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ヨットのレースでは何が大事?

ヨット

ヨットの楽しみには、スピードを競い合いスポーツとしてのレースを楽しむ“レース派”、あてもなく海を漂い自然の中にいる事のみを楽しむ“クルージング派”、ヨットに乗るのではなく世界にひとつしかない自分の作品を作りあげる事を楽しむ“自作派”、僕ヨット持ってるんだよと乗れもしないのに夜の街でちょっと自慢しながらナンパに使う“小道具派?”などがあります。

4年に一度、国の威信をかけて戦うレースの最高峰「American Cup」レースは参加するため何億円もの費用をかけて参加します。反対に一番底辺のレースは「クラブレース」と呼ばれ、好きな者が集まって週末開催したり、ヨットハーバー主催の総艇数が数隻といった参加者以外は誰も知らないものまで様々です。レースの規模、レースの距離、艇の大きさは異なるもののレースは全て同じルールに基づいて行われます。海の上で行うため自然の状態は毎回違い、陸上競技のように世界記録はなく、あくまでそのレースに参加した中で一番早くゴールした人が優勝です。ヨットは風を利用してのみ進むことができます。言い換えれば風がこなければ進めません。相手の風上に位置すれば、陰になる風下側の艇は風が受けられずスピードが出ません。どんなに性能の良い速い艇だろうと邪魔をされては勝つことができません。例えば片側1車線の道路で教習車の後ろをスポーツカーがのろのろとついて走っているような状況です。2車線になったから追い越そうと車線を変えた途端に前を走る教習車に同様に車線を変えられると、いつまでたっても追い越せません。ヨットもこれと同じです。American CupをTVで見ていると何回も何回も方向を変え、そのたびにプロレスラーのような大男がグルグルウインチを回しているのはこのためです。2艇だけのレースであれば相手は1艇ですからいつまで邪魔をし続けても問題ありませんが、3艇以上のレースになると相手は複数ですから一度に2車線をふさぐことはできず、邪魔して勝とうという姑息な戦術は破綻をきたします。その場合は本来の実力で勝負することになります。

ヨットレースは、ルールをいかに熟知し、ルールに基づき権利を主張できるかということも重要な要素となります。例をあげれば横から見て自分の舳先と相手の船尾が重なった状態かそうでないかによって優先権は違ってきます。当然優先権を持っている艇はその優位な立場を利用して相手の艇を不利な状態に追い込むことができます。ヨットの上で真っ赤な顔をして怒鳴りあう姿を見かけた場合は、互いの権利の主張していると思って間違いありません。2者間で各々の見解が違う場合は、周りの第3者をも自分の味方に引き込む努力も必要です。権利を主張してどちらも譲らずぶつかってしまった場合は"抗議"という手段によってレース委員会に訴えを出します。レース終了後陸に上がり、互いに自分のいた位置の変化、相手の位置の変化、周りの状況などを記入した抗議書をもとに説明し、双方共に自分の正当性を証明します。このときに重要なことはヨットの技術でもなければ体力でもありません。いかにルールを熟知し、自分の正当性をプレゼンテーションできるかという弁護士に必要な能力を要求されます。これは日本人に一番欠けている資質です。このときは徹底的に自分に有利なことのみを主張しなければなりません。この判決次第では失格になったりペナルティを課せられることもあります。また、たまたま相手が知り合いで、なあなあで済まそうとして訴えずにいれば、審判が見ていたにもかかわらず訴えをしない=フェアではないということで双方共にペナルティを課せられるケースもあります。つまりルールに基づきその中でとことん競い合うことが必要ということです。何だか昨今の産業界における日本とアメリカの関係とダブって見えてしまうのは気のせいでしょうか。

このようにヨットのレースでは知力、体力だけでなく、恫喝するパワー、怒鳴られてもへこたれない精神力、周りの人々を味方に引き入れる魅力、運、自然の動きを読み取る力、最新テクノロジーを使いこなす能力、審判を説得させる事ができる論理的思考能力、自分の正当性を正しく表現できるプレゼンテーション能力、最後まで勝てるはずだとポジティブに考えられる精神が必要です。こんなすばらしい素質を持った人間は実業界でも役に立つこと間違い無しです。採用担当の皆様。ヨット部出身の青年を是非採用しましょう。私事ながら私は某大学ヨット部の監督もやっているのでついつい就職斡旋になってしまいましたが、半分は本当の事ですよ。

(文:高坂昌信)

© 日本シティジャーナル編集部