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第86回 自分の健康は自分で守る
人は皆、生かされて生きている

私はかつて、北アルプスのふもと、安曇(あずみ)地方高瀬川のほとりに建つ安曇病院に、東京から土曜・日曜にかけてボランティアに出かけていました。もう二十年近く時を経たでしょうか。

『南ヴェトナム戦争従軍記』(岩波書店発行)の著者である有名な方とチーム(グループ)で参加しました。その前に、次のような勉強会、申し合わせを充分に繰り返しました。

私たちのグループは、看護師さん、鍼灸師、按摩・マッサージ師、時々参加する医師、加えて特筆すべきは子育てが終わった年齢の婦人達です。皆それぞれ一定の生活体験を経た人々です。

申し合わせとは“治療や介護をしてやる”ではなく、共に生きているのですから、いろいろと勉強をさせて戴くという思いで、心に傷を持つ方々と同じ目線で接しましょう、ということでした。これにはこの病院に勤めていた医師や看護師、ケースワーカーの方々に大変喜んで頂きましたが、最初は怪訝な顔や態度でした。

入院されていた方々も、同じように私たちの動きを注意深く眺めていました。しかし、私達の真剣な姿に、次第に打ち溶け合うようになりました。病院医療関係者と私たちとが打ち溶けて、病院の空氣が(やわ)らかくなったことは言うに及びません。ボランティアの都合から五年程で止めることになりましたが、この時は共に目から熱いものが流れたものです。

そうそう、ボランティアの仕事について、記しましょう。二、三人でグループをつくり、病院の外に散歩に出かけ、野草(レンゲやタンポポ)を摘んだりして、三、四十分歩いて帰院します。当時の病院は薬と食事のとき以外はベッドに横になっていることが多かったのです。アウトドアの晴れた空氣はきっと快いことでしたでしょう。入院されている人の半数以上は不眠症を訴えています。鍼やマッサージの治療もしました。大きなバケツにお湯を注ぎ、足洗いもしました。これらはほとんど好評でした。それと(もち)つきもしました。皆、入院する前は普通の生活をしていたので、文字通り昔とった(きね)柄で、生き生きとした表情が印象的でした。

私たちボランティアは一銭も金品を受けとりません。それどころかピアノを贈ったり、単行本や写真集、雑誌を持ちより、小さな図書室ができました。人は皆、生かされて生きていることを、また最後にもう一度記して筆を置きます。

(一本堂横山鍼灸療院長 横山瑞生)

横山 瑞生(よこやま ずいしょう)

横山 瑞生(よこやま ずいしょう)
  • 1939年、茨城県常陸大宮市生まれ。

大塚敦節氏に漢方を、小川晴通氏に鍼灸を師事し、東京医療専門学校卒業後半年で母校の講師となる。中国医学研究会設立に参画、日中医療普及協会会長、東京都日中友好協会常任理事等、日中の友好関係へ尽力。

現在、一本堂横山鍼灸療院院長、東京医科大学にてホリスティック医学を講義中。「カラー版鍼灸解剖図」「アレルギーはツボで治る」など著書多数。

  • 診療所:東京都新宿区本塩町10 四谷エースビル101
  • お問合せ:03-3359-6693

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