任問題にもなることから、そう簡単にはPCR検査の承認を得ることができないのが現状です。結果として受診者がたらい回しにされ、その間、症状が悪化するという事例が後を絶たないのです。その結果、海外と比較しても検査件数が圧倒的に少なく、検査体制の強化が望まれます。

5月下旬の時点では、新型コロナウィルス感染の有無を確認するための、PCR検査の拠点となる「PCRセンター」は東京都で29か所、全国では合わせて110か所になりました。これら「PCRセンター」は各自治体が地元医師会との協力のもとに整備した施設です。しかしながら、以前と同様に、あくまでかかりつけ医の判断と紹介があることが前提となっていることから、ハードルが高いのです

そもそも医師が院内感染を恐れるあまり新型コロナ感染の疑いがある人を診察しない事例が後を絶たず、PCR検査の判断基準も暗黙のうちにハードルが上がってしまっていることから、「PCRセンター」に紹介される利用者の数は必然的に限られてしまい、当初の検査拡充という目的には程遠い状況が続いています。しかも検査を受けた人から採取した検体はすぐに分析されるのではなく、そこからいったん地方衛生研究所や民間機関に委託することが多いため、結果が出るまで時間がかかってしまいます。検査希望者はだれでもPCR検査をすぐに受け、その結果を数時間後に知る体制は、いつ実現するのでしょうか。

本来は、海外諸国のように、PCR検査の窓口を民間企業、その他行政機関が一斉に取り組みながら、官民一体となって検査数を増やすことが望ましかったのではないでしょうか。しかしながら、あくまで日本は、医療崩壊を防ぎながら、その中で適正な医療を国民に対して提供する、というポリシーが専門家のコンセンサスであったことから、患者数を抑制するしかなかったのでしょう。PCR検査における検体採取には、さまざまな制約と必要不可欠な安全対策の強化が問われることから、簡単に急増させることができません。だからこそ、行政は民間企業を縛るのではなく、協力体制を当初から敷くべきだったのです。

もはや時間がありません。民間が参入できない行政のハードルは撤廃し、2次感染に細心の注意が払いながら、開かれた社会の中で、誰もがPCR検査を必要と思う時に受けることができるシステムを構築するべきです。他国のように、海外から入国する際は、PCR検査を義務づけるような施策も検討課題として議論するべきでしょう。いずれにしても、保健所を通してまず連絡をする、という仕組みは機能しないことは明白であり、保健所が単なるマニュアル対応に終始していること自体、時間の無駄です。PCR検査を受けるためには、海外に行っていましたとか、濃厚接触がありましたとか、とにかくマニュアルに書いてあるような内容にそって虚偽の発言をしないと次のステップにいけない、というような愚かな状況から脱皮する時がきました。

緊急事態宣言解除後の新コロナ時代

海外からの批判を日本政府は甘んじて受けながらも、新型コロナウィルスへの対策を地方自治体の協力のもと、積極的に実践しながら、日本国内では非常事態宣言後、感染者数を抑えることができました。政府が掲げた基準は下記のとおりです。非常事態宣言の解除目安:「直近1週間の10万人当たりの感染者が0.5人程度以下」そのうえで、1.感染状況 2.医療提供体制 3.PCR検査などの監視体制を精査して決めます。その結果、5月14日には39県において緊急事態宣言が解除され、続いて5月21日、関西3府県においても解除されることになりました。そして25日には首都圏においても解除されることが決定されました。

しかしながら、「都内の感染者数は抑えられつつあるものの、保健所に受診相談をする件数などは依然として多い」のが実情です。しかも前述したとおり、これまでの緊急事態宣言の解除を決める根拠となる本当の意味での感染者数の減少が事実であるかどうかは定かではないのです。ごく少数のPCR検査の結果だけをみて、なぜかしら行政は緊急事態宣言解除を急いでいるようにも見えます。

