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ヨット

海の上では日頃街中でほとんど意識することのない風の強さ、風の向き、雲の流れに意識が向きます。何一つ遮る物のない海の真中で、なぜか風は一様に吹いていません。あるときは強く、そして次の瞬間ふと弱まり、次に吹いてくる方向は前回よりも東側へ5度風向きが変るといった具合です。ヨットのレースにはこの強い風をいかに誰よりも先に掴むか、風の振れをいかに相手に有利な位置で受けることができるか、ということが一番大事です。風の強弱もなく、風向きも全く変化しないという状態は自然界では皆無に近く、必ず変化が発生しています。ヨットレースに強い人はレースの始まる前から、天気図をながめ今日の風の変化はどうか予想し、実際の状況を確認しこの先どう変化するかを一生懸命考えながら戦略をたてます。

風は目に見えないため、微妙な変化は慣れるまではほとんどわかりませんが、2年3年と経験を積むにつれいろいろな手段で感じることができます。目で確認できる方法としては海の色です。風の強く吹いている場所はその分だけ波も大きく、遠くから見ると海の色がそこだけ色濃く見えます。300-400m先の海の色を、目を凝らして観察し、風の強いところ(ブローと呼びます)に誰よりも先に行くことができればレースに勝つ確率は高くなります。ところが海の色が濃いというのは風が強いところだけとは限りません。雲の影で暗くなっていたり、潮の流れによって色が違って見えたり、様々な原因で色が違って見えます。

ある夏、微風の浜名湖でレースをしていたときのことです。わずかな風がどこから吹き始めるのか、どの艇も四方をきょろきょろと見回しながらレースは始まりました。一番右側に位置した私たちの艇はコースとはちょっと離れたところに湖面の色が明らかに違うところを見つけました。メンバーの1人がブロー発見と小声で知らせてくれます。遠回りにはなりますがこういうときは多少の損をしても後の結果が良さそうに思えるルートを選択します。だんだんと湖面の色濃い場所に近づき、このまま良い風を受ければその他の全ての艇を尻目に単独トップ間違い無しです。ブローまであと20mあと10mそれ風が吹くぞ!!とメンバー全員が喜ぼうと身構えていましたが風は吹きませんでした。空は雲ひとつなく影にもなっていません。湖の中なので強い潮の流れもありません。

“おかしい、どうした??”と顔を見合わせた後、湖面を見てがっかり。そこには小魚の群れがいたため湖面が波打ち、色が変っていただけでした。魚の群れがいたところで艇が早くなるわけはなく、単なる遠回りをしただけに終わったそのレースは当然のことながらさっぱりの成績でした。

また、風向きが変るときにはおもしろい現象が時折発生します。理科の授業で必ず習う、陸風、海風を覚えていますか?南側が海の太平洋側を例に取れば、夜の間は温度の高い海へ温度の低い陸から北風が吹き、日中晴れていると陸のほうが温まり海から陸へ南風が吹きます。通常はこの変わり目には徐々に風が弱くなると同時に、風向きがだんだんと変化していきます。ところがまれに片や北風、こなた南風といった具合に一歩も譲らず相撲の仕切り線のように直線上に見合ってしまうことがあります。その間約100m北からは追い風を受け快調に走る船、南からも追い風を受け快調に走る船、お互いに“あれまあどうなってるの”という事で真正面でご対面です。ところがお互いの真ん中は無風地帯となり、しばらく快調に走っていた船はお互いに風をはらまず止まってしまいます。しばらくすると南風に軍配が上がり海面は暖かい南風に覆い尽くされ、先ほどの北風はどこへ行ってしまったのか影もかたちもなくなってしまいました。これほど近い距離で180度風向きが違うということは珍しく、普通ではなかなか目に見えず気づくこともないためこんなときは自然の不思議さを今更ながら実感します。

こんな調子でヨットに乗っている間は常に風の具合を気にしています。風が弱ければ次はどこから吹いてくるのかな?強ければもっと強くなったら危ないから早めに引き返さなければいけないかな?錨を打って停泊しているときも風向きが変ったら錨が抜けないかな? 船の中で寝ていても夜中にステイ(マストを固定するワイヤーのこと)が風に鳴ると思わず海の具合はどうかな? 等、全て風のことばかり考えています。通常街中で生活していると台風が近づいたり、春一番のニュースをTVで目にしないと風については意識することも少ないかと思います。普通は天気予報も雨が降るかどうかということが一番で、降水確率は必ずありますが、予想風速はほとんど見かけません。海で一日中風のことばかり考えていた後、都会に戻りビルの角を曲がったとたん強いビル風を受け思わず“ブロー”とつぶやいてしまったらもう一人前のヨット乗りです。

(文:高坂昌信)

© 日本シティジャーナル編集部