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サンパン

ヨット

子供の頃、父親の乗る貨物船が1ヶ月の航海を終え戻ってきた時にいつもお世話になっていたのがサンパンです。今ではほとんどその言葉を聞くこともなくなりましたが、サンパンとは、沖に錨を打って停泊する貨物船に乗組員や家族、業者などを運ぶ小さな船のことで、港のなかをめぐる周回バスのようなものであることから、通船とも呼ばれます。海と船の博物館によれば、小さな船はその昔は1枚板で作られていたものが、時代が進むに連れ3枚の板で作られるようになり、3枚の板=三板=サンパンと呼ばれるようになったということです。

よくお世話になったのが横浜港のサンパン。横浜山下公園の脇にある大桟橋の入り口から港内の各方面に向け、1日何回か決まった時刻になると出発します。待合室には船員生協があり、カウンターの窓口は駅の切符売り場と同じように職員が中にいますが、切符は不要です。窓口の上には大きなボードがあり、通船の番号、出港時刻、立ち寄る貨物船の船名が書いてあります。母親に手をひかれ、まずはこのボードを見てどのサンパンに乗っていけばいいかを確認します。サンパンの出港時刻まで間があるときは、桟橋から行き交う船を見物したり、港で働くペンキや油の匂いのする男達に待合室で遊んでもらったりしていました。出港時刻が近づくと、先ほどチェックした船の番号をたよりに、桟橋に横付けされた2~30隻のサンパンを探します。目指すサンパンが遠くにつながれていると船から船へと乗り移りますが、このことだけでも何ともいえない楽しみだったものです。定刻になると一番外側のサンパンからもやいを解き、それぞれ目指す船に向います。サンパンは船室に2人がけの椅子が4~5列、後部のデッキにも椅子があり、晴れて天気の良い日は外で潮風を浴びながら、雨の日は船室に入って港の見物をしながらちょっとした航海を楽しみます。

目的の貨物船のデッキからは階段が海面近くまで下ろされています。海が穏やかな時は問題ありませんが、港の外で波も有り、また雨が降って滑りやすい時は大変です。上下するサンパンから階段へ乗り移る際、一歩足を滑らせると海の中に落ちてしまいそうで、臆病者の私はいつもおしっこをちびってしまいそうだったことを思い出します。(尤も海に落ちた人は見たことも無く、もちろんおもらししたこともありませんでしたが…)階段も足元の海がそのまま見え、手摺も必要最低限の細いものしかない為、この階段もちょっとスリルのあるものでした。階段を上りきるとそこは今まで大揺れに揺れていた小船とは違って大きな波を受けても微動だにせず、船というよりもビルの中に入ったようでした。帰りは1ヶ月ぶりに家に帰る父親を含め家族で階段を降り、次の時間の通船で戻ります。

当時はまだコンテナ船もなく飛行機による荷物の輸送も少なかった為、港の桟橋は常に一杯、港の沖には順番待ちの貨物船が常に錨泊し、大桟橋のサンパン桟橋は船も人も大変多くにぎわっていました。現在は大部分の船がコンテナ船のため荷物の積み下ろしも短時間で終了し、沖に停泊する貨物船もほとんどなくなり、サンパン自体もあまり見かけなくなりました。大桟橋も今ではすっかりと綺麗になって客船も数多く立ち寄るおしゃれなスポットになっていますが、私にとっては武骨な海の男達が大勢集まる、油臭いところというイメージが今でも強く残る場所です。

(文:高坂昌信)

© 日本シティジャーナル編集部