例えば首都圏においても感染の不安はいまだに払拭されていません。21日には栃木県宇都宮のスーパーで集団感染が発生し、心配するあまり、多くの市民から市に問い合わせが寄せられています。いつ、どこで、だれが感染するかわからないのが新型コロナの実態です。日本に限らず、世界全体がコロナ禍の直撃を受けて多くの感染者と死者数の増加が報告され、世界的に社会情勢は悪化の一途を辿っている今、日本も油断はできないのです。

自粛期間中、人気のない寂しい羽田空港
自粛期間中、人気のない寂しい羽田空港
当初の予想をはるかに超えた新型コロナによる悪影響は、私たちのライフスタイルを一変させました。感染拡大を防ぐためには「密閉・密集・密接」の3密を避けて、新しいライフスタイルへの適応が不可欠となります。そして多くの人々が人との接触を避けるために家にこもり、「巣ごもり」という言葉まで流行するようになったのです。今や、人類はこのウィルスと共存しなければならない運命となりました。新しいコロナ時代の到来です。

コロナ禍の猛威は人々の生命を脅かしているだけでなく、世界経済にも大きな打撃を与え、まさに1930年代の世界恐慌を彷彿させる事態となっています。その結果、日本の経済界にも激震が走り、5月15に日にはアパレル大手のレナウンが、新型コロナウィルスの感染拡大に伴う大幅な販売減から経営破綻し、東京地裁から民事再生手続き開始の決定を受けました。大手企業だけでなく、多くの中小企業においても業績の悪化による経営破綻は、もはや免れません。東京商工リサーチによると、5月19日の時点で新型コロナの影響が原因とされる経営破綻は、既に150社を超えています。その数は、今後、急速に増えていくことが想定されています。

いまだに世界中で多くの人が感染し、生命の危機に直面している最中、それでも先進国諸国では経済活動の再開を重視するあまり、再び感染が拡大するリスクを承知の上で、矢継ぎ早に緊急事態の解除が宣言されています。しかしながら、新型コロナウィルスによる感染第2波がくることは間違いなく、一時も油断は許されません。日本社会全体が、そして一人ひとりが新型コロナに立ち向かい、その攻撃から身を守るためにしっかりと予防線を張って、新規感染を抑えなければなりません。

コロナ新時代、悪いことばかりではない

移動自粛要請により空港でも検温が実施される!
移動自粛要請により空港でも検温が実施される!
令和2年4月7日、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく「緊急事態宣言」が出され、新型コロナウィルス感染拡大防止のための措置がとられることとなりました。そして16日には対象地域が全国に拡大され、不要不急の外出自粛が要請され、都道府県をまたぐ移動自粛も強く求められたのです。法的な強制力は乏しい緊急事態宣言であるにも関わらず、諸外国でのパンデミック化による大混乱、大量の死者数増加に関するニュースを日々耳にした日本国民は、ほぼ自主的にその非常事態宣言に従って多くの人が家に「巣ごもり」するようになりました。まさに一世一代、ライフスタイルの大革命がおきたのです。

確かに慣れない巣ごもりは短期間ならまだしも、時間が経つにつれて徐々に我慢の限界となり、欲求不満の爆発寸前に陥った人たちも少なからずいたことでしょう。それでも、新コロナ時代がもたらした巣ごもりによる社会への影響は、決して悪いことばかりではありませんでした。

移動自粛要請の結果、無人駅となった京都!
移動自粛要請の結果、無人駅となった京都!
海外でも話題になっていますが、まず、一番良かったことは家族と過ごす時間が増えたことです。これまで皆が忙しくし、一緒に食事するどころか、話す時間さえなかった家族が、同じ屋根の下で共に時間を過ごすことになったということは、多くの家庭にとってまさに、青天の霹靂とも言えるできごとでした。そして当初はお互い、一種の違和感があるものの、段々と慣れ始め、いつしか一緒に食べたり飲んだり、話したり、時には遊んだりしながら、本来あるべき家族的な愛情が育まれていくようになったのです。無論、報道されているように諸外国を含め、唐突な同居生活の始まりという精神的なプレッシャーもあり、DV(家庭内暴力)が急増していることは残念であり、何とか回避する方法を考えたいものです。それでも、多くの家庭が本来のあるべき暖かい「ホーム」の姿を取り戻す機会を得ることができたのが、新コロナ時代の大きなメリットと言えるでしょう。

