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船頭さんは誰?

ヨット

最近のカーナビの進歩には驚かされます。行く先を設定して機械の言うがままに運転していれば目的地についてしまいます。現在は海の上でも同じ技術を使ったナビゲーションシステムが浸透してきています。目的地の緯度、経度を入力し設定すると現在の位置、速度から算出した予想到着時刻を計算し、進む方向にずれがあると「目的地は船首の左5度の方向です」と教えてくれる仕組みになっています。海には潮の流れや風の影響があり、走っている速度や方向が多少ずれて東に向かっていたはずの船の方向が実際は南東方面に向かっているということが発生します。当然こういった状況にも対応できるように実際の船の動きを計算し、地図で見れば真東の目的地に向かう場合もナビゲーションの指し示す方位は90度ではなく85度となります。目的地さえ間違いなく入力してしまえば後は機械の指示されるとおり進行方向を維持していけば良いわけです。

ところが海の上でよくあることですが、大きな波を受け海水をかぶって機器が動かなくなったり、振動で落ちて壊れてしまったり、電池が切れ予備も無かったりとアクシデントは必ず発生します。こんなとき車であれば道端に止め地図を開いて現在位置を確認し、道順を確かめます。(地図がよく読めない私の家内はガソリンスタンドの若いお兄さんに道を訪ねます)。ところが海の上では信号も無く住所標識も無く、海図があったところで現在いる場所がどこかわからなければ何の役にも立ちません。晴れて見通しもいい昼間であれば陸地の風景から3点測量(誰もが小学校で一度は習ったはず。いや最近はゆとり教育とやらでなくなってしまったかな?)で位置を割り出します。夜であれば灯台の光が頼りです。ところがこの灯台の光も慣れるまではなかなか判別ができません。海図には灯台それぞれにFl.8sとかQ(3)W10sといった記号がありますが、これはそれぞれ「Fl.8sは8秒ごとに1回短く光る」「Q(3)W10sは10秒に1回連続して3回短く光る」といった意味です。これが最初はなかなかわかりません。そもそも何秒間隔の周期なのかが人によって違ってきます。初めて見たものを判断するのがこんなに難しいなんて!と誰でも一度はびっくりさせられます。

いずれにしても最新の機器が役に立たなくなった時はそれ以前の知識が必要になってきます。海図があっても灯台の記号がわからなければ役に立ちませんし、3点測量の方法も実際に使ってみると三本の線は1点で交わらず大きな三角形ができてしまいます。そもそも揺れる船の上で正確な方位を測ることだけでも大変です。そういった状況下で間違いなく目的地に到着するために一番重要なことは経験と冷静な判断力です。出発地点からの経過した時間、風の向き、強さ、潮の流れ、波の大きさ、雲の流れなどの周囲の状況、風が強くなった場合の緊急避難場所等、考えることは多種多様です。せっかく取得した小型船舶の免許の有無はこんなときには関係ありません。一番信頼できるのは漁師さん、船員さんなど海のプロの人達です。たまに海に出ているアマチュアとは違い毎日海を職場にしている経験は奥深いものがあり一朝一夕に身に付けることはできません。雲の動き一つでこれからの天気を予想し一目で潮の流れを見極めることができるのはすばらしい才能です。

ヨットにもゲームソフトがあり、レースもクルージングもパソコンの前に座ったままで楽しめます。また現実の船に乗っても機械が壊れなければカーナビ同様指示されたとおりに舵を切れば目的地には到着できます。

でも違う!何かが違う!!海の上では人間の持っている五感を最大限に活用し、自然に対する感動、畏敬、恐怖を感じて初めて自然の中に存在することを許されるのではないでしょうか?多々批判もあった戸塚ヨットスクールでも自然の恐怖に身を投じることで初めて呼び起こされる意識、感情により問題児たちが立直った事例もあります。私自身も海で漂流し、救助が来るまでの30分の不安感、助かったときの安堵感の記憶は25年経った今でも鮮明に記憶に残っています。ヨットレースは学生のレースですら参加者は主催者に対し、事故の責任は全て参加者にあり主催者には一切の責任は無い旨の誓約書を提出します。自分の身は自分で守らなければいけません。そのためには知力、体力を鍛え自然に許しを得ながら目的地に向かいます。決して最新の装備だけあればいいということではありません。いざというときに生き抜く知恵、生き抜こうとする気力が必要です。海の上で学んだことはそのまま実社会でも通用します。

ところで今の時代、船頭さんは誰でしょう?間違ってもパソコンの船頭さんに操られるようなことにはなりたくないですね。「船頭は私です」と胸を張って言いましょう。

(文:高坂昌信)

© 日本シティジャーナル編集部