筆者一人の乗客だけで走る路線バス
筆者一人の乗客だけで走る路線バス
新コロナ時代の利点はまだあります。多くの方々が気づかれたように、空が澄み切って空気がきれいになったことです。多くの工場が操業を停止し、排出されるばい煙も一時止まっていただけでなく、車の交通量が激減したことから空気が浄化されたのです。しかも、交通量が激減したことから、交通事故による死亡者も急減しました。それもそのはずです。不要不急の外出を避けている訳ですから、交通事故にあうはずがないのです。加えて空飛ぶ飛行機の数も半減以下となり、国際線に限ってはほぼ、皆無になりました。実際、仕事のためにJAL便で国内を移動した際も、航空会社に申し訳ないくらい、プライベート・ジェット状態のほぼ無人状態。コロナ感染の心配もなく、のびのびと搭乗できました。また、長距離路線バスに乗った際も、筆者一人が乗客という体験もあり、不思議な思いにかられます。新幹線の自由席も乗車率がゼロに近く、どこでも自由に座れ、首都高を車で運転しても渋滞は皆無で、いつもガラガラ。都内で時折電車に乗ることがあっても必ずソーシャルディスタンスを保って座ることができるので、交通に関してはいいことづくめです。

欠航便が相次ぐ国内線
欠航便が相次ぐ国内線
筆者が個人的に最も注目している点は、夜が早くなったことです。何しろ、非常事態宣言下では都会でもほとんどのレストランが閉店し、たとえ開いていたとしいても、ラストオーダーが7時、夜の8時には閉店することが自主的にほぼ、実行されたのです。これは、外食をしながら生きている筆者の生活を大きく変えることとなりました。それまでは夜の8~9時頃に外食し、その後は違う店でいっぱい飲みながら仕事を夜半まで続けるというライフスタイルが当たり前になっていました。それがすべて前倒しとなり、7時までに店に駆け込み、8時までには食事を終え、そのあとは家に帰るしかない!という久々の少年時代のライフスタイルに戻ったのです。そのため、朝は前倒しで早く起きるようになり、自分のすることなすこと、すべて2~3時間は前倒しで実行するようになりました。実はこれが、健康にいいのです。夜、ワインを飲みながら遅くまで仕事をするのではなく、早く寝る!そして朝、早く起きてさっと気持ちを切り替えて、仕事にとりかかる!これがまさに、健康生活の秘訣ではないかと実感するこの頃です。

さらにもうひとつ重要なコロナ新時代の利点は、自分が本当にやってみたかった趣味や芸の練習に時間を費やすモーチベーションが与えられたことです。筆者は20代前半まではプロのギタリストを目指して練習を重ね、バンド活動をしていましたが、その後は社会人として歩み始め、いつしかギターなど触ることがない日々が続きました。そしてふと気が付くと、あっという間に30年あまりの年月が経ち、その間、ほぼ、ギターに触る日がないだけでなく、せっかくレコーディングまでしてきた作品もすべて、氷河時代下のように凍結してしまったのです。その氷を溶かすべく、巣ごもり活動が始まった矢先、長い年月を経て再びギターを弾く情熱が芽生えてきました。いつまで続くかわかりませんが、この原稿を書いている時点では、暇さえみつけては家でギターを手にして練習をしています。悪いことばかりじゃないコロナ新時代!考え方を変えることによって、人生をより豊かに楽しめる新時代の到来です。

新型コロナに纏わる醜いお金の話

日本の病院は、コロナにより経営が悪化しています。病院側は2次感染を避けながら新型コロナ感染者を受け入れるため、病床のレイアウトを変更して感染者は一人一部屋というルールを徹底しなければならないのです。その結果、入院患者用のベッド数が激減し、他の病気による入院患者を減らさざるを得ないことなどが、減収の要因としてあげられています。また、院内感染を恐れるあまり、ごく一般的な生活習慣病に関連した受診を避ける人が増えたことも一因となっています。

また、新型コロナという特殊事情に対して、国から即刻、十分な補助金や支援策が出ないことも、スピード感のない日本行政の特色です。5月の中旬時点でも政府は即対応をすることができずにいます。例えば経営に窮している大学病院に対しても、安倍晋三首相は「大学病院をしっかり維持できるようにしたい。国を挙げて守る」と述べるだけにとどまり、具体的な施策についての言及が伴わない答弁が目につきます。行政の積極的、かつスピーディーな施策が期待されます。

日本では感染者数の発覚を抑えて医療崩壊を回避してきましたが、アメリカではそれとはまったく逆の現象が起きています。つまり、感染者数が実態よりも多く報告され、それに伴う死者数も、過大に報告されていることが懸念されています。そんなことがあるのでしょうか。アメリカの医療事情と行政支援の絡みを理解すると、その背景には巨大なお金の動きがあり、その流れに従って医療機関が運営されていることから、実際に数字が過大報告されている理由が見えてきます。

筆者は1980年代後半、アメリカにおいて病院経営に関わる仕事をしていました。その時、耳にして学んだことを今でも忘れていません。アメリカの病院の多くは私営であり、互いに収益を競い合っています。そして行政機関から、いかにしてより多くの援助を受けることができるかが病院経営の成功のカギであり、病院全体の評価に結び付くのです。大変醜い話ですが、アメリカの医療において一番お金になる仕事のひとつに、複雑な外科手術を伴う大事故があげられています。その被害者を受け入れる設備がある病院が潤うことから、大事故があるたびに、地域ごとに重症患者の取り合いにもなっていました。そのため、ICU(集中治療室)の設置は不可欠であり、重篤な患者を何時でも受け入れることができる体制をアピールすることは当たり前のことだったのです。それが日本の台所事情とは違い、アメリカにおいてICUがより充実している要因のひとつです。

今回の新型コロナ禍は、またしてもアメリカの社会を大きく狂わせてしまいました。ことの発端は、新型コロナが流行した時点で、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)が、医療者向けのガイドに発表した内容にありました。そこには、患者が亡くなられた場合、その死因として単に可能性(probable)がある、または推定(presumed)されるだけで、新型コロナによるものとしてよいというルールが記載されていました。その結果、いつの間にか、肺炎やその他、新型コロナに類似した症状があったり、家族に感染者がいた場合、コロナを死因と書くことは致し方ない、というような暗黙の了解やプレッシャーが医師にかかるようになったのです。そのため、アメリカでは実際の患者数や死者数よりも過大に報告されていると、多くの医師が証言し、メディアにて報道されています。

その理由は病院経営に関わる巨額な資金の流れにあります。アメリカにはメディケアと呼ばれる高齢者や障害者向け作られた公的医療保険制度があります。そして新型ウィルス基金(Coronavirus Aid)など、政府が定めた支援のガイドラインにより、そのメディケアを通して新型コロナの患者を受け入れた医療施設に対しては2割増しの補助金が支払われるようになったのです。その結果、病院に対しては新型コロナの患者を受け入れるだけで一人あたり13000ドル(約140万円)、また、治療の際にICU(集中治療室)が用いられた場合は、その3倍の39000ドル(約420万円)が支払われる仕組みが公示されたのです。

多くの病院は経営状態が芳しくなかったこともあり、政府が主導する新型コロナ関連の補助金策は、またとない朗報と受け止められたことでしょう。新型コロナ感染者を受け入れることにより、病院の収支を改善することができるのです。そのため、新型コロナ感染者ではない他の病気の患者も、新型コロナ感染者として受け入れるような事例が後を絶たないようです。その結果、新型コロナではないのに、そのまま間違った治療を施して症状が悪化し、時には死亡するような事例があったとメディアは報じています。また、ICUに重篤な患者を受け入れることは、補助金が3倍になるだけでなく、患者が早く亡くなれば病床が再び次の重篤感染者のために用いることができることから、ICUの回転、すなわち使いまわし方にも複雑な要素がつきまといます。より重篤な感染者を受け入れることが得策にも思えてしまうのではないでしょうか。

無論、多くの医師は虚偽の報告をすることをためらい、拒否することでしょう。そしてほとんどの報告は正しいものと信じたいのです。しかし病院を経営するのは医師ではなく、病院の運営会社であり、医師はその運命共同体の一部です。そして大型病院の背後には、その母体となる巨大企業が存在します。よって、疑わしきは「コロナと断定」というような曖昧なルールであれば、従わざるをえなかったのではないでしょうか。

この話と、医療従事者の献身的な働きは、全く別次元の話です。医療の現場では真摯に医療に取り組み、命の危険まで冒して日々、全力で取り組んでいる医療従事者が存在し、賞賛に値します。しかしながらアメリカのような大きな資本が背後に動くような病院経営においては、時には知らぬ間に、巨額の資金の流れが生じ、その流れに乗らなければ病院経営に支障をきたすというようなジレンマがある、ということを知るだけでも、「フェイクニュース」の存在に気づきます。

つまるところ、日本国が発表する日々の感染者数は「フェイクニュース」です。あくまでそれは、感染確認者数であり、検査数により左右される数値です。と同時に、アメリカが発表する感染者数、死者数も「フェイクニュース」です。今日まで大幅にふかされた数字が流布されています。実際、新型コロナに感染した人、そして死者数は、もっと低い数字になります。「フェイクニュース」には、気を付けたいものです。

また、新型コロナの治療薬としては抗マラリヤ薬のヒドロキシクロロキンが、新型コロナウィルスの抑制作用があることが臨床試験からも確認され、諸外国の医療機関においてもそのポジティブな効果について、多くの情報が共有されています。5月現在、もっとも抑制作用がある薬剤であると多くの医療関係者が証言しているにも関わらず、なぜ、アメリカではなかなかヒドロキシクロロキンの活用が認められず、日本でもさほど話題にならないのでしょうか。それはヒドロキシクロロキンという薬は1950年代に開発されたとても古い薬であり、製造コストは50円もかからず、実際、1錠あたり400円少々で販売される安価な薬だからです。

安価な薬が効果ありとみとめられれば、製薬会社が新規の薬を開発して利潤をあげる妨げになります。製薬会社が行政と密接な関係をもっていることは、周知の事実です。そして日本やアメリカでは、その深い関係の背後に多額の資金が動いていることが知られています。よって、いつのまにか行政指導の元、闇雲に新規の薬剤開発が支援されるような風潮となり、感染者には安価で最適な薬が時には行き届きにくくなってしまうのです。医療の背景には、こうしていつの日も、行政に絡む醜いお金の話がつきまといます。それでも行政の指導に従うことが、医療業界で生き残る唯一の道であるだけに、誰も声をあげることができません。

賞賛と疑問視に分かれる世界の評価

新型コロナウィルスの拡散を抑え込むことにとりあえず成功し、1か月半という短期間で緊急事態宣言を全国的に解除した日本に対して、世界中のメディアは戸惑いを隠せないようです。それもそのはずです。何ら法的拘束力がない「自粛要請」と「Stay Home!」という行政からのお願いだけを頼りに、国民が自主的に従うことを期待する、というような一見生ぬるい対策は、世界で例がなく、到底成功する見込みがないように思えるからです。しかも日本が公表する感染者数は、感染確認者数であり、実際に行われている検査数はあまりにも少ないことからフェイクニュースではないかという指摘もあるくらいです。

実際はもっと感染者がいるのでは、それを隠しているのでは?それらの人が自粛要請に従って家にこもることにより、家庭内感染が広がるのでは?そしてこれらベールに包まれた現実がいつしか、大勢の死者数となって表れるはずであると多くの専門家が指摘しているにも関わらず、どうもその気配はいっこうに見えてきません。そして死者数の急増などないどころか、感染者数もどうやら本当に減少している傾向が数字で表されてきているのです。

新型コロナ感染症による日本の死者数は、人口10万人あたりおよそ0.6人です。対するイタリアやスペインはその100倍となる5-60人となっています。また、日本だけでなく韓国や台湾でも、人口10万人あたりの死者数は0.5人以下と、大変低く抑えられていることも世界が注目しています。なぜ、そういう現象が日本でおきているのかが不明のため、世界のメディアはそれを「ミステリー!」「謎!」「不思議!」という言葉を使って表現しています。いずれにしても、結果としてこれまでの行政対策と自主的な外出の自粛要請が功を奏したことに違いはなく、その点においては、各国が賞賛のコメントを報道しています。

日本が新型コロナウィルスによる社会崩壊から免れた要因として、いくつかの可能性が指摘されています。最も信憑性が高い要因は、そもそも日本はマスクをつけることに何ら抵抗がない、マスクOK社会だったということです。風邪をひけばマスクをつけるという習慣があることから、国民みんながマスクをつけることに何ら違和感はなく、それを即座に実行することにより、新型コロナウィルスだけでなく、これまで毎年の流行が常であったインフルエンザに対しても、感染を防いできたのです。当初はマスクの数が不足し、全員に行き渡らなかったのですが、その数が十分に満たされるようになってからは、一気に収束へとむかったように見受けられます。

週末の京都四条通りも人影がない。。。
週末の京都四条通りも人影がない。。。
また、感染拡大の当初から、「三密」に対する警告が行政を通じてひたすら発信され、その教えを国民が真摯に受け止め、実行しようという気運が生じたことも見逃せません。これが、他の国がなかなか真似できないことなのです。アメリカを筆頭に欧米諸国はソーシャルディスタンス、すなわち、他人との距離をとることにのみ重きを置いているようでしたが、日本ではそれは当然のこととして、「密閉」「密集」「密接」のすべてが「だめ!」と強く国民に語りかけたのです。空気の悪い狭い空間に行くな!大勢の人と集まるな!そもそも隣人と接するな!という何とも言い難い、アンチ・ソーシャルを醸し出すコメントを、繰り返していたのです。それを愚直に守り抜いた日本人の底力こそ、これまでの成果の背後に潜む真の理由だったのかもしれません。

医学的には、血栓に関する専門家の意見が増えてきています。新型コロナウィルスに感染した症例から、脳梗塞などの血栓症が発生した事例が多くみられたことから、当初から感染症により、リスクが高まることが懸念されていました。しかし実際には、人種的に血栓症にかかりやすいグループが新型コロナウィルスに感染して死亡する率が高いのではという学説が発表されています。例えば、日本人や他のアジア諸国の静脈血栓塞栓症(VTE)の発症リスクは、欧米諸国と比べてかなり低く抑えられていることが医学会では報告されています。同様に肺塞栓症(PE)の発症頻度も極めて低いのです。また、発症率が低いだけでなく、日本人と他の人種の死亡率を比較すると、日本の方が白人系や黒人系の人種の方々よりも低いことがわかっています。よって、血栓症にかかりにくい体質の日本人は、もしかするとコロナウィルスから守られているのかもしれません。

血栓症に関連して、肥満の問題も新型コロナウィルスの感染に関わっている可能性があります。肺塞栓症(PE)のリスク因子としては、以前からBMI値が25以上の肥満や癌、長期臥床などがあげられています。従来、日本ではBMIが30を超える割合は2-3%程度であり、平均値は24以下になっており、中国や韓国も24前後を維持しています。それに比べ、欧米諸国のBMI平均値は26から29とかなり高くなっています。肥満の問題がより大きい欧米諸国では肺疾患をおこしやすい傾向があり、結果として新型コロナウィルス感染のリスクと死亡率も日本と比較すると、かなり高くなっているという可能性があります。

その他、インフルエンザワクチンの接種率が他の先進諸国と比べて低いことや、幼い時にBCG接種を受けていることなど、さまざまな憶測が飛び交います。アメリカの米軍で一気に新型コロナウィルスが蔓延したのは、兵役につく人々がみんな、インフルエンザのワクチンを受けたからではないかと囁かれています。日本では65歳以上の高齢者がインフルエンザのワクチンを定期接種することが進められていますが、それでも接種率は50%前後にとどまっています。そして若年層になるとずっと低くなるのです。よって、ワクチンを接種された高齢者の方々が新型コロナウィルスに感染しやすくなっている可能性があります。日本には以前からワクチン接種を嫌う風潮があり、自らの選択によって接種を受けない人が欧米諸国よりも多いと言われています。それが功を奏して、この度のコロナ禍から多くの日本人を守っているのでしょうか。今後のさらなるリサーチとデータの検証が望まれます。

東京オリンピックから見据える日本人の心

5月20日、国際オリンピック委員会のバッハ会長は、来年、2021年に開催できなければ中止するとの意向を示しました。冬季と夏季オリンピックを同じ年に開催することができるわけでもなく、歴史的に4年ごとに続いてきたオリンピックの開催をこれ以上、延期できるはずもなく、季節を変更することは各国の主要スポーツイベントのスケジュールとぶつかることから、そのような決断に至ることは事前にわかっていました。最終的な開催是非の判断は2020年10月まで行われるという判断がIOC国際オリンピック委員会によって示され、それまでにワクチンが世界的に行き渡っていることが重要な指標となりました。2021年、無事に東京オリンピックを開催するためには、ワクチンを全世界に供給し、コロナ禍を終焉させることが不可欠になったのです。

ワクチンは体の免疫反応を引き起こし、人為的に免疫を持つ人を増やすことができることから、新型コロナ対策には不可欠な要素として、今、世界中の研究機関が開発に努め、国内製薬各社もワクチンと治療薬の開発を急いでいます。昨今、DNAとRNAなどの遺伝物質を操作、集合させるやり方で体に投与して免疫力を検証するウィルスのリサーチは、その培養方法も含めて急速に進化し、ワクチン開発技術が著しい進化を遂げました。それでも通常5年はかかるとも言われる開発にかかる期間を、ものの1年、半年で終わらせることができるか、現時点では不明です。

しかしながら、ワクチンの臨床試験には膨大なコストがかかり、リサーチ全体のプロセスには長い年月がかかります。しかも結果として失敗するリスクが極めて高いのです。ワクチンの研究開発予算は2018年、日本では560億円かけられたのに対し、中国では5600億円、アメリカでは8000億円と、桁が違います。新型コロナによる経済損失は、一説によると500兆円とも言われています。その500分の1を予算につぎ込んだとしても、1兆円にしかなりません。今こそ、国家が主導してウィルス関連のプロジェクトを国家予算に盛り込み、政府機関を総動員して民間企業を巻き込みながら支援する必要があります。そもそもワクチン接種に対して前向きな意識が低い日本社会では、その重要性に対して再認識できるような社会的教育プログラムも不可欠でしょう。

日本は官民一体となって東京オリンピックの企画運営に取り組んできただけに、何としてでも来年の開催に向かって、コロナ騒動の終焉を願っているところです。そのためには、まず、日本国内で感染者数と死者数を完全に抑え込み、コロナ禍を収束させることが不可欠です。しかしながら海外ではコロナ禍の収束の目途がなかなか付かず、コロナ禍のパンデミック化に焦りがつのります。新型コロナの影響が完全に払しょくされない限り、開催は難しいという姿勢が根底にあることから、IOCによる最終決定が10月頃に行われるまで、引き続き官民一体となって新型コロナ対策に没頭しなければなりません。

猛威を振るう新型コロナウィルスとの闘いには、何としてでも勝利しなければなりません。東京オリンピックは日本のプライドをかけた国をあげての祭典であることからしても、新型コロナウィルス対策に関わる行政機関と多くの政治家、そして東京オリンピックの基点となる東京都をリードする東京都知事の思惑と苦労は、察するにあまりがあります。2021年、東京オリンピックが開催される可能性は日増しに低くなってきていますが、世界の模範となるような先進的な対策を講じながら、日本ならではの心の豊かさを全世界にアピールし続けていきたいものです。

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(文・中島尚彦)

© 日本シティジャーナル編集部